幼な子のあなたが母の胸に〜パルジファル対話篇(2)

トマス)前回の場面から少しさかのぼって、クンドリーがパルジファルに歌う「幼な子のあなたが母の胸に」を取り上げてみましょう。これは後期のワーグナーとしては珍しくアリアっぽい曲だと思います。実際、ワーグナー・ソプラノの女性はこの曲だけを取りあげて録音していることがあります。(35分35秒)
アンナ)聞きやすい感じがしますね。子守唄みたいな感じで。
ヨハン)ただ、いわゆる「クラシック」「古典派」を聴き慣れている私には、やはりとっつきにくい面があります。どこまでも果てしなく「ずれていく」ような印象があって不安になります。
トマス)その「ずれていく」という批評は実に的確ですね。ワーグナーの音楽の特徴が分かりやすく出ている曲です。楽譜を見ると、より理解しやすいですね。
フルスコアhttp://erato.uvt.nl/files/imglnks/usimg/d/d2/IMSLP63679-PMLP05713-Wagner_-_Parsifal_-_Act_II.pdf (楽譜の347ページから357ページ)。
ヴォーカルスコアhttp://conquest.imslp.info/files/imglnks/usimg/d/dc/IMSLP33697-PMLP05713-Wagner-WWV111a2VSmottl.pdf(175ページから179ページ)
ヨハン)これは8分の6拍子ですから、言ってみれば「バルカローレ」・・・「舟歌」なのですね。
アンナ)「舟歌」イコール「ゆりかごの歌」ですから、さっき私が言った「子守唄」も間違いではないですね。クンドリーはパルジファルの母親のことを語りながらも、自分自身が母親になりきっている感じです・・・。ん・・・?でも、この歌のメロディーって3小節単位になっていますね。楽譜を見て初めて気付きました。普通の歌なら4小節単位なんでしょうけど。
ヨハン)私がなんだか奇妙な印象を受けるのはそのためですかね。
トマス)メロディーとしては4小節のほうが収まりがいいはずなのですが、そこをあえて3小節に圧縮して、4小節目から繰り返しが始まっています。拍子を8分の9拍子にすれば2小節にできるじゃないかと思うのですが、そうではなくて、あくまで「8分の6拍子・4小節目カット」のメロディーです。
アンナ)このモティーフは、クンドリーが最初に「パルジファル!」と呼びかけたあとストリングスで初めて現れ、何度も繰り返される5度下降モティーフ(30分06秒)の変形ですね。ただし、5度下降は6度になっています。
トマス)元のモティーフは、7小節目で同じ形で姿を現します。8小節目の印象的な6度(F−D)上昇には「Leid im Herzen」の「Leid(悩み)」(35分59秒)という歌詞がついています。
アンナ)この6度上昇は『トリスタン』冒頭の動機と同じですね。そう考えてみると「悩み」という箇所にこの動機が当てられているのも意味を感じてしまいます。深読みかも知れませんが。
トマス)ワーグナーは、言葉と音楽を合わせるという点に、ものすごく神経をつかっていると思います。これは、多くの場合、純音楽的な要請よりもセリフを優先させているということにもつながります。13小節目でいきなり音楽の流れが打ち切られるところは、その典型でしょう。ただし、ここには「zujauchzte」(36分16秒)つまり「(赤ちゃんがお母さんに)喜びの声をあげた」という重要な語句がついています。
アンナ)原語のセリフの意味がわかりにくいですね。直訳すれば「お母さんの苦痛に、お母さんの目の薬が、喜びの叫び声をあげた」ということになりますが、これだと意味がとれません。
