新国立劇場「ラインの黄金」

10月4日(日)の公演に行けたので、簡単ですが、その感想を。
飯守泰次郎氏の指揮、東京フィルの演奏は、昨年の『パルジファル』から比べるとイマイチ精度が高くないように思えたのが残念でしたが、全般的には演劇的な側面を重視した演奏だったように思えます。(とりわけ第2場のやり取りは、喜劇的な側面を重視したようなアクセント付けが印象的でした)
比較的静かな場面で秀逸な演奏となっており、第1場のラインの乙女たちが「ラインゴルト!ラインゴルト!」と叫ぶ後の音楽や、第4場のフライアが帰って来る場面が、とても良い音色となっており、再発見がありました。
おそらく今回の解釈で、最も力点を置いていたのは、おそらくエルダのシーンでしょう。ここはテンポをゆったり目に取って、安定した金管の音の上で、エルダ役のクリスタ・マイヤーさんが、まさに託宣のような歌を聞かせてくれました。飯守氏としては、「すべてのものは滅ぶ」と歌うこの箇所に最も現代的な所を読み取っているような気がしました。
歌手陣は全体的に安定した歌唱でしたが、ローゲ役のステファン・グールド氏がさすがに良かったです。ローゲはキャラが面白いので、やはりジークフリートを歌うほどの人が歌ってみると、なかなか面白いものがあると感じました。
アルベリヒのトーマス・ガゼリ氏も、なかなかの演技ですし、シモーネ・シュレーダーさんは若々しい声のフリッカで、この方も良い味わいがあります。
ヴォータンのユッカ・ラジライネン氏はお馴染みですが、私としてはもう少し貫録があるといいなあと思うのが毎度のことです。
演出(ゲッツ・フリードリヒの晩年の演出)は、そんなに奇をてらうようなものではないので、基本は音楽を聞かせるコンセプトなのかな?という印象です。あえて印象的な所を挙げると、第1場の「黄金」が非常に存在感があったのと、第4場の「ヴァルハラ入城」の雷のシーンがシンプルながら照明効果で分かりやすく出来ていたと思います。
やはり全般的には、音楽重視の舞台のような感じがします。何と言っても「序夜」なので、まだ何とも言えない部分もありますが、これはこれなりに楽しめた一日でありました。

マイスタージンガー第1幕対訳完成

オペラ対訳プロジェクトに、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕をアップしました。
(前半。第2場まで)http://www31.atwiki.jp/oper/pages/135.html
(後半。第3場以降)http://www31.atwiki.jp/oper/pages/136.html
予想通りではあったのですが、やはり「マイスタージンガー」は難関でした。そもそもセリフの言い回しが古い時代の用法だったり、辞書に乗っていない単語があったり、登場人物(特にベックメッサーとダーフィト)がマイスター歌曲の独特のジャーゴンを披露したり、と頭を抱える要素満載です。その要素が特に顕著なのはこの第1幕なので、第2幕以降はもう少し難易度が下がる・・・のではないかと甘い期待を抱いているところです。そもそも喜劇というのは、当てこすりや諷刺、皮肉など言葉の裏を多用するので、悲劇よりも難しいのは承知の上でしたが、とにかく何とか第1幕完成までたどりつけたのはホッとしました。
さて、この間、長い間本ブログ記載を中断していたのですが、「もうすぐこの第1幕ができたらその時に」と思いつつ、日常の些事にも追われ、数か月を経過してしまいました。目下の心配事は、目前に迫った新国立「ラインゴルト」に行けるかどうかです。

