『マイスタージンガー』(1)〜ワーグナー作品における「歴史物」とは?〜

トマス)4月に「東京春祭」の『マイスタージンガー』を聴きに行くので、その予習としてポイントのところを少しずつ訳していました。しかし、この作品のドイツ語は難物ですね。こういう擬古文みたいな調子は『ローエングリン』や『指輪』にも見られますけど、『マイスタージンガー』は度を越しているような気が・・・。
アンナ)そうですか。ホッとしました。まったく同感だったもので。私のドイツ語能力の問題かと思っていました。
トマス)全10作品の中でも無類の読みにくい台本ではないかと思います。ワーグナーの台本の評判が良くないのは、この作品のせいなのでは?
ヨハン)「喜劇」も、この作品だけですよね。
アンナ)喜劇にしては重たすぎますが(笑)
トマス)たぶん「凝り過ぎ」な文章なんだと思います。よく知らないのですが、ハンス・ザックス自身の文章を参考にしているのかも・・・。ただ、いずれにせよ、マニアックすぎるのは確かです。
ヨハン)ヘンな話で恐縮ですが、ヒトラーは、この作品の全歌詞を暗唱していたという話を読んだことがあります。
トマス)それもよりによって『ニュルンベルクのマイスタージンガー』なんですよね・・・。だからこそ、ニュルンベルクで「党大会」をやり、その結果ニュルンベルクで「裁判」も行われたわけですが・・・。
アンナ)『マイスタージンガー』は確かにすごく「ゲルマン民族的」な感じがしますよ。ワーグナーナチスの責任があるわけでは、もちろんないですが。
トマス)なんかすごく「共同体との一体性」を感じせるような音楽だと思います。最初の前奏曲からしてそうですね。ただ、これを必ずしも「民族的」と受け取る必要もないような気が。
アンナ)う〜ん?でも、やはり強烈に「ゲルマン」な感じがしますよ。『マイスタージンガー』は強烈にそういう匂いがします。だから時々うっとうしいです・・・。
ヨハン)確かにそうかも知れませんね。僕は、たまたま『パルジファル』とか『トリスタン』を先に聴いてしまったので、これは逆にイメージ通りの「ドイツっぽい」ワーグナーです。
トマス)その「イメージどおり」というのは面白いですね。「どんなイメージだよ?」と思いつつも、一面分かるような気が・・・。その意味では、ワーグナーの作品は「バックボーン」がかなり異なる作品から成り立っているように思います。こんな感じですかね。

・歴史物 『タンホイザー』『ニュルンベルクのマイスタージンガー
・伝説物(アーサー王伝説物) 『ローエングリン』『トリスタンとイゾルデ』『パルジファル
・神話物(北欧・ゲルマン神話) 『ニーベルングの指輪』4部作

アンナ)なるほど。ほぼ異論はないですが、『ローエングリン』は「歴史物」に分類もできますね。ただ、やはりアーサー王伝説でつながっているから、この分け方のほうがいいかも。逆に『タンホイザー』は半分「伝説物」ですが、アーサー王伝説に関係していませんね。
トマス)「アーサー王伝説物」というのは、「ゲルマン由来」というよりは「ケルト由来」ですね。その背景には当時のヨーロッパの「ケルトブーム」を考えた方がいいと思います。
アンナ)ドイツロマン主義というのは「オシアン」からの影響がかなりありますよね。『フィンガルの洞窟』や『スコットランド』(交響曲第3番)を書いたメンデルスゾーンをはじめ、シューマンブラームスなどにも強い影響を与えていますから、考えてみるとワーグナーにも影響を与えていて当然ですね。「ゲルマン」のイメージが強いのは、『指輪』のイメージが強いからでしょうか。
ヨハン)でも、それもどちらかと言うと「北欧神話」なので、ワーグナー作品というのは思った以上に「ゲルマンっぽくない」のかも知れませんね。
トマス)ただ、音楽の雰囲気からすると、指輪は「ゲルマン」が濃厚かも知れませんね。それ以上に濃厚なのは、もちろん『マイスタージンガー』ですが。
アンナ)一方で、アーサー王伝説物の音楽の雰囲気は、あまり「ドイツ」というか「ゲルマン」な感じはしませんね。汎ヨーロッパ的というか・・・曖昧な言い方ですが。『トリスタン』なんか全編にわたってゲルマンな匂いがしませんね。『パルジファル』もそうかも知れません。
ヨハン)ただ、「ゲルマン的」というのは、何なのでしょうね?これはドイツ人に訊いてみたほうがいいかも知れませんが。
トマス)その意味では『マイスタージンガー』というのは、まさに格好の研究対象かも知れませんね。今まで無定義に「ドイツ的」とか「ゲルマン的」とか言っていたのですが、その内実は「コラール(讃美歌)旋律様式」ということが大きいような気がします。前奏曲の出だしからしてそうですね。
ヨハン)オペラで聴くと、この前奏曲の最後で直接コラールにつながっている所がすごく印象的です。これは前奏曲のテーマと同じようなメロディーですね。もちろん前奏曲は何度も聴いたことがあったのですが、そのあとこんな展開だったのかと思って、すごく新鮮でした。
アンナ)コラールと言えば、第3幕でもハンス・ザックスを讃えて、民衆の合唱団が「目覚めよ」と大音声で歌います。これは本物の「コラール」なので、いかにも「ドイツ的」ですね。ただ、ドカーンと出た後で、ささやくように「ララララ〜」と盛り上がってくるところに、結局いつも感動してしまうのですが・・・。
ヨハン)ところで、同じ「歴史物」でも、『タンホイザー』の場合は「コラール」ってないですね。
アンナ)なるほど、そうかも。序曲のテーマ、イコール「巡礼の合唱」ですけど、これは「コラールメロディー」じゃないような気が。雰囲気ははっきりとドイツですけど。
トマス)「コラール」はプロテスタント以降の伝統ですから、ある意味、時代に即しているのかも知れませんね。その点、『パルジファル』第1幕後半の合唱は、コラールだと思うのですが、このあたりは、あえて境界線をぼかして、何でも取り込んでいるような気がしますね。音楽だけをとると「アーサー王系列」の作品群が、なぜか一番魅惑的な感じがします。
ヨハン)『マイスタージンガー』の話をしようとしているのに、今回は焦点がそれましたね(笑)
トマス)いえいえ。「プロテスタント」というところまできたので、この「前振り」が良かったんですよ(笑)。『マイスタージンガー』の舞台は、前回も触れたように「宗教改革進行中のニュルンベルク」です。ニュルンベルク自由都市としてプロテスタントの側に立っていました。「歴史物」ですから、そのような時代背景を押さえたほうが、この作品は面白いと思います。次回は、いつものように「対訳解説」で行こうと思います。第3幕のザックスの「迷いのモノローグ」を取り上げる予定です。