聖金曜日の音楽の魔法〜パルジファル対話篇(3)

聖金曜日の音楽http://www.youtube.com/watch?v=bmcmzPs6ShI(この動画の44分18秒〜)

アンナ)さて、いよいよ第3幕の「聖金曜日の音楽」ですね。この音楽のクライマックスのところを聴いていたら、頭にこびりついて離れなくなってしまいました。(49分51秒〜。)ウインドとストリングスが歌いかわして、第1ヴァイオリンがオクターブ上昇のアウウタクトで入ってきます。(50分13秒〜)「ソッソソ〜、ファッファファ〜ミ、ラッララ〜ラッソソ〜ファ、ドッドド〜、ミッミミ〜、ファッファファー、ミッミミ〜、レ・ファ」。はっ・・・思わず歌ってしまいました。すいません。完全に中毒状態です。そして最後にヴァイオリンが主要テーマを歌いながら高く昇って行って(50分41秒〜)、低弦が生き物のようにワサワサと動きます。
フルスコアhttp://erato.uvt.nl/files/imglnks/usimg/7/75/IMSLP63680-PMLP05713-Wagner_-_Parsifal_-_Act_III.pdf(515〜534ページ)

トマス)ワサワサというチェロの3連符の動きは、野の花の「復活」なのでしょうか?スコアを見ると、それまで中声部で伴奏していた第2ヴァイオリンとヴィオラが鳴りやんで、ディヴィジのチェロがその揺らめくようなワサワサ音型を奏で始めているのが、視覚的によく分かります。その上でヴァイオリンが歌う調は、最も鳴りやすいニ長調であることも、効果を高めているように思えます。
アンナ)この「聖金曜日の音楽」の最初の主題は面白いですね。最初の時点ではロ長調です。(44分18秒)ピアノで弾いてみるとよく分かるのですが、階名読みだと「ラ〜シ〜ドッレミ〜ファ〜ミ〜ソ〜」、最初のラシドの動きで「このメロディーは短調なのかな?」と思うのですが、実際は長調という点に意外感があります。そこに工夫があるんですね。
トマス)「聖金曜日」は言うまでもなくイエス・キリストの受難の日です。第3幕の冒頭ではグルネマンツが再三「今日は聖金曜日だ」ということを強調します。
ヨハン)「聖金曜日の音楽」は、その第3幕がかなり進んだところでグルネマンツとパルジファルが歌うゆったりとした音楽ですが、これはKarfreitagszauber「聖金曜日の魔法」とも呼ばれますね。「魔法」とは言葉を代えれば「ミラクル」つまり「奇蹟」だと思います。でも、私はかねがね疑問に思っているのですが、いったい何を「奇蹟」と呼んでいるのでしょうか。
トマス)それは大事な点ですね。ここに奇蹟があるのだとすれば、それは「クンドリーが救われること」ではないでしょうか。前にも言ったように、彼女が心の安らぎを見い出すことは、非常に難しいように思います。第2幕の幕切れでパルジファルに自分の最後のよりどころを否定された彼女には、本当はもはや狂気への道しか残されていないような気がするのです。しかし、この場面で彼女は救われる。それこそが「奇蹟」なのだと思います。
アンナ)クンドリーは新約聖書の「マグダラのマリア」ですね。香油でイエス・キリストの足を洗うマリアと相似形をなすように、ここではクンドリーがパルジファルの足に香油を塗ったあと、それを自らの髪でぬぐいます。
ヨハン)パルジファルはイエスの役を担っているわけですね。
トマス)ここにはもうひとつ新約聖書の一シーンが織り込まれていて、グルネマンツがパルジファルの頭から水を注いで、洗礼を行っています。これは、バプテスマのヨハネによるイエスの洗礼です。有名な1962年のバイロイト盤CDでは、ハンス・ホッターがグルネマンツを歌っていますが、「ハンス」という名前は「ヨハネ」のドイツ語形なので、そのものずばりじゃないかと思ってしまいます。
アンナ)この幕では、ヨハネによるイエスの洗礼と、マグダラのマリアとの邂逅がひと時に起こっているわけですね。
トマス)そうです。第3幕の前半というのは、このシーンを用意せんがための伏線なので、退屈に感じられるかも知れません。第3幕の前半で言わんとしていることは、パルジファルが苦難を経てイエスのような救い主にまで成熟した、ということになります。
アンナ)でも、正直なところ、もし音楽がついていなかったら、この劇って、とても見る気がしないと思います。ものすごい抹香くささです。
ヨハン)音楽がついていてもそうですが・・・(笑)。カトリックの祭儀を新興宗教っぽく焼き直した感じで、ニーチェが反発したのもよくわかるような・・・。
トマス)確かに、そうした面はありますね。そのせいもあって第3幕の前半は理解しづらい音楽だと思いますので、やはり理解のポイントは「聖金曜日の音楽」だと思います。セリフの中に全てのエッセンスがつまっているので、歌詞をきちんと理解したほうがいいと思うのですが、ワーグナーらしく、極めてややこしい言い方をしているので、なるべくツボを押さえて解説しようと思います。
アンナ)確かに、比喩が多用されていて、すぐには意味が分かりにくいですね。
ヨハン)最初に奏でられるイングリッシュホルンのメロディーはいいですね。さきほどのお話にもあったように、このたゆたうようなロ長調の旋律は素晴らしいと思います。そこからパルジファルがこう歌いますね。

