ベートーヴェンの名無しのピアノソナタ(3)〜第18番〜

トマス)まるで毎週連載のようになっていますが、今日は「18番」変ホ長調です。
ヨハン)「16番」から「18番」までは、同じ「作品31」の3部作ですね。その真ん中に最も有名な「テンペスト」があります。
アンナ)テンペストが超有名で、それは分かる気がするのですが、他の2曲もいい曲ですね。もっとも、ベートーヴェンソナタにハズレの曲はありませんが。面白くないときは、きっと演奏が好みじゃないだけなんですよ。
トマス)前回、第13番の話をした時に、「13」と「14(月光)」は、つなげて一曲としても聴くことが可能ではないかとの話をしました。そのあと、諸井誠氏のベートーヴェンピアノソナタ論をちょっと読んでみると、14番のストリングカルテットを引き合いに出されて、同じ話をされていたのでビックリしました。
ヨハン)それは面白いですね。ただ、素直に聞いていると、同じ印象を抱くのはある意味当たり前とも言えますね。今回の3曲はいかがでしょうか?
トマス)ヨハン君はどう思います?
ヨハン)ぼくの印象では、これは「続き物」ではないような印象を受けます。それぞれの間に断絶があるような気が。
アンナ)同感です。ただ、相互に関連性はあるような気がするのですが。
トマス)諸井誠氏がこの点について、どのようなことを書いているのか興味があったのですが、我慢して読まないでおきました(笑)。私の印象では、この3曲は、むしろ同じテーマの「変奏」・・・ヴァリエーションのように思えます。
アンナ)かねがね思っているのですが、「18番」の冒頭、これって「テンペスト」の始まり方とよく似ていますね。最初の和音の意外感、という点が共通していると思います。「テンペスト」の冒頭のアルペッジョはとても印象的ですが、18番もそれに劣らず印象的です。
テンペストhttp://petrucci.mus.auth.gr/imglnks/usimg/2/23/IMSLP51737-PMLP01462-Beethoven_Werke_Breitkopf_Serie_16_No_140_Op_31_No_2.pdf
「18番」http://petrucci.mus.auth.gr/imglnks/usimg/6/6f/IMSLP51740-PMLP01469-Beethoven_Werke_Breitkopf_Serie_16_No_141_Op_31_No_3.pdf
トマス)どちらの冒頭も自分で弾いてみると面白いです。その上であえて言えば「テンペスト」は「とりとめなき憂愁」、「18番」は「絶望一歩手前の暗さ」というイメージです。
アンナ)全体には「テンペスト」のほうが暗いように思えますが、18番のオープニングは確かに暗いですね。この暗さは本気な感じがします。でも、やがて変ホ長調の主和音が出てくると、7小節目から「なんちゃって・・・ハハハ」みたいな感じになります。
ヨハン)その「ハハハ」は、いいですね。ベートーヴェンらしいです。でも、憂鬱を完全に払いのけることができないので、最初の和音が何度も戻ってくるような感じがします。
アンナ)わたし思うのですが、この冒頭の「タンタタン・・・タンタタン・・・」というリズムは、ピアノソナタにおけるベートーヴェンのライトモティーフの一つではないでしょうか。すぐ思いつくだけでも、「ヴァルトシュタイン」「告別」のそれぞれ第2楽章、最後のソナタである「32番」の終楽章もそうです。そういえば「テンペスト」の第2楽章もそうですね。でも、ベートーヴェンがすごいと思うのは、そのたびに音程だけではなく、リズムと音の長さが、少しずつ異なることです。この「18番」の冒頭からは、ベートーヴェンの非常にプライベートな悩みが聞こえてくるような気がするのですが、いかがでしょうか?
トマス)そうですね・・・。調べてみると、1802年(32歳)というのは、難聴が本格的になってきた年のようですし、例のハイリゲンシュタットの遺書の年でもありますから、ものすごい悩みの年だったんじゃないでしょうか。でも、さっきの話のように、こんな深刻なモティーフのあとに「ハハハ」と続けるところに、ベートーヴェンの凄みがあると思います。
ヨハン)第1楽章でいったん吹っ切れた後は、この曲って、すごく明るいですね。第2楽章のスケルツォも、とても前向きで楽しげです。
アンナ)わたし、このスケルツォ、大好きなんですよ。第1楽章の終わるところで、なぜかこのメロディーへの期待感で胸が高鳴ってきます。「ミ〜ファ・ソ〜ラ・ファソミド・レ〜」それだけなんですけどね(笑)。少し進んだところでヘ長調の主和音を突然「ダダン」と打ち鳴らすのも好きなんですよ。
ヨハン)ぼくも全く同感で、すごくいい曲だと思うのですが、ピアノ譜の「アレグレット・ヴィヴァーチェ」って、なんか変わった指示ですよね?2拍子のスケルツォも珍しいのでは?もっと面白いのは、第3楽章が「メヌエット」なことです。
トマス)ほんとそのとおりですよね。でも、最後の点については、そういう構成の曲で有名な曲が一つありますよね。
ヨハン)ん?・・・そうか、8番のシンフォニーですね。第2楽章は「アレグレット・スケルツァンド」で、第3楽章は「テンポ・ディ・メヌエット」だったと思います。言われてみると、こちらも第2楽章は確か2拍子でしたね。でも、この2曲の間は、10年も間隔が空いていますよね。とはいえ、すごく似ていますね・・・。終楽章の「無窮動」風な感じも似ている気がしてきましたよ。
アンナ)スケルツォってイタリア語で「おふざけ」とか「いたずら」ってことですよね。「18番」も「8番」も、「いたずら」という訳がピッタリだと思います。
トマス)ほんとにそうですね。そこで凝り性な私はついつい調べてしまったのですが、スケルツォと名のつく曲で2拍子というのは、少なくともピアノソナタではこの曲が初めてですね。
アンナ)そうなんですか?でも、初めてというからには、そのあとがあるということですか?(笑)
トマス)厳しいですね・・・。すいません。その後はありませんでした。なぜか、このソナタ以降は、ベートーヴェンピアノソナタには、スケルツォという指定自体がそもそもほとんどないのです。これは驚きでした。でも、唯一の例外は「ハンマークラヴィーア」の第2楽章。ここには、はっきり「スケルツォ」とあります。もちろん3拍子ですが。
ヨハン)ぼくも改めて見てみましたが、意外とないんですね。指定しなくても性格的にスケルツォな音楽があるかなと思って・・・。でも、意外とないですね。唯一、「31番」のアレグロモルトは2拍子です。もっとも、これはスケルツォと呼ぶにはマジすぎる感じですかね・・・。
アンナ)2拍子のスケルツォだけじゃまずいと思って、第3楽章はメヌエットにするんですかね?私、今回このメヌエットも超好きになってしまいました。ベートーヴェンって、こういう「普通のメヌエット」を作っても超一級品ですよね。
トマス)ほんとにその通りですね。
アンナ)「高雅」としか言いようがありません。トリオの音楽も一見単純だけど素晴らしいと思います。もっとも、弾く人のセンスによるとも思えますが。それに続く第4楽章は「アレグロ・コン・フォーコ」、「炎のアレグロ」です。訳すと、かえって軽薄に聞こえますかね?(笑)。これってリズムといい、「テンペスト」の第3楽章と共通するようなものを感じますが、テンペストとは違って、ものすごく前向きな印象を受けます。
トマス)そうですね。私はこの曲の魅力の源泉は、6拍子の音楽の前に、2つの8分音符が入っているところにあると思います。このリズム感はすごいですよ。
ヨハン)もはや、どこにも、オープニングの絶望の影はありませんね・・・。
アンナ)でも、あのオープニングが示していたものは、確かに正真正銘の絶望だったような気がしませんか?この最初の音を奏でるのって、ちょっと恐ろしい感じがするのですよ。突飛な比較かも知れませんが、このモチーフって「運命」の冒頭と似ている感じがするんですよ。突然ドカーンと何かが撃ち込まれる感じです。
トマス)「5番」のシンフォニーというのは、そのショックと対峙し格闘している作品ですよね。一方で、このソナタでは、ベートーヴェンは、そのショックを「忘れる」、もしくは「忘れる努力をする」、そして実際に「忘れる」のだと思います。そこに、シンフォニーとは異なるベートーヴェンの姿が見えてきます。この曲を聴くなら、やはり、バックハウスがいいですね。

