7人のイゾルデの「愛の死」について語り合う

トマス)「オペラ対訳プロジェクト」上で「7人のイゾルデが歌う愛の死」が公開されています。ヒストリカルですが、とても面白いですよ。
http://www31.atwiki.jp/oper/pages/1830.html
ヨハン)動画対訳というのは、日本語訳と原語が一緒に出てくるので、とても面白いですね。通常の字幕スーパーでは、日本語訳だけですから。
トマス)そうですね。「歌詞を味わう」というのは、実はワーグナーのオペラにもっともマッチしているように思えます。
アンナ)いろんな歌手で聴き比べてみると、それぞれの個性が面白いですね。
ヨハン)オケと指揮者の違いも、当然ながらすごく感じます。
トマス)それにしても、この動画対訳で初めて気がついて有意義だったのですが、この「愛の死」というのは、実は「L(エル)の饗宴」ですね。
ヨハン)というと?
トマス)Heller Schallend 以下が特にそうなのですが、とにかく「L」の音ばっかりが連続します。
アンナ)なるほど・・・確かにそうですね。挙げればきりがないのですが、Wellen、Schwellenと続きますね。その中にあって、umraushenの「R」は唯一の例外として出てくるから効果的なのですかね。この巻き舌のRは印象に残ります。
ヨハン)う〜む。クライマックス直前の単語もSchall、Schwallと畳み掛けますし、「宇宙」を意味するAll、最後の単語もLustです。
トマス)Lの音には「静謐感」というか「静かな感動」がありますね。そのあたりを味わうにはアストリッド・ヴァルナイがベストでしょう。彼女のディクションは素晴らしいと思います。逆に、このような歌唱によってこそ、ワーグナーの本来意図していたものに初めて気がつく面があります。
アンナ)これだけLが続くのは意図的なんですかね?
トマス)明らかに意図的ですね。それぐらいワーグナーにとって言葉の響きは大事だったのですが、往年の歌手というのはディクションがすごくきれいですね。今の多くのワーグナー上演では率直に言って不足気味の要素と思えるので、いまいちど原点に帰ってみてもいいんじゃないかと思います。私見では、言葉の生み出す響きと音楽との一体性が、ワーグナー特有の「セリフこみ音楽」の最重要なポイントなんですよ。
ヨハン)その意味では、マリア・カラスのイタリア語歌唱なんて論外のような気もしますが。
トマス)いや、決してそんなことはないですよ。これは逆にイタリア語だからこそ聴くべき価値があります。翻訳というのは、今まで見えなかったものを照射する価値があります。イタリア語にすると、おそらく母音の響きのせいで音楽そのものが明るくなるんですよ。
アンナ)確かに明るくなりますね。「ノル・ベデッテ(見えないの?)」なんて呼びかけ方が面白いですね。「カンツォーネ」みたいになります。こうして聞くと、底抜けに明るい歌のように聞こえるから不思議です。
ヨハン)ドイツ語というのは子音だらけだから重く暗くなるんですかね。
トマス)そうですね・・・。言葉によって音楽が変わるのは当然と言えば当然ですが、往々にして「曲が先にある」かのような先入観が私たちにはあります。
ヨハン)ニルソンの61年はウィーン・フィルショルティが振っているのですが、ショルティって、こんな演奏をしていた時期もあったんだなと思いました。わざとテンポを落としたり、ちょっと変わっています。なんか彼のイメージと違いますが初期の頃はこうだったんですかね。ニルソンも、すごくほっそりと歌っているのはショルティの意向かも知れませんが、あまりニルソンっぽくない。
アンナ)でも、このニルソンの歌唱はけっこういいんじゃないですかね。彼女の歌唱は、たまにパワーだけで押していて大味に感じられるのですが、これはあまり大味じゃないです。
トマス)同感です。ですが同じニルソンでも、クナッパーツブッシュの演奏で聴くと、やはりこの指揮者の力量がすごい。クライマックスに向けてヴァイオリンが一糸乱れず魔術のようにうねっていくのが凄すぎます。逆に、ナニコレ?って気がするぐらいです。もっとも、そのせいで歌よりもオケを聴いてしまう面がなきにしもあらずです。
アンナ)フリーダ・ライダーは、ヴァルナイやメードルよりも少し前、大戦中のバイロイトのスターだったと思いますが、この演奏ではテンポがすごく速いですね。
ヨハン)指揮者がバルビローリとは驚きです。後半どんどん速くなっていくので、ちょっと笑ってしまいます。なにかと競争しているみたいです。おいおい、そんなに急いでどこに行くの?みたいな(笑)
アンナ)私はキルステン・フラグスタートの1936年盤がイチオシだな。なんと76年前の演奏ですよ、コレ。すごいですね。前半があまりに美しすぎる。ちょっと信じられないくらい美しい歌唱です・・・。
