タンホイザーを語る会(2)

トマス)オペ対にタンホイザー第2幕の「動画対訳」がアップされたので、これについて語りましょう。このフランツ・コンヴィチュニー指揮のベルリン国立歌劇場の演奏は、ヒストリカルですが、なかなかいいですよ。
http://oper.at.webry.info/201301/article_7.html
アンナ)エリーザベトがなかなか可愛いですね。エリーザベト・グリュンマーは、まさに名前どおり「エリーザベト」という感じです。この「殿堂のアリア」は歌い甲斐がありそうな歌ですよね。
ヨハン)ワーグナーとしては、素直な歌ですね。
トマス)そのあとにタンホイザーが登場し、エリーザベトと再会するのですが、タンホイザーのほうは、あまり素直じゃないです。セリフが謎めいていますね。ヴェーヌスベルクを指して言う「それは広大な国」とか「忘却の厚い霧」という語句は、『トリスタン』第3幕のトリスタンのセリフを先取りしていますね。そう思ったので私は「トリスタンふう」に訳してみました。(6分41秒)
アンナ)このセリフですが、エリーザベトの質問にまともに答えていませんね。『ローエングリン』もそうですが、ワーグナーのヒーロー達は、どうも水臭いというか、つれないところがあります。
ヨハン)もっとも、さすがに「ヴェーヌスベルクにいました」とは言えないでしょう。
アンナ)エリーザベトも、やや不審の念を抱くのでしょうが、タンホイザーへの恋はその気持ちを上回ります。「どう言ったらいいのでしょう」とか「自分で自分がわからない」とか・・・君はケルビーノかと突っ込みたくなります。純情で可愛い感じがします。
トマス)そのすぐ後に、ゆったりとしたメロディーの前奏に続いて、エリーザベトはこれまでの経緯を歌いますが、ここは彼女のキャラをつかむ上でのポイントですね。(9分18秒〜)
ヨハン)「もうあまりに味気なく、つまらないものになってしまった」と歌うところのフルートの後奏には、とても表情豊かな木管楽器のハーモニーがついていますね。(11分34秒) それにしても、このエリーザベトは、本当に素晴らしいですね。
トマス)ここでは、エリーザベトの情熱は、はっきりと恋愛の情熱に向かっているのですね。それが、この幕をとおして、信仰の情熱へと変化していきます。
アンナ)ともあれ、エリーザベトのけなげな愛の告白を受けたタンホイザーは、ころっと参ってしまいますね。「愛の神を讃えてください」と歌い始めますが、この「愛の神」って何を指しているんですかね?
トマス)ここで言う「神」は男性形ですからキリスト教的な「愛」でしょう。続く二重唱も、定型的というか素直な音楽です。
ヨハン)その二重唱の後ろで、「僕の恋は破れたか」とガックリするヴォルフラムの台詞も印象的です。『オランダ人』のエリックを思い出しますね。
アンナ)二重唱が静まり、タンホイザーが退場すると、ヘルマン方伯が登場します。エリーザベトは、方伯を「おじさま」と言っていますが?
トマス)史実上は、息子のお嫁さんですから「舅」ですが、このオペラでは「両親を失った姪を養女にした」みたいな設定かと思います。史実の聖女エリーザベトも、幼い頃から生地ハンガリーを離れ、テューリンゲンに来ているので、それに近い境遇ではありますね。
ヨハン)ところで、ワーグナーのオペラの登場人物って、たいがい親がいないですね。
トマス)そうですね。ほとんどいつも両親がいないか片親がいません。特に、母親がいないことが多いような気がします。
アンナ)ワーグナーには、母親はいたのですが、実の父親がいなかったんですよね。心理学的に興味深いところですね。
トマス)方伯とエリーザベトの会話の雰囲気は、『マイスタージンガー』のポーグナーとエーファの会話と似ています。思いやりのある父親(役)として描かれているのですが、その語調はなんとなく回りくどい感じなので、翻訳が難しいです。
ヨハン)「お前自身がそれを解く鍵を見つけるまでは、その魔法は解けずともよい」というセリフは、美しいイメージではあるのですが、具体的にはどういう意味なんでしょうか?
