メッツマッハー・新日本フィルのブルックナー9番

トマス)昨日は、みんなでサントリーホール新日本フィルブルックナー「第9」を聴いてきました。指揮はインゴ=メッツマッハーです。実は久しぶりにブルックナーを聴きましたが、いいライブで聴くと、やはり素晴らしいですね。
ヨハン)シューベルトの未完成交響曲も良かったですよ。
トマス)こちらは、ブルックナーよりも、もっと久しぶりでした(笑)
アンナ)意外とライブで聴かなかったりしますね。でも、これはやはりすごい作品ですよ。あらためてそう思いました。深淵をのぞくような、という表現がピッタリです。
ヨハン)コンサートガイドにも書いてありましたが、この曲って、ベートーヴェンが「第9」を作曲する前の作品なんですね。そう考えると尚更すごいです。
トマス)シューベルトは、ベートーヴェン「運命」は聴いているんですかね?「未完成」の第1主題(冒頭テーマではなく、木管楽器の主題)の伴奏には、はっきりと「・タタタ・タン、・タタタ・タン」と聞こえてきます。ライブだと、そういうところがはっきりと聞き取れるので、すごく良いです。
ヨハン)展開部に入ってから、低弦のトレモロに乗せて、ヴァイオリンが冒頭テーマを奏でるところが、すごく印象的です。背筋がゾゾッとするような感じですね。
アンナ)この部分は、時間が凍りついてしまうような感じです。零下30度ぐらいの音楽ですね。「未完成」って、ここを聴くだけでも、来て良かったという気になります。第2楽章でも、テーマそのものももちろん美しいのですが、第1テーマと第2テーマの間のパッセージが、すごく心に残ります。
トマス)オーボエのパッセージが本当にいいですね。シューベルト木管楽器の歌わせ方が、本当にうまいと思います。
ヨハン)こんな曲が、約40年間、誰にも知られずに眠っていたって、ある意味本当に不思議な話ですね。
アンナ)初演は1865年と書いてありましたね。シューマンは、「グレート」を発見してくれたけど、「未完成」はまったく聴くことなく亡くなってしまったということですね。
トマス)シューマンに聴かせてあげたかったですね・・・。しかし、彼が「グレート」を発見したというのが、すごいことなんですよ。本人にとっても、後のドイツロマン派音楽にとっても大きなことですね。
ヨハン)ところで、ブルックナーは、ロマン派音楽なんですかね?ぼくの勝手な感想かも知れませんが、これは、なんかそう言うにはふさわしくないような気が。実はこの曲、ぼくは初めて聴いたのですが。
トマス)いや。初めてが一番いいんですよ。どのへんが一番印象に残りました?
ヨハン)息の抜けないようなサウンドの連続なんで、何かポワ〜ンとしてしまったんですが・・・。第1楽章は、のっけからどんどんクレッシェンドしてテーマが出てくるのが凄いと思いますが、何と言っても、コーダですね。
アンナ)この部分のハーモニーはすごいです。オーケストラをオルガン風に鳴らす独特のサウンドだと思います。壮絶に美しいのは、低弦が重なってくるところ。さらにホルンが冒頭のテーマで入ってきます。しかも、トランペットが「タタタン・タタタン」と痙攣的に繰り返すのは、やみつきになりますね。その痙攣的リズムは第3楽章のアダージョでも再現するように思うのですが。
ヨハン)・・・。アンナさん、ブルックナーもマニアだったんですね・・・。
アンナ)ワーグナーファンとしては当然ですよ(笑)。このコーダの悲愴美を聴かずして、何を聴くというのでしょう。第1楽章は、そのようなシーンに満ちていますが、トマスさんは、どのあたりが心に残りましたか?
