ベートーヴェンの名無しのピアノソナタ(2)〜第28番〜

トマス)今日のテーマは、ベートーヴェンの「28番」イ長調ソナタ(作品101)です。この曲、とてもハマりますね。実は、かなりファンが多くて、私が知らなかっただけかなとも思いますが。
ヨハン)ちょっと聞いてみたのですが、第1楽章がすごく不思議な感じがします。なんか何度聞いても構成がよく分からない、つかみどころのない音楽です。第2楽章はわりと分かりやすい音楽だと思いますが。
アンナ)同感です。もう完全にロマン派の音楽ですね。ただ、これこそベートーヴェンという部分も多いですが。
トマス)この曲の第2楽章を聴いていて私がハッと脳裏によぎったのが、シューマンの「幻想曲ハ長調」です。
ヨハン)??・・・えらく遠いところに話が及びますね。
トマス)いえ、そうでもなくて、下記のインタビュー付CDの中で、この2曲の親近性について内田光子さんが語っていたのを思い出したのです。両者の第2楽章(第2曲)は、ものすごく似ていますね。

シューマン:ダヴィッド同盟舞曲集、幻想曲

シューマン:ダヴィッド同盟舞曲集、幻想曲

アンナ)言われてみればそうですね・・・。なんか似ています。シューマンの「幻想曲」はピアノ好きにはポピュラーな曲なので、もちろん知っていましたが、この類似性って意図的なんですかね?
トマス)この曲は、ボンにベートーヴェン記念碑を建立する資金集めの一環として書かれた作品なので、まさに「オマージュ」なのかも知れません。とはいえ、ベートーヴェンの数ある作品の中でこれを選んでいるのは、シューマンは、このイ長調ソナタがお気に入りだったからかも知れません。
ヨハン)2楽章のムードがよく似ているのは分かりやすいのですが、第1楽章もそうなんですか。
トマス)実は私もよく分からないのですが、以下、ライナーノーツからの引用です。

内田)そのため、(シューマンの)「幻想曲」の第1楽章の背景には、ベートーヴェンソナタ作品101の第1楽章が使われています。101の和音構成には、主音が使われていないという驚くべき特徴があるのです。そして彼は主音の周辺をさまよいますが、聞き手は気づかない。まさにベートーヴェンの天才ぶりが発揮されています。しかも決して不安定な印象をあたえない。嘘だと思ったら、101をぜひ聴きなおしてみてください。私も気づかなかったのですが、実際に演奏してみてわかりました。「え、どこに主音が?なぜ主音がないの?」。いったい、どうして!(冒頭第1主題の演奏)イ長調の曲なのに、その音がどこにも見当たらないんです。そう、この部分にはでてきます。でも正確にはちがう。(第1主題後半の演奏)
というわけ。ひたすら周囲をさまよって、再現部になる。主音がいつ忍び込んできたかも、わからない。そして終結部。第2主題・・・イ長調に落ち着くかというと?ちがう。最後の最後まで着地しません。こんなふうに(第1楽章末尾の演奏)弱拍で終ります。このあこがれというか、主音を探し求める構成が「幻想曲」にもあります。(以下略)

ヨハン)なるほど・・・。そう言われてみると、よく分かりますね。「不安定な印象を与えない」のは、そのとおりだと思うのですが、「着地しない」ので、すごく「ロマン派風」な感じがするのだと思います。もはや、「トリスタン」以降のワーグナーすら思わせます。ベートーヴェンの「ジーニアス」の凄さですね。
アンナ)第1楽章を何回か繰り返して聴いてみたのですが、第1主題の再現部って、どこにあるのですかね?4分ぐらいの短い曲なのですが、なぜか、どうしても聞き逃してしまいます。5回目ぐらいで(笑)、やっとコレかな?と思ったのですが、全然強調しないので、展開部の続きでしかないような・・・。
ヨハン)その代わり、第3楽章と第4楽章の間に、はっきりとこの冒頭主題が戻ってきます。「循環形式」みたいな感じですね。
アンナ)こういう辺りも、すごくロマン派風だと思います。ただし、第4楽章は、すごくベートーヴェン風なモチーフを、時にフーガ風に展開します。
トマス)このテーマって、ちょっとさびしげですね。でも、そこがまたいいような気がします。疲れ切った中年男が勇を奮ってダンスを踊っているとでもいうような感じですかね。でも意外とちゃんと踊ってる、みたいな(笑)。この年ベートーヴェン46歳。今だったら、まだ若い感じがしますが・・・。
ヨハン)そうですね(笑)。でも、さりげなくカッコいい感じもします。「なんちゃってフーガ」みたいな感じもありますしね。
トマス)たぶんモチーフそのものが「渋い」のですよね。晩年に足を踏み入れているような感じがあります。
アンナ)楽譜を見ながら聞くと、より面白いですね。終楽章の終結間近では、すごく大時代的なハープシコードのためのような曲になります。これはユーモアなのかアイロニーなのか・・・。それが終わって、エンディングなのですが、左手がすごく低い音域で「ドロドロドロ・・・」とやり始めます。これって、いったい何なんですかね。ちょっと怖い感じ。すごく気になります。実は最初ここが気になって楽譜にあたってみたら、ますます怖くなりました。こわすぎる・・・。見なきゃよかったです(笑)・・・。
http://erato.uvt.nl/files/imglnks/usimg/6/6b/IMSLP51800-PMLP01485-Beethoven_Werke_Breitkopf_Serie_16_No_151_Op_101.pdf
ヨハン)う〜ん。ほんとですね。シューベルトの遺作のソナタにも、こういうドローンがありませんでしたっけ?そう考えると、この「ドロドロドロ・・・」が暗示するのは「死」なのかも知れませんね。
トマス)確かに「何かがあった」ような気がします。ベートーヴェンはしょっちゅう病気ばかりしていたので、常に死と隣り合わせで生きていたと思います。まさにそのような想像をしてしまうところが、この曲の「ロマン派風」なところかも知れません。
ヨハン)もっとも、次の「29番」(ハンマークラヴィーア)では、再び古典派に帰りますね。
アンナ)それはそうなのですが、「ハンマークラヴィーア」も、第3楽章は、すごくロマンティック・・・というか、ある意味、それすらも超えているような。この楽章は、私は、エミール・ギレリスの演奏がいいように思えます。正直、この楽章だけは、グルダだと、あまりよくわかりません。

