ヴァルトラウテとブリュンヒルデの語り

ヴァルトラウテとブリュンヒルデの対話をもう少し進めました。もうすぐ「黄昏」訳了です。
http://www31.atwiki.jp/oper/pages/199.html
この「ヴァルトラウテの語り」の部分は長いですが、おそらくワーグナーファンは、この部分が大好きなはずです(もちろん私もです)。演奏により、はっきり差が出るので、聴き比べてみると、どれが自分の好みか再確認できます。
今、聴き比べてみていたのですが、総合的に一番聴けるのはコペンハーゲンリングでした。ヴァルトラウテの歌手(アネッテ・ボッド)も良くて、シェーンバントの指揮もいいです。でも何よりもテオリンさんが素晴らしい。
この方は、この50年(つまりアストリッド・ヴァルナイ以後)で私が一番聴ける歌手かも知れません。3月の「黄昏」でも、この部分が素晴らしかったですから、思い出してしまいました。
ティーレマンバイロイトも結構聴けますが、歌手がイマイチなのです。ですが、ティーレマンの指揮は唸ります。「ヴァルトラウテの語り」のそこここで、耳をそばだてる「間」の取り方があります。これは、すごいと思います。ライブで聞いたら、ホントいいでしょうね。大人気なだけのことはあります。
逆に、私が全くダメなのはバレンボイムバイロイトDVD(1991年)ですね・・・。私は若い頃これをNHK・FMで聞いて「もうバイロイトなんか聞くまい。ヒストリカルでいいや」と思ってしまいました。その時も、まさにこの「ヴァルトラウテ」がダメだったのでガックリ来たのです。
でも、最近歳を取って丸くなってきた(はず)ので、「若気の至りだったかも?」と思って、図書館で「魅惑のオペラ特別版」(小学館)というのを借りて聴いてみたのですが、やっぱり私には全然ダメです。ヴァルトラウテは、ヴァルトラウト・マイヤーさんなのですが、この歌は全然役にはまっていません。(私はマイヤーさんを評価しているので、あえて書きます。)
もし、これを初めに聴いてしまったら、このシーンって、ただ退屈なだけだろうなあ・・・。悪口はあまり書きたくないのですが・・・。
このシーンって、どこがいいかといえば、このブリュンヒルデの歌詞です。

ヴァルハラで得られる喜びよりも、永遠の命を持つ神でいるよりも、この指輪のほうが私にとって価値があるのよ・・・
この明るい黄金を見つめれば、神々しい輝きが流れ出してくる・・・
永遠に終わらない神々の幸せよりも、ずっと私にとって価値あることだわ!
だって、輝き出してくるのは、ジークフリートの愛なのだもの・・・ジークフリートの愛!ああ、あなたに、この歓喜を伝えられれば!その歓喜とは・・・この指輪の中にこそ、あるのよ。さあ、神々の会議の場に戻りなさい!指輪の件については、こう報告するがいいわ・・・「愛を、私は捨てはしない。誰も私から愛を奪えない。たとえ、壮麗に輝くヴァルハラが瓦礫と化してしまおうとも!」

ヴァルキューレ」で、ジークムントとジークリンデの「愛」に感動して考えを変えて以来、ブリュンヒルデの行動は一貫しているので、このセリフは当然の帰結です。
しかし、その愛のしるしである「ジークフリートの指輪」には「愛を捨てたアルベリヒの呪い」がかかっています。ですから、最後の「愛を、私は捨てはしない。誰も私から愛を奪えない」で、まさに「アルベリヒの呪い」のモティーフが出て来るというのが、ライトモティーフの使い方としては、目を見張るところです。
そもそも「愛」というのは利己的なものではないのだろうか?それゆえに、ヴァルトラウテはブリュンヒルデを呪うようにヴァルハラに還って行き、ブリュンヒルデも直後に悲惨な運命に陥るのではないか?・・・というパースペクティブの広さ(とややこしさ)が、このシーンにはあると思います。(さらに、このあと第2幕で「裏切られた」と思った時、「愛」は「憎しみ」に転換します)
この前の新国の上演でも、コペンハーゲンでも、テオリンさんは、このあたりをきちんと解釈して、ここで確実にクライマックスが来るように歌っていると思います。彼女は、かなり分析的な役作りをしていると思うので、ライブで聴けて、つくづく良かったです。