(3)〜死んだほうがいいのかい?(第2幕トリスタン)
今日は、トリスタンが「愛の死メロディー」にのせて歌い出すところを・・・。ここは動画がいっぱいあるので、お好きな動画で聴いてくださいませ。
TRISTAN
So stürben wir, ならばいっそ死んでしまったほうが(この一行が主文)
um ungetrennt, いいのかい、離れずに、(um 〜 zu +動詞の不定形は、英語のto+不定形と同じです。「〜するために」。ここでは最後で、やっとzu(to)が出てきます。そこまでずっと副文)
ewig einig 永遠に一体になって
ohne End', 終わりなく、
ohn' Erwachen, 目覚めることなく、
ohn' Erbangen, 不安を抱くことなく、(ohne=英語のwithout。あたまにEの音を繰り返してるのも特徴的)
namenlos 名も無く
in Lieb' umfangen, 愛にかき抱かれ、
ganz uns selbst gegeben, 自らを捧げ尽くして、(直訳「自分を完全にあげて」)
der Liebe nur zu leben! この愛のためにのみ生きたほうが!(nur=onlyは倒置でLiebeにかかっています)
私が一番気になるのは、最初の言葉stürbenです。これは、sterbenの「接続法第2式」で「婉曲表現または仮定表現」です。「ともに死のう」という日本語訳があるのですが、それだと原文のニュアンスを生かしきれてないような気がします。
これは私の解釈ですが、トリスタンは「何とか生きる道はないのか?」と探っているように思えてなりません。それに対してイゾルデは初めから死を覚悟していて、トリスタンを一緒に死のうと誘っているように思えます。その意味で、私はこれは「ファム・ファタール」が文学史に現れた最初期の例ではないかと思います。
トリスタンが何とか切り抜けようとするのは原作の「トリスタン・イズー物語」からの反映だと思いますが、それに現代的(今から見ると「近代的」?)な感情を盛り込んだのがワーグナーの脚本だと思います。
あともう一つ思ったのは、ここは「イゾルデの愛の死」と同じメロディーなのですが、言葉の響きがとても硬いです。(ゾー・シュテュルベン・ヴィア・ウム・ウンゲトレント)ただ力強さを感じさせますね。トリスタンが初めて「死」を決意した場面なのでイゾルデは最後にこのメロディーから始めるのですが、その歌詞は対照的に柔らかに始まる(ミルトゥントライゼ・・・)ところが、ワーグナー流の「バリエーション」の妙だと思います。「イゾルデの愛の死」では弱拍ではなく、いきなり強拍で、しかも柔らかく始めるところがググッとくる原因だと思うんですよね・・・。