Wie dünkt mich doch die Aue heut so schön!
Wohl traf ich Wunderblumen an,
die bis zum Haupte süchtig mich umrankten,
doch sah ich nie so mild und zart
die Halme, Blüten und Blumen,
noch duftet' All' so kindisch hold,
und sprach so lieblich traut zu mir.
今日この野原は何と美しく見えるのでしょう!
確かに、私は、奇蹟のような花たちに出会い、
求められるまま頭の天辺まで巻きつかれましたが、
こんなにも穏やかでたおやかな
花、花、花を見たことはありませんし、
すべてが、こんなにも子供のように可愛らしく香り、
愛らしく親しく語りかけてきたことはありません。

アンナ)「奇蹟のような花たち」(Wunderblumen)とは、第2幕の「花の乙女たち」のことですよね。
トマス)そうです。パルジファルは、いま目の前の野原に咲いている花々を「花の乙女たち」に重ね合わせているのですね。なお、「花、花、花」(die Halme, Blüten und Blumen)というのは意訳で、Halmeは茎、BlütenとBlumenは「花」ではありますが、両者は少しずつ異なる意味です。ともあれ、パルジファルの気持ちを受けて、グルネマンツが答えます。

Das ist Charfreitags Zauber, Herr.
これこそ聖金曜日の魔法ですぞ・・・殿。

ヨハン)いつから「殿」になったんだろうと思わなくもないですが(笑)
トマス)時間の変化感を出すために、ワーグナーは少しずつ周囲の人物のパルジファルへの呼びかけ方を変えていっていますね。
アンナ)次のセリフで、パルジファルの歌は、激しい苦悩をほとばしらせますね。

O wehe, des höchsten Schmerzentags!
Da sollte, wähn ich, was da blüht,
was atmet, lebt und wieder lebt,
nur trauern – ach! – und weinen?
ああ、かわいそうに・・・この上ない苦痛にみちた日よ!
私にはこう思えるのです・・・いまここに花を咲かせ、
息づき、生き、そして甦るものは、
ただ悲しみ・・・ああ!泣くしかないのでは、と。

トマス)最初のweheは、しょっちゅう使われる嘆きの言葉ですが、ここでは「悲しい」よりも「かわいそうに」のほうが、ここの意味によくあっている感じがします。「私にはこう思えるのです」の「wähn ich」は、「たぶん間違っているのでしょうが」という意味を含みますから、それが次のグルネマンツの「おわかりですな・・・」につながっていきます。
ヨハン)「ただ悲しみ・・・ああ!泣くしかないのでは、と」の箇所は、実にしみじみとしますね。(47分05秒)最後にパルジファルが歌う「weinen」の「ヴァ〜イネン」という上昇音型が印象的です。バッハの「マタイ」とかのレチタティーヴォを想起してしまいます。
アンナ)そのあとクラリネットで、最初のメロディーが短調に変化して現れるのも、パルジファルが感じている切なさの表現なのでしょうね。(47分21秒)ロ長調ロ短調に一瞬翳り、すぐに平行調ニ長調に変わります。
トマス)続いて始まるグルネマンツの長いセリフが、この「聖金曜日の音楽」のエッセンスです。長いので、三つに分けましょう。

Du siehst, das ist nicht so.
Des Sünders Reuetränen sind es,
die heut mit heil'gem Tau
beträufet Flur und Au:
der liess sie so gedeihen.
Nun freut sich alle Kreatur
auf des Erlösers holder Spur,
will ihr Gebet ihm weihen.
おわかりのように・・・そうではありません。
罪ある者の悔いの涙が、
今日、聖なるしずくとなって
野原をうるおし、
そのしずくこそ、すべてを花咲かせているのです。
いまや、生きとし生きるものはすべて、
救い主の優しき足跡を慕いますし、
生きるものの祈りもまた、救い主を清めようとします。

