ワーグナー生誕200年記念対談(2)〜閑話休題(ドイツロマン派の音楽について)

アンナ)前回の「シューマンは市民的な分だけワーグナーよりすぐれている」というのは、なんとなくひっかかる言い方ですよね。これって、ほめてるのかけなしているのか分からない、すごく嫌らしい言い方(笑)だと思います。
ヨハン)ぼくも同じことを思いました。ほんとうは、ワーグナーのほうを高く評価しているんじゃないですかね?
トマス)こういう語り口は、アドルノに限らず、それこそドイツロマン派の専売特許のような気が・・・。どちらにもコミットしない「ロマン的イロニー」の語り口そのものだと思います。
ヨハン)シューマンの内面性は、真に内面的なので、それが本人を押し潰してしまったようにも思えます。たぶんすごくいい人なので、矛先が他人に向かずに自分に向かっているような気が・・・。ワーグナーほどのしたたかさが少しあったほうが良かったのに、と思います。
アンナ)そう考えると、アドルノの言い方って、よけい意地悪く感じますね。
トマス)ブラームスも内面的なのですが、彼はすごく強い人だと思います。感情に溺れずに立ち止まるところに、ロマン的なものを超えようとする意志を感じます。
ヨハン)ブラームスについては同感なのですが、何がこの人をそうさせたんでしょうね?
トマス)最初の大作として自信を持って世に送り出した「ピアノコンチェルト1番」での挫折体験が大きいのではないでしょうか。
アンナ)この曲は、ワーグナーっぽい感じがしますね。気宇壮大というか、燃える情熱を抑えられない感じがします。トマスさんは、『2番』がお気に入りなんでしょうが。
トマス)いや。もちろん『1番』も好きですよ。
ヨハン)ただ、初演で大失敗してしまったんですよね。
トマス)この失敗体験は、つくづく考えてみる価値のあることだと思います。この失敗の衝撃は凄かったので、それがほぼ結婚寸前だったアガーテ・フォン・ジーボルトとの別れに結びついているとの見方もあります。突然冷たくされたアガーテのほうは、さらにショックを受けてしまうのですが。
ヨハン)歳月を経て、ト長調弦楽六重奏曲の第1楽章のコデッタで、音名象徴で繰り返しアガーテに呼びかけていると言われています。
トマス)これはシューマンが、よく使った手法ですね。いかにも、ロマン派な感じでホロリときます。
アンナ)想いの切なさが胸に沁みます。ブラームスは、すごく誠実な人ですね。
トマス)彼は、この挫折からよく立ち直ったなと思います。やはり、それだけ強い人なのですが、ベートーヴェンという規範を持っていたのも大きいでしょう。
ヨハン)シューマンは、自らのロマン性の重みの中で、次第に崩壊していったように思えます。
トマス)その点、アドルノが、ほかならぬハ長調の『ファンタジー』の第3楽章を例にとっているのは、やはり慧眼だと思います。
アンナ)「水の上を運ばれていく」というのは、「ハムレット」で狂気に陥ったオフィーリアですよね。この曲は、まさにそんなイメージです。
トマス)私は、この曲のコーダを「イゾルデの愛の死」と比べてみると面白いと思うんですよ。
ヨハン)そう言われてみると、なんかムードが似ているような気が・・・。
トマス)でも、決定的に異なるのは、ワーグナーでは何かが起こり、シューマンでは何も起こらない、ということだと思います。
アンナ)なるほど。そのとおりですね。でも、「何も起こらない」シューマンのほうが、あるいは華々しいワーグナーよりいいかも知れない。
ヨハン)そうすると、さっきのアドルノのコメントと同じようになっちゃいますね(笑)
アンナ)・・・。う〜む。でも、そうなんですよね。「起こらない」ということには、きちんと意味があるのだということを、「愛の死」との比較の中で気づきます。
トマス)この2曲は、もしかしたら、ドイツロマン派の音楽の真骨頂と言うべきかも知れませんね。
ヨハン)シューベルトの曲も入れたい気が・・・。
トマス)そうですね。でも、シューベルトって「まずはこれを」って感じじゃないんですよ。特に後期の作品は、それぐらい全てが凄いと思います。「深淵を覗きこむような」との表現もありますが、むしろ何気ない昼間に空を見上げて、そこに吸い込まれていくような怖さ。でも、その空には白い雲がたなびいていて、その陰には神が隠れているような気がします。
アンナ)シューマンは、シューベルトと比べると、「神のいない、眼にまぶしい空」とでも言えばいいのでしょうか。
トマス)「眼に突き刺さるような空」ですね。特に『クライスレリアーナ』を聴いていると、そんな気がします。神を失った近代人の心の葛藤のすべてが、この曲に凝縮されていると思います。でも、これって作曲はまだ1830年代なんですよ。
ヨハン)信じられないぐらい凄いことですね。
アンナ)『クライスレリアーナ』は美しい曲ですよね。でも、ついていけない所もあるような気がします。
トマス)この曲にシンクロできるメンタリティってどうなのか、と自分ながら思ってしまいます。でも、そうだとしたら、それを受け入れるしかないんだと思います。