トマス)今日ライブを聴いてすごく思ったのは、第1楽章第1主題再現部の後半の行進曲です。執拗に同じリズムの音型が繰り返される印象的な音楽なので、以前から気になっていたのですが、これは「十字架に向かうイエス」なのではないでしょうかね。
アンナ)それはまた突飛な連想ですね。・・・う〜ん。とはいえ、分からないではないような気も。
トマス)あくまで個人的かつ直感的なものですが、この音楽からは、あまりにも物語的なものを呼び覚まされるような感じがします。ブルックナーは、熱烈なカトリック信者ですからね。「8番」までは、もちろんいい意味でも世俗の匂いがあるのでが、この曲にはそれがまったくないです。
ヨハン)確かに、声のないミサ曲みたいな感じがします。
アンナ)ミサというよりは「受難曲」あるいは「レクイエム」かも。そう考えると、さきほどのイメージも分かる気がします。
トマス)このブルックナーの音楽は、特に直接の関連性がないとは思うのですが、バッハのマタイ受難曲で「鞭打ち」のリズムが延々と反復されるのを想起させるような気がします。そう思ってしまったら、第3楽章のABABA形式の2回目のAセクションの悲劇的な音楽も、あたかも「キリストの道行き」みたいに聞こえてきてしまいました。
アンナ)あまり具体的なイメージが浮かぶと、かえって困る時がありますよね。
トマス)そうですね。ただ、ブルックナーが「愛する神に」と献呈しているというのは、本当に文字通り受け取るべきではないかと思います。信者でなくてもイメージが浮かんできてしまいます。これは仕方がないですね。
ヨハン)この楽章は、最後の不協和音も凄いサウンドですね。とんでもない不協和音です。一体何があったの?と言いたくなります。しかも、そのあとシーンと静かになるのが、すごく不気味。マーラーの10番の第1楽章の最後の部分は、たぶんこれがお手本なんでしょうけど。
トマス)そうですね。逆にブルックナーにもお手本があって、それは、ほかならぬシューベルトの「グレート」第2楽章のABABA形式の、2回目のB(3・17訂正)の直前だと思います。あの狂ったような咆哮のあとの沈黙の怖さ・・・。一方で、2回目のAの直前のそれこそ「天国的」な経過句は、以前も書いたようにブラームスが「4番」の第1楽章でお手本としたように思えます。
アンナ)そう思うと、あらためてシューベルト交響曲の先進性はすごいですね。
トマス)「咆哮後の沈黙」ということで言うと、マーラー以降も、ウェーベルンが同じ発想で曲を作っています。
ヨハン)印象としては、ブルックナーに比べると、マーラーの音楽はすごく「個人的な絶叫」のようにも思えますね。
トマス)この和音が終楽章でどうなるのかが気になりますが、マーラーはいわば「突然死」(過労死?)してしまったので、重ね重ね悔やまれます。補筆版があって、それなりにいい音楽なのですが、これはやはりマーラー自身に書いてもらわないと、どうしようもないでしょうね。
アンナ)ブルックナーに戻ると、私がもう一つ第3楽章で気になるのは、その沈黙の後の展開です。いったん最初のほうの音楽が戻ってきますね。やがて明るく力強い分散和音がバスから盛り上がってきて、肯定的なフォルテの解決を予想させるのに、フッと消えてしまう。すごく意外感があります。
トマス)ほんとうにそうですね。なぜ、そうなのか。これは楽譜にあたってみたほうがいいと思います。
ヨハン)ハ長調の音階名だと「ソ・ド・ミ・ソ・ド・ミ・ファ」という分散和音を4回(4小節)繰り返していますね。音名だと「ト・ハ・ホ・ト・ハ・ホ・ヘ」です。
トマス)フルートとオーボエは、「ニ・変ロ・ト」の付点音符パターンを反復するので、この部分は、「ハ・ホ・ト・変ロ・ニ・ヘ」の11の和音(ベースはト音)だと思います。
アンナ)ピアノで弾いてみても美しい和音ですね。ここからイ長調の主和音の第2展開形(ホ・イ・嬰ハ)に解決します。う〜む。私の違和感はこのせいですかね。冒頭では、ここは「第1回目の爆発」になっています。そちらの分散和音は、どうでしたっけ?
