とても共感できるアナセン氏のタンホイザー

昨日、新国立劇場の「タンホイザー」を見に行ったので、その感想です。
コペンハーゲンリング」のアナセンがタイトルロールを歌っており、今回初めてライブで見られたのは、なんと言っても良かったです。パフォーマンス全体としても、とてもいいものだったと思うのですが、彼は、基本的にタンホイザーを、ある意味ごくありふれた人と捉えることによって、この作品を「普通の人」に共感できるものとしているように思えました。
  
まず、第1幕序曲ですが、この日のオケは出だしがイマイチだったのか、ちょっと心配してしまいました。ただ、ヴェーヌスベルクの音楽になると調子が出てきたので、ホッとひと息。この音楽は完全に「トリスタン」の世界なので、それまでの音楽と断層がありますが、指揮のコンスタンティン・トリンクスと東京交響楽団は、ここから本領発揮した感じ。この場面で、バレーがあるのは、いつもながら、お得感がありますね。
ここで、タンホイザーとヴェーヌスが登場。ヴェーヌス役のエレナ・ツェトコーワさんは、これまでも何度か聴きましたが、これはいいですね。なんか母性的なものがあります。対するアナセンのタンホイザーは「甘えん坊」みたいな感じ。実に幸せそうな笑顔で、ひざまくらされています。これは、この人のキャラのような気がします。デジャヴな感覚がするのは「コペンハーゲンリング」のせいか。
この場面の音楽は、やはり今回の「ウィーン版」がいいですね。バイロイトは、伝統的に「ドレスデン版」だと思うのですが、ウィーン版のほうが説得力があります。(プログラムによると、正確な意味での「ドレスデン版」というのは存在しないようですが。)
最後に、ヴェーヌスが「衣替え」すると、ヴェーヌスは、より母性的に見えます。タンホイザーが、彼女のもとを離れるのは、単純に「母親離れ」なのかも知れません。ここで、ワーグナーの「母親コンプレックス(いわゆるマザコンとは正反対の意味での)」を考えるのも面白いかも知れません。
「自由を、自由を」と求めるアナセン=タンホイザーはとても印象に残りました。やはり、このセリフが一つの鍵となっている気がします。
急速な舞台転換は、中央の柱をクルッとひっくり返すと、十字架と、生身の「聖母マリア」が出てきます。この生身の「聖母マリア」は、私としては何だか気持ちが悪いです。ただ、こんなことを言っては何ですが、「聖母マリア崇拝」というのは、なんか基本的に居心地が悪い感じがします(私だけか?)。
ハンス・ペーター・レーマンの演出(再演)は、プログラムの自身のコメントにもあるように、オーソドックスにキリスト教をきちんと背景に据えているので、分かりやすいと思います。この作品は、キリスト教的な要素があったほうがいいと思います。逆に、そうでないと分からなくなるような気が私はするのですが、あまりその要素がありすぎてもケバケバしくなるので、これぐらいの演出だと、ちょうどいい感じがします。
牧童の國光ともこさんの歌は、とても若々しくて、いい感じです。シャルマイを吹いたり、巡礼にバイバイしたりするのが楽しそうな雰囲気。
巡礼達の合唱は、とてもうまいです。今回は全幕にわたって、新国立劇場合唱団の合唱はとてもいい響きだったと思います。「タンホイザー」では、合唱はとても大事な要素だと思いますし、そもそもワーグナーとしては、素直に「良い合唱作品」のような気が・・・。
ヘルマン方伯(クリスティンソン・ジグムンドソン)やヴォルフラム(ヨッヘン・クプファー)はじめ「歌びとたち」が登場。上記の2人は外国人で、ものすごく背が高い(2メートルはあるか?)。日本人歌手とアナセンが、とても小さく見える。衣装が、まったく奇をてらっていなくて、良いように思えました。
最後のほうの音楽は、全体的に古風ですね。プログラムを読んでいると「ベッリーニ風」とありましたが、最初が「トリスタン」の音楽で始まり、最後が「ベッリーニ」だと、断層を感じてしまうのは仕方がないかも知れません。しかし、これはこれで面白いような気も。
第2幕は、舞台の奥にあるステンドグラスがとても綺麗です。ここの舞台の奥行きをうまく使っているように思えます。
堂々としたエリーザベト役のミーガン・ミラーさん。この方はとてもいいですね。背が高くて、白いドレスが映えます。歌はドラマティックですが、「殿堂アリア」も清楚な感じ。かなりレヴェルの高いエリーザベトだったと思います。
デュエットの場面では、アナセン氏の声量はやや弱いか。この人は、ソロの時のほうがいいですかね。ワーグナーは、そういう役が多いのですが。
