リヒャルト・ワーグナーとロマン主義的世界観(序夜)〜ワーグナー生誕200年記念〜

いよいよ、5月22日は、リヒャルト・ワーグナー生誕200年記念日です。
これは、自分のようなワーグナーファンにとっては大記念日なので、何か記念になるようなことをしたいと考え、評論を書いてみました。
こんなに盛り上がってるのは、私だけかも知れません。しかも一人で(笑)。滅多にないことですから。
評論といっても、学生のレポートみたいなものではありますが、テーマは「ワーグナーロマン主義とは何か?」ということです。
Youtubeの音源にリンクしながら、数回にわたり掲載しようと思います。
今日は「プロローグ」なので、タイトルも『指輪』風に「序夜」としてみました。

プロローグ 
ワーグナーの音楽は、人々の『無意識』に訴えかける。それはあたかもフロイト精神分析を先取りしたかのようだ」と、ワーグナーの作品を愛してやまなかったドイツの作家トーマス・マンは語っている。全く同感なのだが、その理由はどこにあるのだろうか?
 私見では、その理由は、ワーグナーがその巨大な作品群で一貫して志向したものが、「人びとの原初の記憶」だからである。彼は、その作品世界で、キリスト教がヨーロッパに伝えられた時代を遙かに超え、ローマ帝国の時代も超えて、ケルト人がヨーロッパを席巻した紀元前、そして更にそれ以前の記憶にまで遡ろうとしている。
 実際、彼の作品は、ケルト由来の「アーサー王伝説」を下敷きにしたものが多い。そのうちの一つ、西洋音楽史を決定的に変えた作品『トリスタンとイゾルデ』の第3幕では、死に瀕しつつイゾルデを待ち焦がれるトリスタンが「原初の国の記憶」を歌う。ワーグナーの口癖は「純粋に人間的なもの」(の探求)だったというが、それはドイツロマン主義そのものが既に内包している考え方である。目に見える世界を超えて「始源」へと憧憬するロマン主義的世界観こそ、洋の東西を問わずワーグナーの作品を愛してやまない人々が共有する心情ではなかろうか。
 2013年はワーグナー生誕200年、死後130年のアニヴァーサルイアーだが、この間、ワーグナー上演は大きく変わった。巨匠指揮者と「ワーグナー歌手」による第2次大戦後の黄金期は、とうに昔のこととなり、オケの演奏水準は今も高いと思うが、全般的に歌手のレヴェルが落ちてしまったように思う。昔の歌手がスゴすぎたとも言えるが、全般的に「声で演技する」ということが無くなってしまったのはややさびしい。ただ、これも人によりけりなので、今後のリヴァイバルに期待したい所である。
 それよりも気になるのは演出である。もちろん良い演出もあるのだが、意図的にワーグナー作品を歪めるような演出は残念である。どんな「読み替え演出」でも良いのだが、作品の本質を無視してしまっては、ワーグナーが草葉の陰で泣くだろう。その意味では、昨年9月の二期会パルジファル』のクラウス・グート氏の演出は、まったく異論が無いわけではなかったが、作品の本質に迫った優れた解釈だったと思う。

さて、今日は序夜なのですが、ワーグナーばかりだと疲れるので、たまにピアノによるインテルメッツォを挿入しようと思います。自宅用のCDでは、伊藤恵さんによる下記のCDのピアノ曲を挿入しているのですが、ロマン主義的世界観に関心がある方には、ぜひ下記のCDを聴いていただき、ブログ上では代わりにYoutube上のヒストリカル音源をリンクしたいと思います。
[rakuten:hmvjapan:11840626:detail]
それにしても、彼女の演奏には、シューマンシューベルトに代表されるドイツ・ロマン派の神髄が表現されていると思います。本当に素晴らしい。このCDは、最後に収録されている「イゾルデの愛の死」のリスト編曲ピアノヴァージョンが、すごいです。
次回は、その『トリスタンとイゾルデ』を。やはりワーグナーといえばコレだと思います。