トマス)「罪ある者」とは、普通に考えると全ての者を指すと思うのですが、男性単数形(Des Sünders)なので、あえて、これまでのパルジファルのことを指しているのかも知れません。生きとし生けるもの(alle Kreatur)は、植物(野の花々)も含む被造物全てを指し、「救い主」(Erlöser)は、イエス・キリストですね。
アンナ)イエスといわれると分かりやすくなります。
トマス)ワーグナーは、既成の宗教から遠ざかるために、あえてイエスとかキリストとかいう言い方を避けていると思うのですが、意味さえわかっていれば、むしろイエスと言ったほうが分かりやすくなると思います。
ヨハン)次の1行で、もっと明瞭にそのことが明らかになりますね。ここでは最初に打たれるティンパニが印象的です。ホルンのストップ奏法のこもった響きも効果的です。(49分00秒)

Ihn selbst am Kreuze kann sie nicht erschauen;
da blickt sie zum erlösten Menschen auf:
der fühlt sich frei von Sündenlast und Grauen,
durch Gottes Liebesopfer rein und heil.
十字架上の救い主ご自身を、生きるものは見ることができません。
だからこそ仰ぎ見るのです・・・救われた人を・・・
救われたその人は、神の愛の犠牲とされた救い主をとおして、
清められ健やかにされ、罪の重みや不安からの解放を心に感じます。

アンナ)う〜ん。この4行はわかりにくいですね。
トマス)「生きるもの」のsieという代名詞は、3行前の生きとし生けるもの(alle Kreatur)であり、1行前の「生きるものの」(sieの所有格ihr)とも同じです。「野の草花たち」と考えると一番わかりやすいですね。
ヨハン)彼女らは、イエスそのものを見ることができない・・・のですか?。なんかヘンな感じがしますね。
トマス)ここはそう考えざるを得ないと思います。
アンナ)なんか「身分制」みたいな感じで釈然としないのですが・・・。
トマス)「身分」ではないかも知れませんが、何らかの「位階」のようなものを感じてしまうことは事実ですね。2行目の「救われた人を」(dem erlösten Menschen)はパルジファルのことです。4行目の「神の愛の犠牲」とは再びイエスのことであり、その救い主イエスにより、パルジファルが救われたと語られます。
アンナ)Grauenのところから、明るいほうに響きが変化しますね。(49分34秒)そこから冒頭にお話しした「ウインドとストリングス間の歌いかわし」になります。
トマス)それが、これまでも再三指摘しているワーグナーの音楽のセリフとの一体性ですね。私は「不安」と訳していますが、これは「恐怖」であり「おののき」です。心の重荷から解放されるということの喜びが、音楽によって表現されているのです。

Das merkt nun Halm und Blume auf den Auen,
dass heut des Menschen Fuss sie nicht zertritt,
doch wohl – wie Gott mit himmlischer Geduld
sich sein erbarmt und für ihn litt –
der Mensch auch heut in frommer Huld
sie schont mit sanftem Schritt.
Das dankt dann alle Kreatur,
was all da blüht und bald erstirbt,
da die entsündigte Natur
heut ihren Unschuldstag erwirbt ...
そう・・・野の花々は知っています。
今日その人の足は、花々を踏みつぶすことなく、
いいえ、それどころか・・・神が至上の忍苦もて
その人を憐み、その人のために苦しんだ如く・・・
その人もまた、今日は、謙虚な慈愛を込めて、
やさしい足取りで、花々をいたわるだろうと。
ですから、生きとし生けるものすべて・・・
今は花開いているとはいえ、間もなく死にゆくものすべてが、
今そのことに感謝を捧げ、罪を浄められた自然は、
今日、無罪の日を迎えるのです・・・