ヨハン)直前の小節は、音名で「ヘ・変ハ・変ホ・ヘ・変イ・変ハ・ヘ」。その次の小節で、嬰ヘ音のバスの上で11の和音が炸裂します。
アンナ)その嬰ヘ音上の11の和音は、3音目のイ音がないのが、とても神秘的な感じを出しているように思えます。「嬰ヘ・嬰ハ・ホ・嬰ト・ロ」です。トランペットが「ロ」を伸ばして「タタタン」(嬰ハ・ホ・ホ)と痙攣的リズムを刻むと、ホルンが「タ〜ン・タ〜タ」(嬰ヘ・ト・嬰ハ)と何度も繰り返します。
ヨハン)そのホルンの音楽は、冒頭の短9度モチーフの再現ですね。このコード進行はとてもカッコいいんですが、オケのサウンドが異様な恐ろしさを醸し出しています。これと比べると、コーダの部分は、確かに「肩すかし」感がありますね。
トマス)このコード進行そのものは、そんなに意外ではないのですが、ここから最もオーソドックスに解決するなら、ヘ長調の和音への進行が素直ではないでしょうか。
アンナ)ちょっと弾いてみましょう。たしかに、ヘ長調のほうが積極的肯定感がありますね。
トマス)そこで不思議に思うのは、この楽章の調性です。「ニ短調」の交響曲なのに、なぜホ長調なのか?というのは、あらためて考えると、すごく奇妙です。
ヨハン)ヘ長調に解決した方が、全体的にも自然かも知れませんね。
トマス)でも、ブルックナーはそうしないで、冒頭では「大爆発後」にホルンとチューバでしみじみ歌われていた「この世からの別れ」のメロディーをイ長調の和音に直接連結し、木管に歌わせます。メロディーはやや変形しているのですが、上声部がイ音、バスがホ音であることは全く同じですね。
アンナ)う〜む。「爆発」を飛ばして、そのメロディーに「直結」しているんですね。スコアを見ると面白いですね。コーダではこのあと、もう一度盛り上がるのですが、そこでも、自信なさげに静かになっていきます。なぜか最後も、「パルジファル」の鐘の音の引用と、「7番」を思わせる分散和音ですし、ブルックナーって本当に素朴で謙虚な人だったんだなあ・・・と思います。
トマス)ブルックナーは、やはり終楽章を仕上げようという意欲は、当然持っていたんだと思います。ただ、それが不可能だとうすうす悟ったとき、「テ・デウム」に代用でもやむを得ないと思ったような気がします。それもまた、この作品のカトリック的性格と整合が取れているような気がします。
ヨハン)たしかに歌のない「レクイエム」のような印象がありますね。そうだとすると、あの恐ろしい第2楽章は「ディエス・イレ」ですかね。あくまで、勝手な空想ですが。
トマス)それは、いい比喩かも知れませんね。私自身は勝手に「黙示録」みたいなイメージを抱いてしまいました。もちろん、あんまり特定のイメージにとらわれないほうがいいとは思います。ところで、全体を通じて、メッツマッハー氏の指揮は、すごく堅実でしたね。非常に好感でした。第2楽章の冒頭では、第2ヴァイオリンに向かってグワッと前のめりになりながら、「ダダ・ダンダンダン・・・」とやっていたのが印象的。かなり熱い指揮ぶりですね。せっかく見に行くのだから、これぐらい熱い指揮ぶりのほうが面白いと思います。
ヨハン)第1楽章でも、指揮台の上で飛び跳ねていましたね。ちょっとブルックナーの音楽に対する見方が変わりました。
トマス)熱いのはいいのですが、一面、常に全体像をコントロールしていないと、いい演奏にならないと思います。その意味では指揮者もいいのですが、演奏する新日フィルは、さすがにいいですね。一点欲を言えば、というか単なる私の好みなのですが、響きが洗練されて流麗すぎる感じがします。
アンナ)それは、たしかに「欲を言えば」ですよ。贅沢な悩みです。
トマス)そう考えると、もうだいぶ前の話になってしまいましたが、故朝比奈氏が大阪フィルとしていた演奏は、サウンドに関しては、禁欲的というか峻厳だったような気がします。今のオケのほうが、うまいのは確実なんですけどね。私の個人的「刷り込み」かも知れません。
アンナ)メッツマッハーさんは、変な間をとらないし、大向こうの受けを狙わない感じです。非常に職人肌的な印象を持ちました。この方は、たしかに日本人リスナーに相性のいい指揮者かも知れません。新日フィルですが、こちらはブラームスマーラー、R・シュトラウスをやると、ちょうどいい音になるんですよ。「ブルックナーサウンド」というのは、ものすごく独特だと思います。
ヨハン)なんだかんだ言いますが、昨日の演奏は非常に良かったですね。
トマス・アンナ)同感です。