タンホイザーを語る会(1)

トマス)昨夜はバイロイトの「タンホイザー」(今年7月の録音)を聴いていたのですが、オケ、歌手ともに、とてもいい演奏でした。あまり気に入らない時は途中で寝てしまうのですが、今回はしっかり聞きました。通常、指揮のティーレマンは良くても、歌手がイマイチと思う場合が多いのですが、今回はタイトルロールのトルステン・ケルルがよかったですね。とてもいい声ですし、声に演技があります。期待大です。ヴェーヌス、エリーザベト、ヴォルフラムもいいし、合唱はさすがに上手いです。
ヨハン)ティーレマンは、時々テンポをものすごく遅くしますね。ちょっとクセがあるような気がします。
トマス)それ、昔からですね。特に第2幕の歌合戦の入場の合唱のクライマックスで、いきなりテンポを遅くするのはビビります。正直、そんなに効果的でもないような気がしますが、それにしても合唱がよく乱れないでついてきているなあ・・・と。一体どういう仕組みになっているんだろう。
アンナ)劇場で聞くと、意外と効果的かも知れませんよ。
トマス)そうかも知れませんね。ただ、演出についてのアナウンスを聞いていると、余りに奇想天外で、一体どんな光景が繰り広げられているんだろう、と想像もつきませんが。夏に「パルジファル」の録画を見たので、もうこりごりです。
アンナ)まあ、演出はそんなものでしょう。
トマス)これぐらい良い公演だと、むしろ音だけで聴くほうが楽しいかも知れませんね。「タンホイザーっていい音楽だなあ」(笑)と思ってしまいました。
ヨハン)その感想もヘソまがりというか、「あまのじゃく」な感じがしますけど・・・。
トマス)そうなんですよね。なぜか「タンホイザー」が苦手な私だったんですが、今回、自分で対訳を作って、あらためて聞いてみると、なかなか面白いです。(オペ対に全幕アップしました。http://www31.atwiki.jp/oper/pages/161.html)ただ、こうして理解してみると、ますます何だかプロットがおかしな気がしてきます。
ヨハン)どのあたりがヘンですかね?
トマス)ヘンというべきか分からないですが、タンホイザーって、幕が変わるごとに改心しているんですよね。情緒不安定な感じがします。
ヨハン)う〜ん。ホントにそうですね。「純愛」と「快楽」の間を行ったり来たりしています。すごくグラグラしているキャラですね。
トマス)もっとも、そこがすごく現代にも通じる問題かも知れません。なんか分かるような気がするのが、逆にイライラする原因かも知れませんね。
アンナ)テーマそのものは「パルジファル」とも共通しているように思えます。
トマス)そうですね。でもパルジファルは一度改心すると、あまりぐらつかないキャラなので安心感があります。「パルジファル」の世界には、「聖なるもの」と「性的なもの」があるのですが、やはり、この二つは同じ根っこから出てくるのでしょうね。極端から極端に走る感じがあります。
アンナ)「タンホイザー」の世界では、エリーザベトとヴェーヌスでしょうか?両者を同一人物が演じる演出も以前あったと聞いています。
トマス)セリフを丹念に見ていくと、ワーグナーは、ヴェーヌスに神と魔神の二重性を持たせていることがわかります。とりわけ第1幕で羊飼いが歌う「ホルダ様が山から降りてきた」という春を呼び起こす女神としての「ホルダ」は、「ヴェーヌス」のことでもあるので、「聖」と「妖」とが裏返しだということがわかります。
ヨハン)聖女と魔女の二重性は、「パルジファル」のクンドリーと同じですね。
トマス)そうですね。「パルジファル」第2幕後半のパルジファルとクンドリーのやり取りは、「タンホイザー」のタンホイザーとヴェーヌスの掛け合いが源流になっていると思います。音楽的には「パルジファル」が当然ながら圧倒的に円熟していますから、そのせいで「タンホイザー」はもどかしさを感じてしまいます。
ヨハン)タンホイザーは、なんでヴェーヌスブルクを去るんですかね?ぼくなら、このまま居ついちゃうと思うんですが。(一同笑)
トマス)私もそれが最大の謎だと思うのですが(笑)、タンホイザー自身は「ヴェーヌス讃歌」でこう歌っています。

Dir töne Lob! Die Wunder sei'n gepriesen,
die deine Macht mir Glücklichem erschuf!
Die Wonnen süss,die deiner Huld entspriessen,
erheb' mein Lied in lautem Jubelruf!
Nach Freude, ach! nach herrlichem Geniessen
verlangt' mein Herz, es dürstete mein Sinn:
da, was nur Göttern einstens du erwiesen,
gab deine Gunst mir Sterblichem dahin. -
Doch sterblich, ach! bin ich geblieben,
und übergross ist mir dein Lieben;
wenn stets ein Gott geniessen kann,
bin ich dem Wechsel untertan;
nicht Lust allein liegt mir am Herzen,
aus Freuden sehn' ich mich nach Schmerzen:
aus deinem Reiche muss ich fliehn, -
o Königin, Göttin! Lass mich ziehn!

