ゲルギエフ=ロンドン交響楽団の「アダージョ」と「巨人」〜AにはじまりAに終わる?

ライプツィヒ国際マーラーフェスティバル」をこんなに熱心に追っているのは私だけでしょうか?マーラーファンは多いので、けっこう聴いている人が多いような気がしますが・・・。それにしても今回素晴らしいのは、全部録画して公開してくれていることですね。これだけオケ、合唱、指揮者、歌手と、一気に楽しめる企画ってあまりないんじゃないでしょうか。マーラーのシンフォニーは、彼が言ったように「世界」そのものだと思います。私も、あらためて再発見することが多いです。
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今日はゲルギエフの『10番』のアダージョと『巨人』。
http://liveweb.arte.tv/de/video/The_London_Symphony_Orchestra_spielt_das_Adagio_aus_der_10__Sinfonie_und_1__Sinfonie_D-Dur/
これまで主にドイツオケを聴いていたせいか、ロンドン交響楽団は全然異なる音色だなと感じます。クリアーというか明るい響きに聞こえます。もっとも私の好みはドイツ系ですが、ゲルギエフの指揮は繊細な音楽づくりなので好印象。特に最初の「アダージョ」が良かったです。
一方、『巨人』は曲そのものに『復活』以降に比べるとやや若書きの点があることは否めないですかね。気になるのは、ビデオの中の音楽と映像がひどくずれている点で、これは直してほしいですね。でも、よく見ると、ほかの映像もそうですね。技術的な問題か?
個人的には『巨人』で最も好きなのは、冒頭の「A音(ハ長調の音階でいうと「ラ」)」が様々な楽器で「ラ〜」と演奏し続けているところで、これは天才的発想だと思います。私は15歳の時、初めてこの曲をFMで聴いたとき、確かN響のライブだったので「拍手が終わったのに、なんでまだ音合わせやってるんだ?」と思ったものですが、そのまま曲が始まったので仰天しました。100年後でもまだびっくりするぐらいだから、当時の人もびっくり・・・というか当惑したに違いありません。
そこでふと考えると、さっきの『10番』アダージョの最後の破局もトランペットが「ラ〜」とやっていることで、このAは「妻アルマのイニシャルのA」だと言われています。
「A」に始まって「A」に終わったというのも不思議な暗号のようですが、晩年のマーラーは元気いっぱいで、まさか死ぬとは夢にも思っていなかったでしょう。これはずいぶん通説と違うようですが、この前紹介した映画のガイドブックで前島良雄さんがそう書いています。
私自身もかねがねそう思っていて、マーラーは「第9」まで書いて死んだので誤解されがちですが、50歳という若さで突然死したというイメージです。(ハプスブルク帝国生まれの作曲家は、モーツァルトシューベルトマーラー、ベルクと、ぽっくり亡くなってしまう人がやけに多いイメージです。みんな働きすぎのような気もしますが、モーツァルトマーラーはとりわけハードワーカーか?)
ちなみにトーマス・マンマーラーの死の約8ヶ月前にミュンヘンで『8番』の初演に立ち会っていましたから、さぞやびっくりしたでしょう。そう考えて初めて、なぜ彼がこの「事件」にインスピレーションを受けて『ヴェニスに死す』を書いているかが良く理解できます。はたから見ると「超エネルギッシュな有名人が突然死んだ」という衝撃的な出来事だったのです。(『ヴェニスに死す』の最後の文章には「彼の死に震撼した世界は」という表現があります)
そう考えると、この日のプログラムは、最後から最初へたどる、やりそうであまりやらない興味深い企画だったようにも思えます。