モーツァルトのオペラ論を読んでみた

岡田暁生さんの「恋愛哲学者モーツァルト」(新潮選書)という本を読んでみました。
魔笛」をせっせと翻訳していた時から、この本がずっと気になっていたのですが、変に先回りして読んでしまうと、もろに影響を受けてしまいそうな気がしたので、後回しにしていたのです。読み始めると面白くて、一気に読んでしまいました。
結論から言うと、なんか不思議なほど自分の抱いているモーツァルト作品のイメージとピッタリでした。「モーツァルトは貴族社会から市民社会へと移行する社会の変動期の一回きりの現象だ」というのは、著者のオリジナルではなく、よく言われることらしいのですが、これはほんとにそうでしょうね。
特に、「魔笛」については、「プロットは矛盾していない。これは転向の物語だ」と明快です。私が訳者コメントで書いたのと同じなので、先に読まなくて良かったなと思います。読んでたら二番煎じなので書けませんでした。
著者は、「後宮からの誘拐」から「フィガロ」「ドン・ジョバンニ」「コシ」を経て「魔笛」までを一種の連作として捉えるのですが、これもそうだなあ、と同感です。
この方、とても文章がうまいですね。あとがきを見ると、かなり苦労して書いたとのことなのですが、スッと読めるいい文章です。引用は、ちょっと学者っぽくて、その人誰?みたいな所がありますが・・・。
どうも気恥ずかしくなるようなタイトルなのですが、要は「モーツァルトは男女関係を通して社会を見つめた」ということのようです。貴族的な鷹揚さから、「清く正しく美しく」が尊重される「ロマン主義」への移行ということでしょうか。
そういう文脈ですから、ワーグナーについては、わりと批判的な見方をしていて、例えば「マイスタージンガーでは、ハンス・ザックスが家父長として滔々と演説をぶつ」と意地悪い書き方になっているのですが、ワーグナーはそんなに一面的ではなく、「リング」の家父長ヴォータンは葬り去られてしまいますからね。一見、純愛賛美のようでありながら「本当にそうなの?」という多様な解釈を許す所がワーグナーにはあります。もちろん、そんなことは百もご承知でしょうが。
ただ、「リング」については、その「何でもあり」という所が、逆に演出の「ハチャメチャ」に結びついてしまっているような気がしてなりません。この話は、良くも悪しくも「(ロマン派的?)純愛」の話ですから、そこを見損なってはなあ・・・と思います。それが一番言えるのは「ワルキューレ」で、恋人同士もあれば親子間の愛情もあるので、ひたすら愛の話を延々としています。ただ、この愛情は、ことごとく裏目に出る感じですから、「ワルキューレ」だけ見ると、そんなにワーグナーが「ロマンティック」かという疑問が生じます。
とはいえ、モーツァルトに比べれば、ワーグナーはよほど素直です。これは間違いなくそうだと思います。モーツァルトのオペラって、ほんとに意地が悪いですよ。安心して観ていられないというか、ものすごい違和感を感じる瞬間があります。
ですから、岡田さんの指摘しているモーツァルトオペラのヘンな部分と言うのも、全然うがっていない箇所ですね。普通に見ていれば「普通に違和感を感じる」部分です。ものすごく突き離しているというか、冷めているというか・・・。
でも、モーツァルトって、あまり冷めている感じの人がしないので、このへんが不思議です。陽気にバカ話をしながらも、実は醒めている人というイメージです。
つくづく思ったのですが、これでは、私が若い頃にこの音楽がわからなかったのも無理はないと思います。世間一般のイメージとは逆で、モーツァルトのオペラって、ワーグナーより、はるかにわかりにくくありませんかね?(それとも私だけか??)しかも、いったん分かっても、気分は特に昂揚しないというか・・・。ひたすら、ほろ苦さが口に残ります。
前にも書いたのですが、ヘルマン・ヘッセの「荒野のおおかみ」という小説では、主人公が(ドラッグのせいで?)最後にモーツァルト(の幻影?)に出会うという変な話なのですが、ヘッセは、もしかしたら、そういう「苦さ」を引っくるめた点まで評価してモーツァルトを引き合いに出しているんですかね?読んだ時には、そんな感じがしなかったのですが、そういう意味だとしたら、良く分かるような気がします。
それにしても、「リング」は、いろいろな演出があるだろうけど、登場人物どうしがひたすら「愛」で結びついている(または「結びつこうとしている」)ことだけは、直接的に分からせた方がいいと思います。そうしないと、ワーグナーを「いい」と思うにせよ「こんなのダメ」と思うにせよ、それは見る人次第なのですが、そもそも判断が出来ないと思うのです。コペンハーゲンリングのホルテン演出は、その辺りを良く捉えている所がいいと思います。
結局、半分ワーグナートークになってしまいましたが、このモーツァルト論は本当に面白かったですね。

恋愛哲学者モーツァルト (新潮選書)

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