ヨハン)3行目の「いいえ、それどころか」から、音楽は盛り上がってきます。
トマス)1951年のクナッパーツブッシュバイロイトの演奏は若々しいですね。これに比べると1962年の演奏はすごく落ち着いています。歌手について言えば、51年のヴィントガッセン=ウェーバーもいいですが、やはり62年のジェス・トーマスとハンス・ホッターは「超」が何回もつく名演でしょう。ホッターばかりでなく、パルジファルを歌うジェス・トーマスも素晴らしいですね。
アンナ)ヴァイオリンが朗々とうたうメロディーには「やさしい足取りで、花々をいたわるだろうと」というセリフがついているのですか。ここの音楽は禁断症状になりますね。夢の中でも出てきてしまいそうです。こういうところのワーグナーは、まさに「魔法」ですね。
ヨハン)2行目、4行目、5行目に出てくる「その人」は、すべて2行目のDer Mensch(4行目では古形2格のseinと、4格のihnという代名詞で現れる)のことだと思いますが、この「その人」とは誰でしょうか?
トマス)文意からしパルジファルを指しているはずなのですが、「その人」のために苦しんでいるのは神(Gott)なのですから、「その人=パルジファル」と「イエス」とは同一視されていることが分かります。
ヨハン)「救われる立場」だったパルジファルが、いまや「救う者」になったということですね。
トマス)さらに言えば、「その人」には「すべての人」という意味合いも出てきているように思います。さきほど「位階」という表現を使いましたが、つまるところ誰もがパルジファルになれるし、イエスになれるという思想ではないかと思います。
アンナ)う〜む。そこまで言いますか。
トマス)これはあくまで私見です。テクスト上はそう読めてしまうということです。さらに、この説を取ると、第3幕つまり全曲最後の合唱(Erlösung dem Erlöser!)の解釈がしやすくなります。これを「救い主が救われた!」と過去形として読むなら「dem Erlöser」とはパルジファルでしょうし、「救い主に救いを!」と願望として読むなら「すべての人」が救い主になることを期待しているということになるでしょう。あえて両義的な言葉にしているのではないでしょうかね?これはもちろん、私だけの解釈であって、学問的な裏付けがあるわけではありませんが。
ヨハン)しかし、それは伝統的なキリスト教の教義からは大きく離れていますね。
トマス)キリスト教の実存論的解釈とでもいうのですかね。でも、ワーグナーの頃は、そのようなキリスト教の読み直しはむしろ主流だったと思います。そういう意味もあるので、ワーグナーは「イエス」とか「キリスト」という固有名詞は使わないのでしょうね。
アンナ)「今は花開いているとはいえ、間もなく死にゆくものすべて」というセリフは東洋的な無常観に近いように思えますが、次の「罪を浄められた自然」(die entsündigte Natur)というのは、いかにも西洋的な発想ですね。
ヨハン)自然は、もともと「罪あるもの」なのでしょうね。次の「無罪の日(Unschuldstag)を勝ち取る」という言い方も、日本人からするとすごく違和感を感じます。
トマス)日本人のような「八百万の神」が住まう良くも悪しくもアニミズム的世界観の民族から見ると、すごく分かりにくいですね。でも、だからこそ、このような作品を理解しようとしてみるのは、非常によいことかも知れません。
ヨハン)パルジファルの最後のセリフと音楽は、しみじみとして、文句なくいいですね。これは古今東西を問わない感覚だと思います。

Ich sah sie welken, die einst mir lachten;
ob heut sie nach Erlösung schmachten?
Auch deine Träne ward zum Segenstaue:
du weinest, – sieh! es lacht die Aue!
私は目にしました・・・かつて私に微笑んだ娘達が萎れゆくのを・・・
今日は彼女達も救いを切望しているのでしょうか?
あなたの涙も、恵みのしずくに変わりました・・・。
泣いているのですか?・・・ですが御覧なさい!野は微笑んでいます・・・!

アンナ)歌い終わったあとのト書き「パルジファルはやさしく彼女の額に口づけする」が素敵ですね。ここのセリフと歌は、なんかキュンとくるものがあります。
トマス)これはオペラというファンタジーの世界だけが可能ならしめるシーンです。晩年のワーグナーはそれをはっきりと意識していたので、「もう現実には期待できないので、せめてバイロイトでつかの間の現実逃避をしてくれ」という意味のことを書いています。
ヨハン)クンドリーの救いは、あくまでファンタジーであって、現実にはあり得ないことなのですかね。ですが聖書には「マグダラのマリア」のエピソードがありますよね・・・。
トマス)新約聖書の四福音書においては、「マグダラのマリア」と「罪の女」は同一視されていないのです。ただ、パルジファルのもととなっているのは「聖杯伝説」ですが、ワーグナーは、そのおおもとをたどって、伝説的なマグダラのマリアとイエスの物語にたどりついたようにも見えます。もっとも、根っからの劇作家なので、どうしても男女の話にしてしまうのかも知れませんが。
ヨハン)冒頭の「聖金曜日の奇蹟」とは「クンドリーが救われる奇蹟」ではないかとの意味がわかってきました。
アンナ)私はこの「聖金曜日の音楽の魔法」を解かないと、日常生活に戻れないですよ・・・。
トマス)そんなところに申し訳ないですが、やはり62年のバイロイトの広告を入れておきましょう。名演かつ音質がいいですから、まだ持っておられない方は必携です。

Wagner: Parsifal 1962

Wagner: Parsifal 1962

  • アーティスト: Ursula Boese,George London,Gustav Neidlinger,Hans Hotter,Richard Wagner,Hans Knappertsbusch,Elsa-Margrete Gardelli,Irene Dalis,Šona Červená,Bavarian Festival Orchestra,Anja Silja,Dorothea Siebert,Gundula Janowitz,Rita Bartos,Georg Paskuda,Gerhard Stolze,Jess Thomas,Niels Møller,Bavarian Festival Chorus
  • 出版社/メーカー: Decca
  • 発売日: 2006/11/14
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