あなたを称えましょう!愛の魔法を称えましょう!
私を幸福にしたあなたの愛の力を!
甘美な歓びが、あなたの恩寵から芽吹き、
私の歌を高め、喜びの讃歌を歌わせるのです!
ああ!歓喜を、快楽を、
わが心は求め、渇望しました・・・
わが求めに応じて、かつてあなたは、
神々にのみ与えられるものを、死すべき私に授けてくださった。
ですが、ああ!やはり私は死すべき存在にすぎない・・・
あなたの愛は、私には大きすぎるのです。
神であれば、常に快楽を得られるはずなのに、
私は今も、有為転変のしもべでしかない!
わが心にあるものは、欲望だけではありません。
わが心は、苦悩をも喜んで求める心なのです。私は、あなたの国を去らねばなりません・・・
おお・・・女王よ!女神よ!私を行かせてください!

トマス)長い引用でしたが、ここがポイントのような気がします。赤い字にしたNach Freudeですが、「歓喜を求めた」というのが意味シンなように思えます。
ヨハン)「第9」みたいですね。
トマス)ワーグナーは当時、自分の指揮で「第9」の演奏をしていますから、これは偶然じゃないのではないか、と思います。そのうえで「歓喜を求めていた」のは昔の話で、今は「喜んで(歓喜から)苦悩を求める」と書いているのではないかと思います。これにはヨーロッパの時代的な背景、つまりフランス革命ナポレオン戦争という激動の時代、しかし「個人」と「社会」の幸福な結合という夢を見られた時代を経て、王政復古に伴う抑圧的な政治体制と社会的経済的矛盾という現実を目の前にしているということがあると思います。言葉を換えると、「啓蒙の世紀」から「ロマン派的内面性」への移行があるように思えます。
アンナ)調べてみると、「第9」と「タンホイザー」って、時代的に意外と離れていないんですね。前者の初演が1824年、後者が1845年です。
ヨハン)ただ、すごく世代的な断層があるように思えます。「わが心は、苦悩をも喜んで求める心なのです。私は、あなたの国を去らねばなりません」って、「何じゃそれ?」と思いますよ。楽しいほうがいいに決まっているのに、なぜ苦悩を求めなきゃならないのでしょうか?
アンナ)確かに、それはそうなんですが、もう一つ背景として、ワーグナーがパリに行っていたということがありますね。ヴェーヌスベルクの快楽というのは、当時の「ヨーロッパの首都」パリでの歓楽みたいなものをイメージしていたのでしょうか。
トマス)ワーグナーはそこに馴染めなかったわけですよね。それでドイツに帰ってきて、ヴァルトブルクに通りかかり、すごく感動したことが、この作品の成立の背景にあります。
ヨハン)タンホイザーというのは、ワーグナーの自画像なんでしょうかね?
トマス)そういう面があると思いますね。ただ、そこに描かれているのは、よく考えてみると、自意識が強すぎて、周囲とトラブルを繰り広げる自画像なんですよね。ある意味、率直すぎるほど率直なのです。そういう意味では、「オペラ」に全然ふさわしくない人物を主人公にしてしまっているきらいがあります。でも、やはり「自画像」であるからこそ、後年に至るまで「タンホイザー」にこだわり続けたような気がしないでもありません。
ヨハン)う〜む。話がややこしくなってきました。「タンホイザー」はワーグナーの最も初心者編だと思っていたのですが(笑)
トマス)それでは、今夜は、これ以上深入りせずに、アンリ・ファンタン・ラトゥールの描く「ヴェーヌスベルク」で締めることとしましょう。(このリンク先では、ちょっと色合いが良くない感じがしますが・・・)
http://www.wikigallery.org/wiki/painting_214675/Theodore-Fantin-Latour/Tannhauser-on-the-Venusberg
アンナ)これ、いい絵ですね。構図がいいです。ヴェーヌスとタンホイザーの配置が、ト書きとは逆になっています。左手に見えるのがヴァルトブルクかな?
ヨハン)舞い踊る3人が「優美の女神」グラティアですね。
トマス)この絵については、この本で教えられました。

ワーグナーと世紀末の画家たち

ワーグナーと世紀末の画家たち

この画家はワーグナーの楽劇をテーマにして、多くの絵を描いていて、あまり有名な画家ではないかも知れないですが、とてもいい絵だと思います。あと、今日の話題で行くと、この本もとても参考になるので、ぜひどうぞ。特に歴史上の「聖女エリーザベト」について教えられます。
ワーグナーと恋する聖女たち―中世伝説と現代演出の共演

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