ヘルマン方伯は、重厚で、見かけといい歌といい、とてもよろしいです。
歌合戦の場面へ。ヘルマンとエリーザベトの身長が高いせいか、登場してくる日本人たちの背丈がとても小さく感じられ、ここは「小人国の国」かと錯覚するほど。とりわけ、くじを引く待童たちの髪型と衣裳が可愛らしいです。
歌びとに混ざってアナセン=タンホイザーが出てくるのですが、適当な格好で現れて、適当に挨拶した後で、上着のボタンをそそくさと掛けているのが笑えます。愛嬌がある一方、危うい感じが・・・。
クプファー氏のヴォルフラムは、なかなか良いです。低音域で少し音程が乱れるのがやや難点としても、いい雰囲気を出しています。第3幕の「夕星の歌」もよかった。
ここからタンホイザーが「大人げない」行動に出ます。ヴェーヌスのところに行っていたことを告白すると、エリーザベトが耳をふさぐのですが、このあたりからタンホイザーが後悔するまでのプロットは、いつ見てもよく分からないです。もっともエリーザベトが止めに入るところなど、演奏はとてもよかったのですが。これは、おそらく作曲のほうが、ワーグナー自身の表現したいことにまだついていっていないのだと思えます。
幕切れの音楽がふと鳴りやんで、舞台裏から巡礼の合唱が聞こえてくるところも、とても美しかった。やはり合唱がよいです。
第3幕では、ミラーさんのエリーザベトが、とてもしっとりとしていて聞けました。この方は、かなりいいですね。
アナセンは、「ローマ語り」でベテランの渋い(?)演技力を発揮していたと思います。歌唱そのものに演技があるので、世間に見放された最後の孤独感が痛いほど伝わってくるところがあります。断罪され、ヴェーヌスを求める場面では、ひどく痛々しい感じで「助けてあげてくれよ」という気がします。素直に共感できます。その意味では、ヴェーヌスに救われたっていいじゃないか、と思うのですが、そうでないのが、この作品の複雑なところです。
「巡礼の合唱」で救われたというのは強引な感じがするのですが、その救済が果たして空しいものかというのは、難しいところだと思います。プログラムにもそのような記述があったので、それが現代では通常の感覚だと思いますし、私自身もそう思っていたのですが、最近、「パルジファル」の最後の合唱同様、これを素直に「救済」と受け取ったほうがいいような気がしています。そのほうがより「現代人の感覚」にマッチしているかも。私自身は、正直、素直に受け止めて感動してしまいました。「タンホイザー」で感動するとは、齢のなせるわざかも知れません。それも、アナセン=タンホイザーの「孤愁」ともいえる姿の故かも知れませんが。
合唱がとてもいいので、幕切れが引き立ちます。
合唱団は終演後もかなり拍手を受けていましたが、残念だったのは、最後に登場したアナセン氏には、あまり拍手が飛ばなかったことでしょうか。確かに高音がつらそうな感じでしたし、少し聴衆受けが悪い感じはしましたが、実際聴いてみると、やはりそれを補って余りあるような表現力があると思います。自分の考える役作りというものが、はっきりある人でしょう。おかげで、今回「タンホイザー」について、タンホイザーの身になって、かなり良く理解できたように思えます。自分の趣味というのもあるのですが、とても記憶に残る公演になりました。
トリンクス=東響の演奏は、全体としてはとても堅実な感じでした。歌手陣と合唱がいいので、私としては、これぐらい堅実なほうがむしろいいかなと思います。
ついでに書くと、これはいつものことながら、プログラムもとても参考になります。ややマニアックなのかも知れないですが・・・。特に、三宅幸夫氏の解説の、エリーザベトが歌い始める前の転調が、ト長調(第2幕の殿堂アリア)ではなく、半音へりくだった謙虚な変ト長調になるという指摘は「おお」と思いました。そう思って耳を澄ますと、かなり魅惑的な和声進行だということに、改めて気づきます。こうやって、「気づき」を与えてくれるのは、本当にいいですね。
今回の日本語字幕も、とても良かったと思います。字数上意訳が多くなると思うのですが、とても的確で、「なるほどこう訳せばいいんだな・・・」と思ったところがいくつもありました。たとえば、第2幕の初めでタンホイザーが、「(ヴェーヌスの国にいたときは)エリーザベトに会うことを望まなかった」という部分を、「会う希望を失っていた」(少し異なるかも知れませんが)と訳しているのは、「なるほど」と思います。・・・と思って、字幕作成を見ると、これも三宅氏でした・・・(笑)。さすがです。