トマス)何がどう違うのかを言葉で言うのは非常に難しいのですが、この録音では一語一語噛みしめるようにフラグスタートは歌っていて、本当にいいですね。「声の世界遺産」というものがあるとすれば、これこそそうだと思います。後半はちょっとオケの音質が悪いのが残念ですが、それでもやっぱりいいですね。
ヨハン)私もフラグスタートは良いと思います。52年盤も捨てがたいですが、やはり36年盤ですかね。とにかく自然体歌唱。
トマス)しかし、52年の演奏も捨てがたい。指揮がフルトヴェングラーだからでしょう。前半はフラグスタートを立てているのか、それほどには感じないのですが、歌い終わったあとのオケが素晴らしいです。
ヨハン)確かに・・・。はっとするような感じです。
トマス)フルートとオーボエが「レ〜ドシッラ、ファ〜ミレッド、ソーファミッレ」と上行しながら消えていき、ハープのアルペッジョだけが残るところの、ものすごい寂寥感。そして音をいつくしむような終結。どの演奏でもこの部分は素晴らしいのですが、やはりこれを聴くとフルトヴェングラーの凄みがわかります。
アンナ)フルヴェンは、この指揮者はいつもそう思うのですが、なんかこう「彼方の一点を目指している」ような演奏ですね。それが、この「愛の死」の音楽にはものすごくマッチしているような気がします。
トマス)同感です。これとクナッパーツブッシュを比較すると、クナは「何かを目指す」のではなく、「ただそこにあるだけでいい」というような演奏です。どの小節も同じように扱っているように思えるんですよ。フルヴェンが「有限」ならばクナは「無限」。これは決してどちらがいいということではありません。クナの演奏は『パルジファル』によくはまりますね。というよりは、クナが『パルジファル』をそういうものにしたのかも知れませんが。
ヨハン)先ほどの話に戻ると、フルヴェンだからかも知れませんが、『愛の死』のエンディングへ向かう瞬間って「絶対的な孤独」を感じます。でも、その一方で、「ひとりじゃないんだ」と言われている感じがして、すごく爽やかな感じもします。
トマス)本当にその通りで、これこそワーグナーの素晴らしい達成ですね。若いニーチェがなぜ『トリスタン』にあんなに入れ込んだのか分かるような気がします。あえて大胆に言えば、それはヨーロッパ近代が見た「自由」という夢がここで一瞬仮象として達成されているからではないでしょうか。私は、ニーチェが思想家として決定的な歩みを始めるスプリングボードとなったという視点でも、『トリスタン』を評価するべきだと思います。
ヨハン)アイリーン・ファレルは今回初めて聴きましたが、この歌手はとてもいいですね。今では全然知られていない録音の残っていない名歌手って、きっとたくさんいたんだろうなという思いがします。
アンナ)オケもいいなあと思って聴いていたら、なんとシャルル・ミュンシュですよ。
トマス)そうですね。私もこれはいいと思います。ちょっと新鮮な感じがするのはなぜかなと思って聴きなおしてみると、たぶんイタリアオペラ風のリリックな歌唱をしていることに理由があると思います。この人のエルザ(ローエングリンの)があれば、ぜひ聴いてみたいところです。
アンナ)ところで、マルタ・メードルが歌うイゾルデをあまり聴いたことがなかったのですが、う〜ん、これはあんまりピンときませんね。
トマス)彼女としてはイマイチですかね。この頃の彼女は、やはりクンドリーが似合っていたかも。
アンナ)ところで、このメードルのブロマイド写真は、よく見ますね。
トマス)昔のブロマイドって、なんかいいですね。この時代の好みを反映しているんですかね。私としては、フリーダ・ライダーとかフラグスタートがほっとするのですが。
ヨハン)私も、こういうかわいらしい顔のほうがいいですねえ。
アンナ)二人とも一体何なんですか・・・。ビジュアル的に一番素敵なのは、間違いなくマリア・カラスですよ。歌はイタリア語だけど(笑)
ヨハン)結局、みなさん、この中で一番いい演奏はどれでしょうかね?あえて順位をつける必要もないですが。
アンナ)私は1936年フラグスタートですね。
トマス)私も歌だけとるとそうなのですが、総合順位で行くと1952年フルヴェン=フラグスタートです。
ヨハン)結局フラグスタートざんまいじゃないですか(笑)。私は、アイリーン・ファレルとかニルソンも甲乙つけがたいですね。
トマス)いや、そのとおりで、みんないいんですよ。
ヨハン)逆から言えば、どの演奏も、どこかに不満があるということになりますね。
アンナ)そういうネガティブな言い方はいけませんね(笑)
トマス)でも、キルステン・フラグスタートの歌唱って本当に素晴らしいと思う。アストリッド・ヴァルナイもすごくいいのですが、彼女はイゾルデよりブリュンヒルデがさらにいいと思います。ブリュンヒルデとしては、いま録音で聴ける人としては最高にいいですね。指揮がクナというのも大きいと思いますが。