Original Masters  Decca Beethoven Sonatas: Wilhelm Backhaus

Original Masters Decca Beethoven Sonatas: Wilhelm Backhaus

ヨハン)最初の和音の深さがいいですね・・・。
アンナ)たしかに深すぎます。でも、だからこそ、そこから紡ぎ出されるのびのびとした明るさは、ほんとにいいですね。
トマス)こういう演奏を聴くと、ベートーヴェンの「強さ」が心に沁みます。バックハウスは全集をリンクしましたが、私の持っているのは、「13・15・16・18」がカップリングされているCDです。この名無しソナタを集めたCDは超のつく絶品。中途半端にバラで持っているので、全集を買うべきか悩んでいる私です(苦笑)。でも、考えてみると、この全集で聴いていないのは、初期のソナタ(1〜7番)と、28番・29番だけですね。前者はまだしも、後の二つを聴いていないのは大問題ですが。
ヨハン)今回の「タイトル」は何でしょうかね?
トマス)「立ち直る」にしましょう。
ヨハン)何ですか・・・そのいい加減そうなネーミングは。
トマス)そんなことないですよ。
アンナ)まあまあ。「回復」ということはどうですか?
ヨハン)この際だから「復活」にしましょうか・
トマス・アンナ)それじゃマーラーじゃん・・・。
ヨハン)でも、ベートーヴェンは、この「作品31」の中で、「テンペスト」や「18番」冒頭の暗い和音を超えて、何か「突き抜けた」ような気がします。「蘇生」でもいいかも知れませんね。まあ、タイトルなんかなくても、素晴らしいものは素晴らしいのですが。
トマス・アンナ)・・・。