トマス)やはり音楽を聴いてみましょう。この幕の後半で、エリーザベトがタンホイザーの救いを祈る歌のモティーフ(=第3幕の冒頭のメロディー)が木管でかすかに歌われるのが聞こえませんか?(19分31秒)
アンナ)ほんとですね。モチーフの「萌芽」みたいな感じです。
トマス)たぶん、第3幕で歌っているような「信仰への情熱」こそエリーザベトの進むべき道だと、ヘルマンは暗にほのめかしているということなのでしょう。ヘルマン自身はどこまで意識的かは分からないですが、音楽ははっきりとそれを示しているので、その後のライトモチーフ萌芽かも知れません。
アンナ)この動画で方伯を歌うゴットロープ・フリックは、なかなか素敵ですね。古風ですが。
ヨハン)トランペットのファンファーレが鳴り響くと、いよいよ歌合戦になります。なんだかワクワクするような楽しい気分になります。こういうところのワーグナーの表現はうまいですね。
トマス)なかなか効果的です。あまり重たくやらないほうがいいですね。この動画は、オケの演奏と歌手陣はすごくいいですが、合唱がイマイチでしょうか。レコーディングの関係もあるかも知れませんが。やはりオペラ上演に完璧はないですね。
ヨハン)そのあとの方伯の演説は、ふるっていますね。「ドイツ帝国の偉大さのために」とか、やや引いちゃいます。
トマス)今から見ると胡散臭いのですが、一つ忘れてはいけないのは、この時まだドイツ統一前ということですね。統一への機運はまだまだだった時代です。「ヴェルフェン家」うんぬんというのは、「訳者コメント」に書きましたので、興味のある方はご参照を。
アンナ)方伯は「芸術至上主義」なのですね。『マイスタージンガー』でも「神聖ローマ帝国は滅びても、ドイツの芸術は滅びない」と締めくくりますから、これはやはりワーグナーその人の考え方ですかね。
トマス)そうだと思います。その点も、考えれば考えるほど、なかなか面白いテーマですよね。
ヨハン)そこで方伯は、「愛の本質を明らかにせよ」との「お題」を出します。トマスさんは「愛のほんとうの姿」と訳していますが。
トマス)この点も「訳者コメント」に書きました。補足すると、ヘルマン方伯は、もちろん「愛」を「キリスト教的愛」としてとらえています。その意味で興味深いのは、まさにこの箇所で、この後でヴォルフラムがはっきりと歌う「愛の断念のモティーフ」が、ほんのちょっとだけほのめかされているように聞こえることですね。(32分40秒)
アンナ)「愛の断念」は、ヴォルフラムが「この泉を汚したくはありません」と歌うところですね。とても印象的です。(39分12秒)
ヨハン)そうすると、先ほどの箇所で「愛の本質とは諦めである」とすでに方伯は考えていたということになりますか。
トマス)一つ気をつけたほうがいいのは、このモティーフは一般的には「愛の断念」と言われていますが、まさにヨハンが言ったように「愛=断念」もしくは「断念こそ愛」と名付けるべきモティーフかも知れません。
アンナ)『指輪』の『ラインの黄金』第1場のアルベリヒの「愛の断念」と似ているから、そういう名称になったのかも知れませんね。
ヨハン)そうなんですか?まだ『指輪』はよく聴いていませんでした。
トマス)これとそっくりなモティーフですから、明らかに意図的ですよね。
アンナ)う〜ん。ヴォルフラムがアルベリヒになると思うと、ちょっと怖いです・・・。
トマス)「失恋キャラ」はワーグナーの中期作品では比較的善良(エリック、ヴォルフラム、テルラムントなど)ですが、『指輪』のアルベリヒで突然すごく悪役になります。もっとも、ファゾルト(『ラインの黄金』)とかベックメッサー(『マイスタージンガー』)など、善良というより滑稽感のある「失恋キャラ」もいますけどね。
アンナ)ヴォルフラムは、こうした系統では、もちろん最も高潔なキャラですよね。ただし「遠くから憧れる」というのが、彼の変わらぬスタンスなので、そこが物足りないところでしょうか。現実的にもありそうな気もしますが・・・。
トマス)ヴォルフラムの立場は、ドイツ文学の「(初期)ロマン主義」みたいなものを反映しているような感じもありますね。ノヴァーリスの『青い花』とか。
ヨハン)ヴォルフラムの歌って、上品でいい歌なんですが、なんか物足りない感じがしますね。ハープも入って来て、とてもきれいではあるのですが。
トマス)ちょっと気になるセリフは、「その星の一つが私の眼をくらませる・・・」です。この「星」は、第3幕の有名な「夕星の歌」でも話題になるのですが、「夕星=宵の明星」って「ヴェーヌス」のことですよね。ヴォルフラムは、エリーザベトの中に「ヴェーヌス」の存在を感じ取っているのですが、そこには手を触れないでおこうとしているようにも読めます。
アンナ)タンホイザーは、このヴォルフラムの歌にケチをつけ始めます。このあたり「タンホイザーってしょうがない人だなあ・・・」という気がするのは私だけでしょうか?