トマス)「ihrer Augen Weide」アオゲン・ヴァイデのヴァイデは、ワーグナーのお気に入りの単語だと思います。「目の楽しみ」つまり「目の保養」とでもいうのでしょうか。「赤ちゃんのはしゃぐ笑顔に、お母さんは苦しみも忘れてにっこりした」というのは意訳しすぎかも知れませんが、日本語だったらこれぐらい訳してもいいかな、という感じです。ワーグナーの言葉づかいの特徴はあまり難解な単語を使わないことで、必ずしも詩的ではないのですが「身体性」とでもいうのでしょうか、知覚を通じて無意識の記憶を呼び覚ますような感じがあります。もちろん音楽の力が大きいのですが。
ヨハン)確かに、古い記憶・・・子供の頃の原体験を呼び覚まされるような力がありますね。
トマス)クンドリーは、自分自身がヘルツェライデになり代わったようにして歌います。先ほどの印象的な6度上昇モティーフ(8小節目)は、そのあと11小節目に「Herzeleide」と歌い終わったあとで、上昇と下降を繰り返す、動きの速い弦楽器のモティーフ(36分11秒)に発展します。これがこのあと何度も現れ、クライマックスのところで何度も繰り返されることになります。
ヨハン)このへん、調号だらけですね・・・。冒頭の調性ははっきりとト長調で、チェロの低音は4小節にわたってGなのですが、5小節目あたりからどんどん半音階的になっていきます。
アンナ)歌の「1番」が終わると、「赤ちゃんを苔の上に寝かせた」という歌詞で、あたかも歌の「2番」のように、冒頭とほぼ同じ形で始まりますが、ヴァイオリンのメロディーの最初だけクラリネット・ソロが「ドルチェ」で重なっています。
トマス)「2番」の音楽(36分26秒)も同様に穏やかに始まりますが、先ほどの「Leid」と同様に8小節目「bang」(不安な)(36分48秒)にはE−Desの7度上昇音型がついていて、「Morgen」という歌詞のところで、ヴァイオリンがこのモティーフの速いヴァージョンを奏でます。そして「der heisse Tau der Traenen」(熱い涙の滴)という歌詞で「2番」が締めくくられます。
アンナ)次にオーボエ・ソロが「表情豊かに(ausdrucksvoll)」(37分26秒)入ってきますが、出だしの音は増4度高い(もっとも遠い音の)Fです。そして、その7小節後の反復(37分46秒)は、さらに半音高いFisで、歌のメロディーの動きともども、きわめて半音階的ですね。この辺りは歌の「2番」の締めくくりだと思うのですが、かなり流動的な印象を受けますね。
トマス)「半音階的」ということと「メロディーの無形式性」というのは、いわばセットですね。アリアは終わり、この箇所ではすでに「語り」になっています。アリアであれば「7小節のまとまり」は変でしょう。
ヨハン)そのあたり、どうも私は違和感を感じます。やはり、普通にイメージできる「アリア」からは、かなり遠いですね。
トマス)全くそのとおりですね。先ほども言ったように「セリフ優先」だからそうなるのだと思います。
アンナ)ワーグナーは、初めに音楽があって、それに歌詞をつけているわけではないのですかね。
トマス)この部分を含めて、後期の作品の大部分はそうでしょうね。だからと言って、万人をうならせる「名詩」を用意しているわけでもないところが、ワーグナーの不思議なところですが(笑)。ただし、そんなに非難されるほど悪い詩ではないと私には思えます。今話しているこの歌も、子供を思う母親の気持ちがよく出ていて、とてもよい歌詞だと思います。
アンナ)でも、やはり歌詞に比べて音楽の素晴らしさのほうが際立つのではないでしょうか?
