ワーグナー生誕200年記念対談(1)〜ロマン主義的自己愛とその超克(トリスタンとイゾルデ)〜
誕生日の翌日のNHKの朝のニュースで、「ドイツでワーグナー200年目の誕生日が祝われている」とやっていたので、「おお。さすがにニュースになるか!」と思ったのですが、ほとんどが「ワーグナーには負の側面があり、ワーグナーの音楽が大好きだったヒトラーに利用された」との話でした。ガクッ。第2次世界大戦の映像をバックに、ワルキューレ騎行の音楽が流れています。アハハ・・・。
私のようなファンは、「まあ、事実は事実だけど誤解を招くよね」と思うのですが、全国レベルで、多くの人が「ワーグナーはやはりナチスと結びついたとんでもない奴だ」と思ったような気が・・・。困ったものです。一面だけの偏った見方をさらに強化しないでほしいな・・・。
「ワルキューレの騎行」というのは、もちろんいい音楽なのですが、そもそも戦場を描いている音楽だから、どうしても戦場の映像がピッタリはまるわけですよ。どうせワーグナーを偲ぶなら、「イゾルデの愛の死」とか「聖金曜日の音楽」を使ってほしいんですよね。絶対にありえないでしょうが・・・。
言い過ぎかも知れませんが、結局、ヒトラーやゲッベルスのやっていたのと同じレヴェルのプロパガンダ映画みたいな映像を日本全国に流してしまっているわけですよね。それぐらいなら、むしろ何も報道してほしくないんだけどな・・・。
やはり、ワーグナーは、そういう誤解を招く人なんでしょうが、彼の作品の一番いいところを聞いていただいた上で評価してほしい・・・。そう強く感じてしまいました。
さて、だからというわけでもないですが、せっかく「オペ対」にも、「アリアにジャンプ」のリンクを貼ってもらったことですし、『ワーグナーとロマン主義的世界観』の、いわば「後書き」を、鼎談で継続してみようと思います。
アンナ)ワーグナーのロマンティシズムについては、私も同感です。とりわけ、「トリスタン」「パルジファル」に、それが濃厚ですね。一面、ロマン主義というのは、そもそもすごく「自己愛的世界」な側面がありますね。私自身がロマン派の芸術にどっぷり浸かっているので、身につまされてしまう部分もあるかも知れないですが。
ヨハン)ワーグナーの作品には、感情を抑えきれない、というか「大人じゃない」感じがありますよね。ロマン派の芸術全体にそれがあるような気がします。とはいえ、たとえばシューマンの音楽は「内向きにロマン的」なので、個人的な趣味の範囲に収まる一方、ワーグナーの音楽は「ロマン的な自己愛を外向きに押し出している」ような感じがするんですよ。そこに、ちょっと怖い点があるような気がします。
トマス)う〜ん。なかなか鋭いですね。そのシューマンとの比較を聞いて、アドルノのこんな文章を思い出しました。ちょっと長いですが、興味深いので、引用します。(アドルノ『ベートーヴェン 音楽の哲学(改訂版)』(大久保健治訳・作品社)P.249〜251の抜粋)
シューマンにおいて真に特徴的な点として、これはその後のマーラーやアルバン・ベルクにも当てはまる点であるが、自分自身を維持できないこと、自分を投げ与え、投げ捨てるということがある。(中略)この動機がもっとも純粋なのは、『幻想曲ハ長調』の場合であって、この曲の最後の楽章などは、海のうえに身を委ねて運ばれていく姿勢と、完全に一致しているのである。こうした姿勢と類似したものとして、ワーグナー的なもの、溺れること、沈むこと、無意識であること即、最高の喜び(※これらは『イゾルデの愛の死』の詩句)とすることがあるが、両者はそれでいて異なっている。(中略)シューマンは内面的という点では、ワーグナーよりもはるかに優れている。身振りはごく控えめ。失礼いたします。もうこれ以上お邪魔いたしません、といった身振りである。(市民的なのだ。シューマンはワーグナー以上に市民的であり、その分ワーグナーより優れている。)(以下、略)
ヨハン)なんか、ぼくの言いたかったことそのままな感じです。スッキリしました(笑)
トマス)せっかくなので、ここで取り上げられている「幻想曲ハ長調」の第3曲を聴いてみましょうかね。ピアノはギーゼキング。
http://www.youtube.com/watch?v=lTi30uznEcI
アンナ)シューマンのこの曲は、第1曲の冒頭部分からして、ロマン派の核心だと思います。ロマン的感情の最大のものといえば、やはり恋愛感情ですね。『トリスタン』は、全編、その霊感に満たされています。第2幕の、イゾルデの「愛の女神を知らないの?」からの高揚には、いつ聴いても、しびれてしまいます。(動画は9分32秒から。1952年バイロイト)
http://www31.atwiki.jp/oper/pages/49.html#Zaubers
http://www.youtube.com/watch?v=ptF7likxFOU
トマス)『トリスタンとイゾルデ』という作品の凄みは、「どうしようもなく恋してしまう」という一種の神秘体験を、余すことなく描ききっていることにあると思います。だからこそ、ワーグナーは、この作品で、そこからの「解脱」をも激しく望んでいます。この胸苦しいまでの緊張感は、恋愛という特殊な感情体験の肯定性と否定性から導き出されるものですね。
ヨハン)それが自己愛であると知りつつも、そこから逃れられない、というイメージですかね。
トマス)特に、トリスタンの感情に、それを感じます。
アンナ)そこから『パルジファル』の世界までは、すぐですね。
トマス)そのとおりで、第2幕後半のクンドリーのキスの直後のパルジファルの告白は、トリスタン第3幕のトリスタンの嘆きから直接導き出されてきたように思えます。
ヨハン)それにしても、ワーグナーは、ヴェーゼンドンク夫人によほど入れあげてたんでしょうね。ワーグナーもワーグナーですが、マティルデさんもあんまりだと思わなくもないですが。
トマス)マティルデは、夫と別れるつもりは、なかったでしょうね。これは色々の意味で当然のことだったと思いますが、だからと言って、ワーグナーに対して何もなかったかといえばそうでもないですね。
ヨハン)やはり相手は数百年に一度という芸術家ですから。
トマス)ともあれ、ワーグナーはこの経験を糧に、『トリスタン』という決定的作品を生み出したのが凄いと思います。全編が聞きどころなのですが、今回は、第3幕のトリスタンのモノローグで締めとしましょう。(動画は35分57秒より)
http://www31.atwiki.jp/oper/pages/51.html#Weise
http://www31.atwiki.jp/oper/pages/2313.html
アンナ)あらためて聞いてみると、ロマン主義的自己愛でもあるのですが、それを超える原理を何とかしてつかみ取ろうとする表現でもあるような・・・。
ヨハン)とにかく真剣ですよね。この真剣さが、いやな人もいるかも。
トマス)「嫌い」というのは、別にいいんですよ。ステロタイプなイメージを払拭してほしいなと。
アンナ)私は、その後に続くトリスタン第3幕のこの箇所が、とても好きです。ひたすらイゾルデへの憧れを歌うのが、ほんとにいい。(動画は45分43秒より)
http://www31.atwiki.jp/oper/pages/51.html#drauf
http://www31.atwiki.jp/oper/pages/2313.html
トマス)私もここはとても好きです。ワーグナーがようやくたどり着いた、諦めと悟りの念が聴こえてくるような気が・・・。
ヨハン)ワーグナーって、こういう素直に美しい音楽も書けるんですよね。そこがさすがだなと思います。
トマス)この音楽をテレビで流してくれると、きっとイメージが変わるんですけどね(笑)