トマス)そうなんですが、タンホイザーは何かに動かされているような感じもしますね。
ヨハン)いまだにヴェーヌスの魔力に捉えられているということでしょうか?「夢から覚めたかのように」というト書きはそう思わせますね。
トマス)周りの人たちが言っていることのほうが常識的で大人な感じがするので、タンホイザーが孤立してしまうのはやむを得ない感じがしますが、それをこのオペラのプロットの弱さと取るべきかどうかは難しいところでしょう。
アンナ)ここで、もう一人の歌びとヴァルターが歌い出すのですが、この動画のヴァルターは魅惑的な声ですね。思わず確認したら、フリッツ・ヴンダーリヒですか。こんな素晴らしいヴァルターは初めて聴きました(笑)
トマス)この演奏は、歌手の質がすごく高いですね。往年の歌手って声質や声量も勿論ですが、ディクションが明瞭でいいと思います。最後のほうの重唱もいいですよ。
ヨハン)タンホイザーの「それ(女性)にふさわしきことは、歓ばしい欲望とともに『楽しむ』ことなのだ・・・」という発言は、過激ですね。確かにそうかも知れないですが、通常、口に出して言ってはいけないことですよね。聴衆が騒ぐのも当然と言えば当然です。
アンナ)そこでヴォルフラムが執り成そうとするのですが、タンホイザーは、ますます興奮して「ヴェーヌス讃歌」を歌ってしまいます。どうも大人じゃないですね。ある意味、面白いですけど。
ヨハン)孤立したタンホイザーをエリーザベトが助けます。ここで、エリーザベトは、恋愛の情熱を断念して、信仰に生きることを決心したということでしょうか。これ自体ロマン主義的な感じはします。
トマス)この神がかり状態は、『ローエングリン』のエルザへとつながっていきます。ところで、この歌は、リリックとドラマティックの境界線にあるような気がします。この動画のグリュンマーさんは、ドラマティックな面がちょっと弱いかな?このドラマティックな箇所と「殿堂アリア」との両立は、実はなかなか難しいと思います。エルザの場合にも同じ問題があるような気がします。
ヨハン)このエリーザベトの歌を聴いてタンホイザーは後悔するのですが、展開が速すぎるので、音楽を聴いているだけだと唐突感があります。
アンナ)私もそう思います。エリーザベトにしてしまったことを悔やむのでしょうが、ちょっと早すぎるような気が・・・。「私に救いの天使を遣わされた方!」と呼びかけるのですが、それは聖母マリアのことですよね。さっきまで「ヴェーヌス、ヴェーヌス」って言っていたくせに・・・なんて思ってしまいます。
トマス)たしかに。そのへんイマイチ説得力に欠けますかね・・・。それはそうと、エリーザベトが祈る「かつて救い主が自分のためにも苦しまれたことを信ずる気持ちをこの人が再び取り戻しますように、と!」というセリフは、すごく『パルジファル』の世界を思わせます。
アンナ)タンホイザーの「私をお憐れみください!ああ、深く深く罪にまみれ」という箇所も、アンフォルタスの嘆きの歌を思わせますね。
トマス)やはり『タンホイザー』で十分表現できなかったことが残された宿題となって、ワーグナーは『パルジファル』に取りかかったのかも知れませんね。
アンナ)もっとも、『タンホイザー』は、これでいいのかも知れないですね。必要以上に重くならないところがいいような気がします。