「名セリフで読み解く指輪」〜第2回「ヴァルキューレ」

「指輪」コメントの第2回です。
http://www31.atwiki.jp/oper/pages/2411.html
ヴァルキューレ」は、来年4月の東京春祭でも演奏会形式で上演されますので、対訳ともども予習などにご活用いただければと思います。(なお、恒例のNHK・FMバイロイト録音の「ヴァルキューレ」は12月25日21時からとのこと)
それにしても、今年は「気づいたらクリスマス」な感じがすごくします。齢を取ると時間が加速すると言いますが、それを本当に実感してしまうので、この調子であれば、もうすぐに4月だろうなと・・・。
ヴァルキューレ」は、指輪四部作の中でも、ダントツの人気作ですが、これは何と言っても、「ヴァルキューレの騎行」の音楽で、名前が知られていることが大きいでしょう。
しかし、そう思って特に予備知識なしでこの作品を見ると、ストーリーが複雑で面食らいそうですね。コメントにも書いたように、これをブリュンヒルデの物語として見れば、第1幕は長大な序幕(プロローグ)で、第2幕からが本題と言えます。ところが、音楽的には、第1幕の音楽の魅力が強いというのが面白いところです。
4月は、ジークリンデをヴァルトラウト・マイヤー、ジークムントをロバート・ディーン・スミスというベテラン配役陣なので、危険を感じてそろそろ買っておこうと思ったら、やはりかなり席が埋まっていました。危ないところでした。

「名セリフで読み解く指輪」について〜第1回「ラインの黄金」〜

オペラ対訳プロジェクト「ニーベルングの指輪」訳了を機に、訳者コメント代わりに、タイトルのページをアップしたので、ぜひご覧ください。
http://www31.atwiki.jp/oper/pages/2809.html
動画対訳(デッカ版のショルティウィーンフィル)で、該当箇所に直接リンクしていただいたのが、ありがたいです。
動画対訳の良さは、これを見ていると、私にも、頭韻を踏む面白さがよく分かることです。
たとえば、最初のラインの娘たちの合唱、Traulich und treu はtr(トラorトロ)
次の、falsch und feig は、f(ファ)で頭韻を踏んでいるように思えます。
http://www.youtube.com/watch?v=keabquK8Zsc&feature=youtu.be&t=2h24m2s
厳密に言うと、これで正しいのかはわかりませんが、あらためて歌を聴いていると、この工夫は十分効果的な感じがしますね。
とりあえず「ラインの黄金」から入ったのですが、「ワルキューレ」以降も続けていく予定です。

オペラ対訳プロジェクト「ニーベルングの指輪」CDプレゼント(明日11月3日締切です)

すでにご覧いただいていると思うのですが、いよいよ明日が締切ということなので、念のため、ご案内です。
http://www31.atwiki.jp/oper/pages/2708.html
オペ対の管理人さんによると、昨日時点で、174人とのことです。けっこうな数の方が申し込んでいただいているようで、私まで嬉しくなってしまいます。
私も申し込みたいのですが、メンバーは申し込めません。なんと残念なことでしょう(冗談です。主催者側なので当然ですね。)
PVもどうぞ。
https://www.youtube.com/watch?v=dKB-mdWfHiw
これ、かなりハイテンションな動画で、特にラストが吹きだしてしまったのですが、中間のCDジャケットの連続画像が、とても面白いですね。
これを見ていると、ジャケットの美しさって、けっこう大事だなあと思います。今回、私がイチオシなのは(あくまでジャケットだけの話です)、フルトヴェングラー=ローマのジャケット。デザインとロゴがすごくいいです。これを見ると購買欲が湧きます。
また、日本のワーグナー上演に画期を刻んだ朝比奈=新日フィルのCDも、私は山野楽器の旧盤を持っているのですが、今はこんな感じなんですね。これも、日本のオケ大好きな私としては、いい感じです。
(山野楽器のは、今から見ると、デザインはちょっと古くさい感じなのですが、渡辺護の全対訳と、朝比奈隆のインタビュー、さらに「指輪」ライトモチーフ集などがついている、私にとっては宝物であります)

それにしても、私としても、当選した方が、この中からどのCDを選ぶのか?というのが楽しみです。
今回の試みは、amazonでの『指輪』CDを、ほぼ網羅していると思うので、その意味でも貴重かも知れませんね。
すごいお得版もあるので、気になったものをお求めいただくのも、良いかも知れませんね。

