「アマデウス」を見てみる

今週の日曜日に「オペラ対訳プロジェクト」上に『魔笛』についての訳者コメントを載せていただきました。
コメントを書く準備で、いろいろモーツァルト関係を調べていたのですが、この際、映画『アマデウス』を見てみました。だいぶ前(20年近く?)にテレビで見たっきりだったので、史実とは違うと知りながら、念のため・・・。
そんな前なので、ほとんど忘れていたのですが、はっきり覚えていたのは『ドン・ジョバンニ』の騎士長が出てくるシーンと、シカネーダー一座が、そのパロディー劇を演じている場面です。
この場面は、やっぱり今見ても面白いですね。騎士長が壁を破って出てくるシーンなんか「おお〜っ!」と思います。もしかして、この映画って、要はこれをやりたかったのかな?と思ってしまいます。
もっと凄いのはパロディー劇のほうで、モーツァルト自身も自作のパロディーを見て笑い転げているのですが、確かにこれは笑えます。しかし、シカネーダー一座がこんなパロディーを演じた史実はあるんですかね?たぶん無くて、ピーター・シェーファーの創作なんでしょうが。
原研二先生の『シカネーダー伝〜「魔笛」を書いた興行師』(1991年新潮選書)という本を今回は大変参考にさせていただいたのですが、そんな記述はないですね。原先生は「モーツァルトはいつから天才になったのだろうか?」という書き方をされていますので、私の「訳者コメント」は、かなりその影響を受けています。
それにしても、『アマデウス』ですが、当時は気付かなかったのですが、死のあとに共同墓地に埋められてしまうシーンでは、コンスタンツェやシカネーダーが途中までついていっているんですね。史実では二人とも葬儀にも来てないはずなのですが・・・。
シカネーダーがなぜ参列しなかったのかは謎なのですが、コンスタンツェもヘンですよね。これは「愛」の問題ではなく「世間体」の問題でもあると思うので単純に不思議です。「共同墓地に葬られるのは当時としては普通」という意見もあるのですが、「夫の死にも埋葬にも立ち会わない」のは、さすがに普通じゃないでしょう。この映画は、フツーの感覚で「普通じゃない」と思われる史実は、なぜかフツーに描いてます。そういう意味では「事実は小説よりも奇なり」というのはホントに名言です。
ですから、事実に沿って想像をふくらませたほうが逆に面白いと思うんですけど。それとも、そうすると逆に「ウソだよ〜!」って感じになるんでしょうか?面白いものです。
とはいえ、この映画、面白いことは面白いですね(笑)。アカデミー賞を総なめにしただけのことはあります。モーツァルトについて(おそらく)間違ったイメージを与えてしまったことはぬぐえませんが。
あえて言えば、仮にサリエリモーツァルトを存命時から「天才」と見なしていたとすれば、彼は時代をおそろしく先取りする「超天才」だったかも知れませんね。でも、そうだとすれば、作品が残るはずですが全然知られていません(それは映画と同じです)。
でも、確かベートーヴェンの面倒も見ていますし、人並み以上の審美眼を持っていたのでしょうね。
サリエリって、調べると面白い人のような気がします。