ブリュンヒルデの自己犠牲

「神々の黄昏」のブリュンヒルデ絶唱です。よく、これ単独でも取り上げられますから、このタイトルになっていますね。ドイツ語だと、Selbstopferung、英語だと、Self-Immolationでしょうか。日本語で「自己犠牲」というのは、う〜ん、どうなんでしょうかね。でも、そもそも、ドイツ語のこのタイトルって、誰がつけたんでしょうかね?確かに、ブリュンヒルデは、火の中に飛び込んでいくのですが、それは、ジークフリートを追って、ということで、イヤイヤ感はありません。「自分をいけにえにする」というのは、どうなんでしょうか?
コペンハーゲン・リングの演出では、「ブリュンヒルデが生き残る(そして子供を産む)」という話にしているのですが、ここのセリフを読んでいると、これは確かに色んな意味で納得できます。ワーグナーは、この最終場面の台本を何回か書き直しており、ある意味、未解決のまま、音楽に委ねています。ですから、これこそ演出家の腕の見せ所で、ここから遡って全体を構成したコペハンの演出家ホルテンは、なかなかやるな、と私は思います。
さて、備忘録的コメントを。

・今回はブリュンヒルデ登場の場面から訳しました。どうも、グートルーネとの会話を素直に読むと、ブリュンヒルデはここに至るまで「忘れ薬」の真相を知らなかったように思えてなりません。単に浮気したように思っているフシがあります。それは、Buhlerin(「愛人」とか訳すのですが、私は「女遊びの相手」としてみました。こんな言葉を使ったのはワーグナーは一回きりかもしれません)などという言葉に現れています。薬でだまされていることを知っていたら、こんなこと言わないんじゃないでしょうか?
・グートルーネの反応はまともです。この女性は、弱い部分もあるのですが、悪い人ではないと思います。
・次のト書き。ブリュンヒルデが「激しいショックを受ける」⇒「やがて物凄い悲しみに満たされる」も、真相を初めて知ったかのように思えます。
・そして長い「モノローグ」が始まります。最初の歌で「グラーネを連れて来て」と言います。グラーネの存在は大事です。「黄昏」第1幕の「ラブラブ二重唱」(←最近そういう名前になっている)でも、「ジークフリート」第3幕でも、ブリュンヒルデはいつも愛馬グラーネが気になってしょうがないようです。その意味では、ウォーナー演出は、そこに着目している点が面白いんですけど、やり方が私には「何かなあ・・・」なのです。新国の「黄昏」でも、ブリュンヒルデが「ぬいぐるみ」を振り回しているのですが、チャチくないですかね?むしろ、こここそ「ワルキューレ」のような「巨大木馬」を登場させるべきでは???言ってもせんなきことながら、逆のような気がします。(いつも厳しい批評ですが、いい点が多いので、あえて言うのです)
私の意見を言うと、「グラーネ」とは、ブリュンヒルデの「心」の象徴です。この最初の詩行では、最後から2行目に「この私の体が望んでいるのよ」と言うのですが、「体」というのは面白い表現で、それは、「心」のほうはグラーネに託しているからだと思います。「心も体も」ということですね。
ブリュンヒルデの顔は、ジークフリートの顔をじっと見つめるにつれ、変容していく・・・ここからは本当に感動的です。アストリッド・ヴァルナイの「静かな」表現があまりにも圧倒的なので、他の追随を許さないと思っていたのですが、イレーネ・テオリンのここの表現は、なかなかドラマティックです。違った意味で「聴けます」。
ブリュンヒルデの視線の移り変わり。初めは、ジークフリートに向けて。次は、ギービヒの民衆(ねえ、みんな、わかる?)。その後、視線を天に向けて、「ああ、あなたたち」とは神々のことです。そして、du・・・これは、ヴォータンのことなので、私は、あえて「お父さん」と訳しました。そのあとも含めて意訳しすぎかもしれませんが、日本語だと、これに対応するうまい表現がないのです。父親に「あなた」とか「きみ」とは言わないですよね。「パパ」というのもありか?と思ったのですが、何かスナックの女の子みたいですよね。ブリュンヒルデですからねえ。難しいところです。コペハンリングは、きちんと舞台でも表現しています。セリフの読み込み方が素晴らしいです。
・「あたしが一人の女として、悟った存在になるために!」・・・訳しすぎなのですが、これは、かねがね最重要の一言だと思っていました。コペハンリングのプロットは、この言葉を起点としているように思えます。直訳だと「一人の女が知るようになるために」。wissendというのは、wissen(知る)の現在進行形ですが、ふつう現在進行形にならない言葉です。「未来に向かって知る」というニュアンスですね。英訳(ティーレマンCD=コペハンリング)は、that a woman might grow wise。いい訳(というか直訳なんですが、英語なら直訳すべきなのです)ですね。mightがいいです!
・Ruhe...Ruhe...du Gott! 私は直訳しませんでした。色んな訳しかたがあると思います。私、小室・安室で「ね〜むれ〜、ね〜むれ〜」という歌がはやっていた時に、「ん?これじゃないか?」と思ったことがあります(笑)。偶然の符合ですかね。
・「飛び帰れ!カラス達!」から雰囲気が変わるのですが、ここで余りにもガラッと雰囲気を変えるのはどうなんでしょうね。DVDではシェロー演出のギネス・ジョーンズがそうなのですが、この前の3月30日のテオリンさんもそうでした。ライブだとその日の調子があるので、やってしまうのかもしれません。ブリュンヒルデ・ソプラノは、この箇所が得意なんでしょうね。でも、本当はここで「あれっ?」と思わせちゃいけないはずで、コペハンDVDのテオリンさんは、そういうことはないです。
・「ローゲに指示しなさい」との歌詞があるのですが、ローゲって「指輪」で「潜在的にずっといる」人ですね。
ブリュンヒルデの最後のセリフは、ジークフリートの最後のアリアのセリフと照応しています。私は「あいさつ」を「手を振る」としています。「あいさつ」って、私のイメージだと固いんですよ。
・以下、物凄い量のト書きですが、う〜む、一体、1876年の初演の時、これどうやって演出したんでしょうかね??特に、ブリュンヒルデがグラーネに乗って「火の中に飛びこんでいく」なんて・・・。この部分に限らず、ワーグナーは自分で歌唱指導、振付、その他もろもろ一生懸命やったけど、うまく行かなかったので、ある婦人に目隠しして「こうやって見てください」と言ったというエピソードがありますが。私が思うに、ワーグナーの意図通りやるとしたら、映画、あるいはそれでもダメで「アニメ」しかありません。