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第28番&29番《ハンマークラヴィーア》

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第28番&29番《ハンマークラヴィーア》

ヨハン)なんか、全然ちがう演奏ですよね。これって同じ曲?と思ってしまいます。
トマス)こういう曲だと、グルダの洒脱さが裏目に出るんでしょう。「28番」はグルダの持ち味が発揮されているように思えます。でも、この曲でも、緩徐楽章だけは、ギレリスに一歩譲るかも知れませんね。
アンナ)同感です。とはいえ、全体には、ギレリスの演奏は、ちょっと重すぎですかね。グルダの演奏のほうが、ベートーヴェンの音楽の「楽しさ」をうまく表現しているように思えます。
トマス)ベートーヴェンソナタって「喜怒哀楽」が全て詰っていると思うのですが、グルダのこの1回目の全集で一点だけ(本当に一点だけです)求めるとすれば、それは「哀」でしょうか。どうしようもない「悲哀」のモノローグ。滅多に出さないけど、出すときは、溢れんばかりの悲哀です。
ヨハン)そうだったんですか?交響曲はよく聴きますが、あまりそういうベートーヴェンの姿って感じられません。
トマス)この人は、シンフォニーとかコンチェルトといった「外向きの曲」では、そういう「悲哀」を、ただ一つの例外を除いて、ほとんど見せなかった人だと思います。そのへんがロマン派の人たちと異なるように思えます。でも、だからこそ本気で「悲哀」を表現する時の迫力は凄い。この「出口がない悲哀」に言葉を失います。
アンナ)でも、室内楽ピアノソナタでも、そんなに「悲哀」は前面に出てきませんよね。基本的には生気あふれる前向きな音楽が多いと思います。
ヨハン)その「悲哀」の楽曲とは?
トマス)一つは、先ほどの「ハンマークラヴィーア」の第3楽章、もう一つは、弦楽四重奏曲第7番(ラズモフスキー第1番)の同じく第3楽章ですね。これが双璧だと思います。ただし、両者とも、次に確固たる前向きな終楽章がついています。そして、先ほど言った「外向きの曲」における唯一の例外は、第3交響曲(英雄)第2楽章の「葬送行進曲」でしょう。
アンナ)たしかにそうですね・・・。エロイカシンフォニーの第2楽章って、深刻すぎて言葉を失います。まともに向き合ったら絶望してしまいそうな音楽ですよ。それなのに、次のスケルツォで何事もなかったかのように、「パパパ・パパパ・パ〜ララララ〜」と吹き鳴らされるのって・・・。このハチャメチャ感って何なんだと思います。
トマス)まったく同感なのですが、そのアヴァンギャルドって、すごいと思いますよ。ただ、ベートーヴェンは、そのあたり、いい意味で反省したような気がしなくともありません。「7番」の第2楽章は、かなり抑え気味のタッチで書いて、全体としてのまとまりが出てきています。
アンナ)だいぶ話がそれてしまいましたね。でも「28番」の「ドロドロドロ」のエンディングってミステリアスすぎます・・・。
ヨハン)この曲に名前を与えるとすればなんでしょうね?
トマス)やはり「幻想」ですかね・・・。
ヨハン)13番は「体操」、28番は「幻想」ということで、語呂もいいですね。(一同笑)