シャイーのマーラー8番〜ようやくわかってきた「千人の交響曲」

この季節は雨がイヤですね。それなのに土日に仕事関係で外出したり、入院した親戚のお見舞いに行ったり、大忙しです。そんな中、今日は『コジ』を見てきました。演出はけっこう面白かったですが、個人的にはオケが何となく乗らなかったです。モーツァルトって私にとっては合うときと合わない時がすごくはっきりしていてある意味難しいですね。でも、こんな中ですから、観られるだけでいいです。いろいろ発見もありました。その話はいずれ取り上げようと思います。
さて、今日は大詰めになった「ライプツィヒマーラー国際音楽祭」の「8番」のレビューです。シャイーとゲヴァントハウスオケ、そして合唱団がずらっと並んでいます。26日(木)と27日(金)の2夜連続だったのですが、私これを歌詞と首っ引きで2つとも見てしまいました。『復活』とは逆に、これはどちらかというと2晩目のほうが良かった感じがします。なので、そちらをご覧いただいたほうが良いかと思います。
http://www.mdr.de/mahler/
(このページの動画の右上に小さくListeと書いてあるところをクリックするとリストが出てきます。「8番」は2つあるので27日のほうです。なおウィーンフィルの9番を先に聴きたい方はそのまま入れます。私は未聴)
ただ、私、これを聴き始めてすぐ思ったのは、「う〜む。これはライブじゃないと音がさっぱり拾えないな」ということでした。もちろん全部そうですが、この曲はいわば合唱曲なので、とりわけそんな感じがします。とはいえ、それでもなお、かなり感銘を受けてしまいましたが・・・。
この曲の場合、映像つきで見るだけで全然おもしろみがちがいますね。実にいい勉強・・・というか娯楽になりました。
私は「歌詞こだわり派」なので、ついつい訳してしまいます。外国文学を勉強する以上、ラテン語はやらねばと思い1年間勉強したのですが、だいぶさびついてしまいました。そんなわけであんまり正確じゃないかも知れませんが、ご参考までにどうぞ。原文はWikipediaから取ったので、こちらにも日本語訳があります。
ラテン語って、論理的に簡潔に表現できるので、いい言語だと思います。神学的な面はよく分からない点があるので、神?父?聖霊?創造主?誰が誰のこと?と思うのですが、あまり深入りせずに、単語の意味がわかるといいような気がします。あらためて見てみると、英語ってラテン語由来の言葉がわんさかありますね。

Hymnus: “Veni, creator spiritus”

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Veni, creator spiritus,
Mentes tuorum visita;
Imple superna gratia,
Quae tu creasti pectora.

賛歌 『来たれ!創造主なる聖霊よ!』

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来たれ!創造主なる聖霊よ!
あなたの民の心を訪れたまえ!
天の恵みで満たしたまえ!
あなたの創りし民の心を。

上記の最初の2行は合唱で、後の2行は最初はソロ歌手の重唱で示されます。veni,visita,imple。これみんな「命令形」(神に「命令」もヘンですが・・・)です。このあとも命令形が多いですね。「あなた」は「御身」と訳すことが多いですが、今回はテクニカルタームを避けてみました。

Qui Paraclitus diceris,
Donum Dei altissimi,
Fons vivus, ignis, caritas,
Et spiritalis unctio.
(Veni, creator)

慰め主と呼ばれしあなた。
至高の神の贈り物。
生の泉にして、炎にして愛。
精神の香油であるあなた。
(来たれ!創造主よ!)

1行目のdicerisは「受動形」なので、英語のcalledです。カッコ書きは、原文にないもののマーラーによる反復です。以下同じです。

Infirma nostri corporis
Virtute firmans perpeti;
Accende lumen sensibus,
Infunde amorem cordibus.

我らの肉の弱さを、
勇気もて力強く支えたまえ。
我らの理性に光をともしたまえ。
我らの心に愛を注ぎたまえ。

2行目のVirtus(勇気)は「奪格」に変化しているので「勇気によりて」と解釈。次のfirmansは「力強くする」の現在分詞形なので上記のように訳しましたが、やや自信がないです。
3行目のsensibusは、sensusの「複数与格」で、senseなので感覚としたくなりますが、どちらかというと「理性」じゃないかと思います。4行目のcordibusも「心」の同じ形です。amorはもちろん「愛」。
この3行目以下はまずテノールから始まって、合唱に広がっていくのですが、ここの歌詞はいいですね。
これから先、3段落ほどは合唱の連続なので、正直なんて言っているのか聞き取れません(笑)。でもここについては歌詞なんかどうでも良くなるほど、実に素晴らしい音楽です。

Hostem repellas longius,
Pacemque dones protinus;
Ductore sic te praevio
Vitemus omne pessimum.