「ニーベルングの指輪」対訳完了

本日、オペラ対訳プロジェクト上に、「ジークフリート」第2幕第3場の対訳をアップし、長い間取り組んできた『ニーベルングの指輪』の対訳をようやく完了しました。
http://www31.atwiki.jp/oper/pages/1843.html
ジークフリート」の第2幕は、アルベリヒとヴォータンの掛け合いに始まり、ジークフリートの森のささやき、龍(ファフナー)との決戦、森の小鳥の歌、アルベリヒとミーメの兄弟げんか、思ったことをそのまま話してしまうミーメと、面白い要素が盛りだくさんで、楽しく訳せました。幕切れも、ジークフリートが希望にあふれてブリュンヒルデの岩山に向かうハッピーエンドなので、偶然ですが、ここで訳了というのも良かったなと感じています。
第2幕http://www31.atwiki.jp/oper/pages/190.html
考えてみると、『指輪』に取り掛かったのは、今から約4年半ほど前の『ジークフリート』第3幕の「ブリュンヒルデの目覚め」からでした。今回、完成を記念して、管理人さんがこの場面の動画対訳を作成してくれました。「オペラ対訳プロジェクト広報室」からどうぞ。
http://oper.at.webry.info/201410/article_4.html
ブリュンヒルデを歌うのは、私の好きなアストリッド・ヴァルナイ。ジークフリートのヴィントガッセンも素晴らしいです。この1954年ごろから、バイロイトの『指輪』のヒロイン・ヒーローは、ヴァルナイとヴィントガッセンのペアが多くなっていますので、この音源はそのプロモーションも兼ねていたのかな?などとも推測します。指揮のヘルマン・ヴァイゲルトは、ヴァルナイの師であり、かつ夫君でもあった優れた練習指揮者です。当時の音楽界が、このような「名裏方」に支えられていたということを実感できるという意味でも貴重な録音かも知れません。
ヴァルナイの自伝によると、ヴァイゲルトは彼女に対して、そのセリフを登場人物がどのような心情で歌っているのか常に理解して歌うように、と教えたとのこと。ある意味当たり前のような気もしますが、一見当たり前の基本中の基本をやり抜くということが、何と言っても重要なのではないかと思います。
とりわけワーグナーの場合は、それが決定的な要素になると思います。動画対訳のおかげで、ヴァルナイの「声の演技」の完璧さが実感できて、私が言うのも何ですが、感動してしまいました。
対訳については、今見ると、当時と今とでは訳し方が変わっているので、少し雰囲気が違うものを感じます。今回ほんの少し手を入れたのですが、やはりいい所もあるので、基本的には大きく直しませんでした。
ただ、今回、完成を機に、第3幕の前半と、『神々の黄昏』にかなり手を入れました。特に『黄昏』は、登場人物の言い回しなどにかなり手を加えています。
『指輪』完成には、さすがに個人的に感慨深いものもあるのですが、私はオリジナルのあるものを翻訳したにすぎないので、やはり原案・脚本・音楽・舞台指示など、ほぼ全てを独力で完成しきったワーグナーという芸術家のスゴさを改めて実感できたのが最大の収穫でした。
今さらですが、私の『指輪』翻訳は、できるだけ古めかしい感じは出さず、現代日本でもそのまま通用するような感じにしています。特に、ジークフリートは、あまり「英雄(勇者)」っぽい感じというよりは、等身大の「ぼく」として現れています。その点、あるいは違和感がある向きもあるかも知れませんが、これは意図的で、そうあるべきものと私は考えています。
さて、広報室の末尾で、管理人さんは「明日から祭です」と書いていますね。意味深な感じですが、何が始まるのでしょうか?