トマス)そうですね。ワーグナーの後期作品の多くの音楽は「器楽音楽」としては成立しないもの・・・台本がなければ成立しないもののように思えます。たとえばモーツァルトのアリアは、歌詞がなくて、器楽だけで演奏しても十分聞けます。現代のポップスもほとんどがそうだと思います。でも、このクンドリーの歌は音楽だけでは聞けません。アリアっぽいけど、やはりアリアではないのです。
ヨハン)う〜む。言われてみると、ワーグナーで器楽だけでも成立する曲って、前奏曲を別にするとあまりないですね。オケだけで演奏しても聞ける曲はないのでしょうか。タンホイザーの「夕星の歌」や『マイスタージンガー』の「懸賞の歌」がありますね。あっ・・・あと一つしょっちゅうやるのがありましたね。『イゾルデの愛の死』です。
トマス)そうですね。「懸賞の歌」は例外的に普通っぽい歌ですね。逆に真っ当すぎてつまらないのでオケだけでは演奏しないと思います(笑)。『愛の死』にしても歌が付いていたほうが全然いいですが、作曲者自身がそれだけじゃもったいないと思ったような気がします。あくまで個人的意見ですが、ワーグナーの歌付きの曲は、本当はオケだけで演奏しないほうがいいと思います。理由は「器楽音楽」として聞いてしまうので、聞きようによってはヘタクソな曲に思えてしまうからです。初めのコンセプトと異なる形で理解しようとすると誤解を招きやすいのです。彼の音楽は、あくまで「セリフ」のための音楽で「器楽音楽」「絶対音楽」ではないんですよ。「愛の死」はまだ比較的いいと思いますが、「聖金曜日の音楽」のオケヴァージョンは誤解を招きやすいですね。誰も歌わないカラオケボックスで歌だけ流れているような・・・。
ヨハン)たしかに「聖金曜日」のオケバージョンはカラオケみたいに聞こえますね。「愛の死」もそうです。もっともカラオケで歌う人がいるとも思えませんが(笑)
アンナ)あんなすごい歌、一般人にはとうてい歌えませんよ! でも、このクンドリーの歌も歌いにくそうですね。すさまじい半音階メロディーです。
トマス)「歌」だと思わないで「セリフ」だと思ってトレーニングするのかも知れませんが・・・。
ヨハン)半音階もさることながら、メトリークがまちまちなのも、相当慣れないと難しいと思いますよ。
アンナ)ここでも「7小節」のあとは「5小節」ですからね。しかも最後の小節では拍子が変わって8分の9拍子になります。でも、次から始まる弦楽の「ズンズンズンズンズンズン」(38分01秒)というのは、いいですね。このムードが好きな私はヘンですかね?
トマス)いや、こういうところが好きというのは、ワーグナー・ファンの証みたいなものですね。和声的には、ここは、C−E―Gisの増5度の和音となっていますが、独特の雰囲気は低音(チェロ・コントラバス)のGis−C−Eの動きから生まれているんですね。最初の1小節だけバスを重ねる書法がいいですね。
ヨハン)これは「戦い」のイメージなんでしょうか?「Den Waffen fern」(武器から遠ざけ)と始まりますから。
トマス)そうですね。もっと言えば、ヘルツェライデにとっての「男たちの世界」のイメージが音になっているのだと思います。彼女は「男たちの戦争と怒りの世界」から我が子のパルジファルを守ろうとするのですから。
ヨハン)そうか・・・。「セリフが先」というのが分かってきました。オケがセリフの「背景」を作りだしているのですね。
アンナ)このあと、第1ヴァイオリンが、この曲の最初のモチーフの変形を何度も繰り返し始めます。(38分19秒)そして、どんどん切迫していって、8分音符が連なり、クライマックスを形づくります。
トマス)ここは文句なく素晴らしい音楽ですよね。何も語る必要はないですが、スコアを見て初めてよく分かったことは、ここは第1ヴァイオリンが16分音符を刻み、第2ヴァイオリンとヴィオラが8分音符で交差しあって・・・(39分07秒)と、かなり凝った書き方です。万感がこもっているところほど、凝った書法をしている場合がありますね。
ヨハン)それにしても、音楽が落ち着いて、急にふっと静寂に包まれるところのハーモニーは素晴らしいですね。(39分19秒)