あなたは敵を遠くに追い払われる。
平和を永久に我らに授けてくださる。
かくて、あなたのお導きにより、
我らはすべての悪を避ける。

上記は「命令形」だけでなく単数2人称を取っていると思われるので、その点を訳文に反映させました。

Tu septiformis munere,
Dexterae paternae digitus.

あなたは七重の姿で世に贈られ、
お父上の右手の指にあらせられる。

上記の不思議な歌詞は、神学的なことが分からないとちょっとつらいですね。私もよくわかりません。

Per te sciamus da Patrem,
Noscamus (atque) Filium,
(Te utriusque) spiritum
Credamus omni tempore.
(Accende lumen sensibus,
Infunde amorem cordibus.
Veni, creator spiritus.
Qui Paraclitus diceris,
Donum Dei altissimi.)

あなたによりて、我らに父を知らしめたまえ。
また、ご子息をも知らしめたまえ。
聖霊なるあなたを
我らは信ずる。永遠に。
(我らの理性に光をともしたまえ。
我らの心に愛を注ぎたまえ。
来たれ!創造主なる聖霊よ!
慰め主と呼ばれしあなた。
至高の神の贈り物。)

daは英語の「give」(もしくはlet?)なので、そんな訳にしてみました。4行目の「Credamus」は複数1人称で、これはよく見るミサ曲では「Credo」(単数1人称。「我は信ず」)です。
下から3行目で「ウェニ!」が帰ってきて、いわば再現部となります。

Da gaudiorum praemia,
Da gratiarum munera;
Dissolve litis vincula,
Adstringe pacis foedera.
(Pacemque dones protinus,
Ductore sic te praevio
Vitermus omne pessimum.)

歓びの恩寵を与えたまえ。
愛の贈り物を与えたまえ。
我らをいさかいの呪縛から解き放ち、
平和の誓いに結びつけたまえ。
(平和を永久に我らに授けてくださる。
かくて、あなたのお導きにより、
我らはすべての悪を避ける。)

Gloria Patri Domino,
Natoque, qui a mortuis
Surrexit, ac Paraclito
In saeculorum saecula.

主なる父に栄光あれ。
死者のうちからよみがえられし方、
そして慰め主に栄光あれ。
いついつの世までも永遠に。

最後の段落はいわゆる「栄誦」だと思います。私このへんにそんなに詳しくはないのですが、これは聖歌の最後につくので、マーラーのこの曲の場合もここは当然「コーダ」ですね。合唱が「グロリア!」と歌い出す所・・・ここは私は昔から好きです。なんとなく「3番」の第5楽章の「ビンバン!ビンバン!」を連想させます。
最後の「In saeculorum saecula」という慣用句はラテン語らしい表現だなあと思います。(英語だと「サーキュレーション」か?だから直訳だと「年代に年代を重ねて」?)これはドイツ語だと「Von Ewigkeit zu Ewigkeit」(永遠からはじまり永遠に)だったかと思います。原文のラテン語を生かして、うまく翻訳したなあと思います。昔の人のまじめさというのはすごいです。

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さて、この曲は「ソナタ形式風」の枠組みの中に、ミサ曲の「グロリア」と「クレド」を融合させている感じがしてきました。音楽の密度がすごいですね。「マーラーの最高傑作は「9番」ではなく「8番」だ」と主張する方の気持ちが分かってきました。
シャイーの指揮はヘタすると晦渋になりがちなこの曲を実に「見通しよく」演奏している気がするのですが、そう思うのは私だけでしょうか?ロイヤルコンセルトヘボウとの全曲録音も、この曲はすごくいい演奏をしていると思います。
私、この歳になってようやくわかってきたのですが、この「8番」のテーマは「愛」で、第1部の「聖歌」も第2部の「ファウスト最終シーン」も実は「特定宗教につながらない汎神論的な愛のかたち」なのではないか・・・と。そう考えると、マーラーがこの曲をアルマに献呈したのはまさに格別な意味があったように思えます。
この曲については、マーラーメンゲルベルクにあてた書簡から「宇宙が響くのを想像してください」というのがしばしば引用されるのですが、そんなことを書いちゃうからややこしくなるのであって、グスタフ氏は「この曲のテーマは「愛」です」とはっきり書けば良かったじゃないかと。きっとシャイすぎて書けなかったんじゃないか?と疑います。(というか「ベタすぎる」から大芸術家としては恥ずかしくて書けないということなら良く分かります)
この前のマーラー映画の邦題は「君に捧げるアダージョ」でしたが、10番というのは実は「君に書かされたアダージョ」で、この「8番」こそ「アルマに捧げたシンフォニー」(実際そうですし)じゃないか・・・と思います。
いろいろ考えると面白いのですが、長くなりすぎたので、第2楽章「ファウスト最終シーン」の翻訳を次回に。
昔は「ゲーテなんて恐れ多い」という気持ちがあったんですが、最近だんだん親しみやすい感じになってきました。なんていい詩でしょう・・・。こりゃ年の功ですね。(←いえいえ、まだまだですが。笑。)