クプファー氏の演出について(3)〜新国立劇場「パルジファル」第3幕

ついに2回目の上演の第3幕。
これだけ散々聴いてきて、この幕で終わりかと思うと、一人ため息が出てしまう、世の人々には理解しようもないワーグナーマニアの心理の切なさです。
さて、第3幕でも前奏曲が始まると同時に幕が上がり、第2幕冒頭でクリングゾルが槍を持ってうつぶせに倒れていたところに、今度はパルジファルが倒れています。前奏曲の「迷い」を表すような音楽に合わせて起き上がり、後方に進むと、そこにシャツだけの青年がいるのですが、シャツの青年はパルジファルに水を与え、パルジファルは逆にコートを脱ぎ棄てて青年に与える。そこに、さらに後方にいた僧侶3人の1人が進み出て、パルジファルに自らの袈裟を与えます。ここで長い迷いにもようやく出口が見つかったのか、パルジファルは僧侶に手を取られて、階段を降りて消えていきます。
このあと、冬の大地(を思わせる白をLEDフロアが映しています)に横たわっているクンドリーをグルネマンツが介抱すると、クンドリーは打って変わって真摯なムードで登場します。
その後に、パルジファルが登場するのですが、感動的だったのは、パルジファルの素姓が明かされるところの音階の下降モチーフ。響きを豊かに増していくと、やがて緩やかな大河のように落下していく。実に素晴らしかったです。
パルジファルを救済者として受け入れるシーンは、非常にオーソドックスな表現でした。クンドリーは泉に水を汲みに行き、グルネマンツはパルジファルの靴を脱がせます。その足にクンドリーは香油を塗り、自らの髪で軽くふき取ります。その後も両名は静かに見つめ合っていて、その様子をグルネマンツが驚きながら、やや恥ずかしそうに(?)見つめているのが、実に芸の細かい所で素晴らしいものを感じました。フランツ氏は相変わらず粗末な衣装で顔つきも柔和ですし、ヘルリツィウスさんも「世界名作劇場」にでも出て来そうな(?)絵に書いた少女のようで、これが第2幕のクンドリーと同一人物か?と疑うほど。その和やかな安らぎの中、二人が額をつけ合うと、やがて聖金曜日の音楽となります。
聖金曜日の音楽では、パネルの床が、新緑を思わせる鮮やかなグリーンと白に輝くのが、何と言っても素晴らしい効果を上げています。音楽の進行に伴って、背後のスクリーンには、青空と虹も映し出されますが、舞台装置はそれ以上のことは語らず、全てを歌手の演技と音楽に委ねている印象。今日の飯守氏は、落ち着いたテンポで、じっくりと歌と楽器を歌わせており、ふくよかなサウンドも素晴らしく、たいへん見事な音楽となっていました。
6日の演奏では、最初に若干、歌とオケがそろっておらず、もどかしく感じたのですが、今回はそれもなし。グルネマンツのトムリンソン氏が、実に慈愛を込めて、救済者をめぐる難解なセリフの箇所を歌っていたところに聞き惚れました。
また、オケがとりわけ素晴らしかったのは、クライマックスでヴァイオリンが幅広くメロディーを歌う直前。ウインドソロ(オーボエとフルート)が、付点音符のリズムを交互に歌いかわしながら、上昇する音程を5度から6度へと広げていく箇所。ここが、劇場のクリアな音響とも相まって、直接、脳内に溶けていくように美しかったです。
(なお、このウインドソロの付点音符リズムが、ついには第1ヴァイオリンのオクターブ上昇に変化していくのですが、これは、第1幕の舞台転換の音楽の「苦悩の叫び」直前にあるオクターブ上昇の再現であり、変容でもあることに、今回、「舞台転換の音楽」を分析したことで、初めて気づきました。また、このモチーフは、『タンホイザー』序曲の第1主題の後にすぐ引き続き出てくるモチーフでもあります。)
切なさの中にも憧憬を込めて歌われるこのような短いモチーフの変容ぶりこそ、晩年のワーグナーのエッセンスとも言い得るように思えるのですが、今日11日の演奏では、その意味が、飯守氏のタクトのもとで十全に開示されたように思えました。その後に解き放たれたように伸びやかにメロディーを歌うヴァイオリンも、もちろん素晴らしかったです。
さて、第3幕のおどろおどろしい舞台転換では、騎士たちがティトゥレルの棺とともに現れ、アンフォルタスが再び「メッサー」の上に横たわって現れます。彼は、苦悩の限りを込めて歌いますが、私の印象では第1幕と同じで、なんとなく元気すぎる(?)ような感じがします。そのため、個人的には、いま一つ切迫性を感じず、その後騎士たちが暴動のように詰め寄る所も、もうひとつ乗り切らないように感じました。これは5日も同じことを感じました。エギルス・シリンス氏自身は良い歌唱なのですが、私のイメージからすると、どうも「強すぎる」アンフォルタスのような気も。
