「3番」〜ニーチェに作曲する怖い者知らずのマーラー

偉大な芸術家というのは、発想が常識からぶっとんでいる所があると思うのですが、このマーラーの『3番』というのはまさにそれじゃないかと思います。もちろん、それまでの「1番」「2番」にもそれは感じられるのですが、「3番」はそれを上回ってあらゆる点で「ぶっとんでる」と思います。(「2番」はベートーヴェン「第9」とよく似たところがあるので、その線上で理解できます)
その「ぶっとび」の一つが、第4楽章でニーチェの「ツァラトゥストラかく語りき」の中から詩を取り出して作曲したことで、今から考えるとあまり不思議に思わないかも知れませんが、当時としてはかなり「げてもの」に映ったんじゃないかと思います。しかも、そのあとの第5楽章で児童合唱が「天国の歌」を歌うという発想は「超ぶっとび」です。とはいえ「指揮者の強み」で初演できるのであって、指揮者をしていなかったら絶対に初演できなかったのではないかと思います。そこにマーラーが「指揮者」という「現場仕事」をしていたメリットの一つがあったと思います。
今日はその翻訳を掲載します。


Alt
O Mensch! Gib acht!
Was spricht die tiefe Mitternacht?
,,Ich schlief, ich schlief -
Aus tiefem Traum bin ich erwacht: -
Die Welt ist tief,
Und tiefer als der Tag gedacht!
Tief ist ihr Weh -
Lust - tiefer noch als Herzeleid!
Weh spricht: Vergeh!
Doch alle Lust will Ewigkeit -
- will tiefe, tiefe Ewigkeit!”
Friedrich Nietzsche

第4楽章
<アルト>
おお、人間よ!心せよ!
深い真夜中は何を語っているのか?
私は眠っていた。私は眠っていた・・・
深い夢から私は目覚めた。
そう、世界は深い。
昼が考えていた以上に深い!
世界の嘆きは深い・・・
だが歓び・・・歓びは心の嘆きなどよりずっと深い!
嘆きはこう語るにすぎない・・・「消え去れ!」と。
しかし、歓びはどんな歓びも永遠を求める・・・
深い深い永遠を求めるのだ!
(詩:ニーチェツァラトゥストラかく語りき』第4部「酔歌」より)

この詩は『ツァラトゥストラ』の最後から2番目の章の一番最後にある詩で、この章はそれ自体がこの詩の解説になっています。そして最後の12節でニーチェは「この歌のタイトルは『もういちど(Noch einmal)』で、その意味は『すべての永遠の中へ!』だ」と書いています。非常に重要な歌なので、この歌に作曲したマーラーのセンスはすごいと思います。
私は、CDの対訳で見るこの翻訳はあまり意味が取れないことが多いような気がします。ですから、私の訳はあえて言葉を補っている部分があります。7行目にWehという単語があり、8行目にHerzeleidという単語がありますが両者は同じ意味で、どちらも「嘆き」です。その上で大事な箇所は8行目の「歓びは心の嘆きより深い」です。この「歓び」を例えば「快楽」と訳すと、日本語の語感では悪い意味を帯びます。ですから私は「嘆き」に対する反対語として「歓び」という単語を使いました。
「嘆き」は「消え去れ!」とキリスト教的な「死後の世界の幸福」もしくは「現世の否定」をもたらすにすぎない。しかし「歓び」は「現世に永遠にいる(永劫回帰)」ことを求めるのだから、もっと深いのだと言っているのだと思います。(『ツァラトゥストラ』のこの章を読むとよく分かります)
もっとも「永劫回帰」とは何のことかというのはよく分からないのです。これは非常に詩的な概念で、哲学的に理解しようとするとどうもはっきりしないようです。
ところで最後に一言したいことは、この詩の単語の使い方は私には『トリスタン』とそっくりに思えます。Lust,Welt,Tag,Nacht,ewig・・・う〜む。そのまま『トリスタン』じゃないかと私は思うのですが。いかにニーチェワーグナーにはまっていたかよく分かります。しかもHerzeleid(心の嘆き)ってパルジファルの母親の名前じゃないかと。はまりすぎていて無意識的に使ってしまうんじゃないかと思います。
この頃はまだニーチェワーグナーと完全に思想的に断絶していないので、詩の意味そのものも『トリスタン』の圏内にあると私は思います。
ツァラトゥストラ』をニーチェの代表作としてしまうのは良くないことで、ニーチェに興味のある方は、まずは『道徳の系譜学』から入ることをおすすめします。これはそれまで誰も言ったことのない全くオリジナルな思想だと思いますので。


Knabenchor
(Bimm bamm, bimm, bamm...)

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Frauenchor
Es sungen drei Engel einen süßen Gesang,
Mit Freuden es selig in dem Himmel klang;
Sie jauchzten fröhlich auch dabei,
Daß Petrus sei von Sünden frei.

  • -

Und als der Herr Jesus zu Tische saß,
Mit seinen zwölf Jüngern das Abendmahl aß.
Da sprach der Herr Jesus; „Was stehst du denn hier?
Wenn ich dich anseh', so weinest du mir!“

  • -

Alt
„Und sollt' ich nicht weinen, du gütiger Gott?

  • -

Frauenchor
(Du sollst ja nicht weinen)

  • -

Alt
Ich hab' übertreten die zehn Gebot;
Ich gehe und weine ja bitterlich,
Ach komm und erbarme dich über mich!“

  • -

Frauenchor
„Hast du denn übertreten die zehn Gebot,
So fall auf die Knie und bete zu Gott,
Liebe nur Gott in alle Zeit,
So wirst du erlangen die himmlische Freud'!“

  • -

Die himmlische Freud' ist eine selige Stadt;
Die himmlische Freud', die kein Ende mehr hat.
Die himmlische Freude war Petro Bereit't
Durch Jesum und allen zur Seligkeit.
(Des Knaben Wunderhorn)

第5楽章
<児童合唱>
(ビム・バム・ビム・バム・・・)

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<女声合唱>
3人の天使が楽しい歌を歌ったよ。
天国に喜びの歌が響いたよ。
3人は楽しそうに歓声をあげたのさ。
「ペテロの罪は晴れた!」とね。

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そのときイエス様はお座りになり、
12使徒と晩餐を取っておられたよ。
エス様はこうおっしゃられた。「あなたはどうなされたのです?
見たところ、泣いておられるようですが!」

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<アルト>
「主よ・・・これが泣かずにおられましょうか?

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(女声合唱)
(泣かないで!泣かないで!)

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<アルト>
私は十戒を踏み破ったのです・・・
だからこの場を去って、激しく泣きたいのです。
ああ、ここにいらして、私を憐れんでください!」

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<女声合唱>
「あなたが十戒を踏み破ったのなら、
ひざまずいて神に祈りなさい。
いつまでも神を愛するのです・・・
そうすればあなたは天国の喜びを得られますよ!」

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天国の喜びは平和な街のようなもの・・・
天国の喜びは決して終わることがない。
天国の喜びをペテロに与えたイエス様は、
みんなも幸せにしてくれるだろう。
(詩:『子供の不思議な角笛』より)

こちらの詩は単純で、聖書に出てくる「ペテロの否認」の話がテーマです。バッハの受難曲でもおなじみですが、確かにこの話は福音書の中で最も印象深い話の一つかと思います。
とはいえ「子供の不思議な角笛」はドイツの民話を編集したものなので、この話をすごく素朴にとらえています。でも逆に感動的かも知れません。マーラーを好きに思えるかというのは、例えばこの曲が好きかどうかのような気がします。ふつうに言う「芸術的なもの」と違う次元にある曲だと思います。