新国立劇場「イェヌーファ」感想

昨日(3月5日)の新国立劇場『イェヌーファ』に行ってきました。上演水準については何の心配もしていなかったのですが、期待以上に良かったと思います。忘れないうちに取り急ぎ記載します。
何よりも、トマーシュ・ハヌス指揮の東京交響楽団は、ヤナーチェクの音楽を非常に高いレベルで解釈して表現していたと思います。同じモチーフでもダイナミクスコントラストで非常に細かい陰影まで出していたところや、弱音の表情など繊細さが求められる場面で、実に表現力に溢れていたほか、オーボエクラリネットが声楽に寄り添う箇所などが非常に美しかったと感じます。
歌手は、イェヌーファのミヒャエラ・カウネさん、コステルニチカのジェニファー・ラーモアさん、それぞれ優れていましたが、とりわけコステルニチカの解釈が、容姿や声質とも相まって繊細な感じで、新鮮な解釈だったと思います。あと主役級では、出色だったのはラツァのヴィル・ハルトマン氏で、普段の男性的・攻撃的な部分と、いざという時の弱音の甘くやわらかな演技が使い分けられていて、大変好印象でした。これはラツァの役どころにピッタリという感じがしましたし、他の役でも聞いてみたいと思わされました。また、ハンナ・シュヴァルツさんは、おばあさん役ではありながら、若々しい感じで、さすが名脇役というべきか所々に光るものがありました。
全体を通して一番心に残った場面は、やはり第2幕のイェヌーファのアリアの箇所で、カウネさんの演技も非常に良かったですし、窓を開けて月明かりが入ってくる照明の具合も綺麗でしたが、指揮者が時々訪れるオケの沈黙の間合いを長く取ることも絶妙な効果を生み出していたと思います。背景で、ゆらぎを奏でる弦楽器には中声部から低音にかけて木管の響きが極めてうまくブレンドされていて、この場にふさわしい実に柔らかな響きだったと思います。
それに加えて、今までよく気づいていなかったのですが、プログラムに書いてあったので耳を澄ましていたのが、第2幕の最後の方でイェヌーファがラツァの求婚を受け入れる場面の、ソロヴァイオリンが何小節もホ音を持続する箇所。プログラムには、スメタナの「弦楽四重奏曲1番(わが生涯から)」終楽章の有名な耳鳴りの音と同じようにとあったのですが、この比較はなるほどと思わせるものがあり、この心理的耳鳴りを背景に、イェヌーファが半ば上の空でラツァを受け入れるというのは、セリフだけでは埋められない空白を音楽が埋めている典型的な例のように思い、このあたりの心理の綾が良く分かったのは得がたい体験でした。
また、合唱も、第1幕と第3幕にあるヤナーチェク・オリジナルの土俗的なコーラスを乱れなく力強く表現していて見事だったと思います。
さて、演出は、演出家(クリストフ・ロイ)の解釈はあるのですが、思ったよりオーソドックスで、このオペラの内容を深く読み込んでおり、私としては大変好感の持てるものでした。全体としては、コステルニチカが刑務所で過去を振り返るという解釈になっているのですが、いたずらに奇をてらうようなものではなく、登場人物の心理の動きを、シンプルな工夫で良く表現していたと思います。作品に即して素直に解釈するこうしたタイプの演出が高く評価されるというのは、良い傾向だと思います。
今回の上演で使用した版は、ややヤナーチェクのオリジナルに近いヴァージョンということで、第1幕でコステルニチカがイェヌーファにシュテヴァとの交際を禁止するシーンでのセリフが追加されているほか、いつも聴いているCDのコヴァジョヴィッツ版とは確かに違う感じがしました。最近の上演の主流はこちらということで、少し素朴な感じではあるのですが、このほうがいいと思える箇所が多々ありました。
それはそれと、日本語字幕を見ていると、私の訳がどうも誤訳ではないかと思われる箇所がいくつかありました。まあ、これは仕方がないとして、日本ヤナーチェク友の会の対訳版も会場で購入できたので、本当に大きな間違いがあったら、またいずれ手直ししたいと考えています。
いずれにせよ、私としては今回の上演を通して、『イェヌーファ』について、かなり深く理解できたように思うので、大満足でした。私だけではなく、観客の反応も非常に良かったように感じました。基本的にヤナーチェクはじめ東欧物は日本人に相性がいいように感じるので、これからもぜひ上演していただきたいところです。(順当に行けば、次は『利口な女狐の物語』か、『カーチャ・カバノヴァー』かと思われるので、首を長くして待っていようと思っている所です。)