それと関係しているのかどうか、パルジファルが槍を差し出して登場するところも、やや安易な感じがしないでもないです。
とはいえ、演出を弁護すると、やはりこの作品のラストは難しいな、という気はします。予定調和的だと安っぽく見えてしまうし、ハッピーエンドに捉えないと今度はシニカルに見えてしまうし、と実に難しいところです。
とはいえ、今回の演出は、事前のインタビューなどでは、もっと懐疑的な結末なのかなと思っていたのですが、思った以上にハッピーエンドでした。それは、実は私の解釈に合っているのですが、そう思うと逆に懐疑的に見てしまうという・・・。まったく贅沢なものです。
大詰めでは、パルジファルは自らの袈裟を分かってクンドリーとグルネマンツに与え、さらには騎士たちにも共に来るよう呼びかけて、「光の道」を奥まで歩んで行くという設定でした。三人の顔には、あまり迷いは感じられず、確信を込めて、その道を歩いて行くという感じでした。
パルジファルの誘いを受けてついて行く騎士達は半信半疑なのですが、良く見ると、ついて行く騎士は一部で、あとは迷っている男、絶望したようにうつむいている男など様々で、この結末が決して全ての人にとって受け入れられる状況ではないという設定かと感じました。その意味では、これが飯守氏がオペラトークで語っていた「大きなクエスチョンマーク」ということかなと思いました。
エンディングには、一つ大きな解釈の変更があって、それはアンフォルタスが死んでしまうということです。これはクプファー氏が、プログラムの中で書いていた通りなのですが、重大な変更だと思います。その理由もプログラムの文章にあるのですが、それは「アンフォルタスは死を望んでいるのですから、彼の望み通り死を迎えます」ということで、これは読んだ瞬間に「えっ?」とびっくりしました。逆に、クンドリーは、生きる結末になっているので、ワーグナーが設定したクンドリーとアンフォルタスの結末を真逆にした形になっています。
私の感想としては、「アンフォルタスが望み通り死ぬという解釈では、トリスタンと同じになるのでは?」という点です。「オペラ対訳プロジェクト」の最初の訳者コメント(訳者コメント前篇)で書いたように、第3幕のトリスタンを救うというのがワーグナーの当初のテーマであったので、これは正直、余り同意しかねる変更かなと思いました。
一方、クンドリーを生かすというのは分かるような気がします。ワーグナー自身の考えでは、クンドリーの死というのは、輪廻からの解放としての死として正当化されるのですが、それは舞台では伝わりにくいので、むしろ生きているほうが演出としては分かりやすいのかなと思うので、彼女については今回のような解釈は良いかと思います。
でも、どうせこの解釈ならば「アンフォルタスも生に帰してあげて、4人で救われるべきじゃないか?」と、「生」の大盤振る舞い(?)をしてあげたくなります。その点が私にとっては大きなクエスチョン(笑)となって、残ったかなという感じでした。
とはいうものの、クプファー氏の演出は、必要以上に奇をてらわず、舞台のデザインはきわめて洗練されており、照明も美しく、LEDパネルの技術力も素晴らしく(笑)、何よりも演者への信頼感に立ったとても良い演出だったと思います。最初のコンセプトに統一感があり、余計なことをしない真っ当なワーグナーであり、当然のことながら、読み込みの深さも一流です。かなり印象に残る好舞台でした。
11日は全体を通して多くの点で5日より良かったものの、若干残念だったのは、パルジファルのフランツ氏の第3幕最後の歌唱がやや精彩を欠いたことで、これはご本人的にもやや残念そうな感じでした。あと、合唱、特に男声合唱が全体に5日より調子がイマイチで、特に第3幕の舞台転換の後の合唱が乱れ気味だったことです。舞台転換のあのリフトに乗りながら、というのは、なかなか大変なこととは思いますが・・・。しかし、女声合唱も交えて、最後の「救済者に救済を」は良かったです。
明日14日の千秋楽は、さらに見事なる舞台であれかしと祈る所です。
全体的に、言葉では言い表せぬほど、本当に素晴らしいワーグナーでした。
日本に居ながらにして、これだけ素晴らしい舞台に接することができて、携わられた方々に心から感謝です。