アンナ)憧れと悲しみが一緒になったようなハーモニーですが、調性は一つところに落ち着かず、移ろっていく時間のただ中にあるような感じがします。でも、ここにもクンドリーの歌声が乗っていますね。「あなた、そのお母さんのキスに怖くなるぐらいだったんじゃないの?」というセリフの、最後の「bang」の「バ」という破裂音(39分29秒)が印象的です。
トマス)言葉の「意味」と「響き」は表裏一体のものですね。ワーグナーは主著といわれる『オペラとドラマ』の後半で、そういった話を延々としています。彼は、ドイツ語の「子音」と「母音」の役割の違いについても語っています。ただし、書き方がまわりくどすぎて、ほぼ誰にも理解できないんですよ(笑)。本を読んでワケがわからなくなるよりは、音楽を何度でも聴くほうがよほどいいですね・・・。ですが、彼にとっての「言葉の響き」の重要性はどんなに強調してもし過ぎることはありません。このシーンでは、その点がわかりやすく出ていると思います。(※『オペラとドラマ』の前半は、とてもわかりやすい話が多いです)
アンナ)このクライマックスシーンを迎えたあと、音楽はものすごく静かになりますね。(40分04秒)
ヨハン)息絶えるような音楽です。このあたりの音楽は、むしろ理解しやすい感じがしますね。おなじみのレチタティーヴォ・アッコンパニャートのようにも聞こえます。
アンナ)でもスコアを見ると面白いのは、ここに来て、最初の「アリア部分」より、むしろ譜表が増えたような感じがします。よく見るとウインドソロばかりですね。アルトオーボエイングリッシュホルン)とかバスクラとか・・・。
トマス)息子を失った母親の悲しみを表現する重要な場面ですから、これだけ繊細なオーケストレーションで書いているのだと思います。クンドリーが最後に「ヘルツェライデは死んだのよ」と歌い終わるとき、パルジファルの歌の入りに備えて、リズムが4分の4拍子になります。このシーンはおおむね、パルジファルは4拍子で、クンドリーは3拍子系なのです。このへんも、楽譜を見るとよく分かるので、面白いですね。
アンナ)歌いおさめに、もう一度冒頭のモティーフの変形が第1ヴァイオリンで歌われ(40分42秒)、最後にはブリュンヒルデの動機を思わせる32分音符も登場します。(40分58秒)これはいわばワーグナーの「登録商標」みたいな感じの音型ですね。
ヨハン)これで「ヘルツェライデの物語」が終了すると、ト書きにあるように、パルジファルは母親を思い出して、激しく悶え苦しみますね。
トマス)私は、このクンドリーの歌を初めて聞いたとき、クンドリーというのは、ヘルツェライデ自身なのではないかと思いました。しかし、もう一度よく考えてみると、クンドリーは時空を超越した女性、男性から見た「女性性そのもの」として描かれていることがわかります。母親であり恋人であり、聖女であり魔女であるというイメージは、ドイツ・ロマン派文学としてはそんなにオリジナルなものではないかも知れませんが、この人物を音楽的に具象化するワーグナーの音楽がすごい。
ヨハン)『タンホイザー』では、聖女と魔女のイメージは、エリーザベトとヴェーヌスに、いわば「分化」して表現されているのですね。
トマス)それが『タンホイザー』の弱点でしょうが、この作品は良くも悪しくも「物語」になっているので、気軽に楽しめる面があります。それに比べると、パルジファルの登場人物たちは、神話的であると同時に、とても生々しい現実的存在感があります。ドストエフスキーの前期と後期の違いのようなものですかね。
アンナ)クンドリーって、ドストエフスキーの『白痴』の女主人公ナスターシャと共通点がある感じがします。どこがどうというのではなく、あくまで性格的なイメージですけど。
ヨハン)たしかにクンドリーのキャラは、小説にしてもおかしくないほど心理的に掘り下げられている感じがします。逆に、オペラとしてはやり過ぎな感じもしますね。
アンナ)それに比べると、エリーザベトとヴェーヌスというのは、どうもキャラが立っていない感じがしますね。だから、『タンホイザー』のほうがむしろ演出は難しいのではないでしょうか?その点、クンドリーのほうは、セリフをちゃんと読めば彼女のキャラがわかるから、あまり手を加えなくてよいと思います。女から見るとクンドリーは分かりやすいキャラだと思いますが、どうでしょうか?イエス・・・これは現実のイエスでなくてもいいのですが、そんな人が本当にいたら、これは一生を棒に振りますよ。しんどすぎて、こわすぎます。