「君こそは春」〜ジークリンデの複雑な気持ち〜

春だというのに、えらく寒かったのですが、今日はやっと暖かくなりました。
そんなわけで、季節感のある作品をYoutubeに投稿してみました。
直訳でないので、どうか?と感じる向きもあるかも知れませんが、そのへんはご容赦ください。日本語に合わせるために試行錯誤しています。でも、そもそもボカロの歌声が気に食わんという方は、どうしようもないですが(笑)。

それにしても、よりによってワーグナーで母国語訳のボカロ作品を作っている人なんて、世界広しといえども私だけじゃないか?そもそも「ボカロ」というのが日本的風景だと思いますが。
まあ、聴ける作品かどうかは別として、わけわからんものって、人によっては楽しいでしょうから、笑っていただければと思います。
(ところで、私、この場面って、日本で演出するなら、桜の大木と舞い落ちる花びらという以外、考えられないのですが、どうでしょうかね?)

さて、以下はまじめな話(笑)。編曲していて、つくづく思うのですが、この歌って、とっても「フクザツ」です。だからこそ・・・なのでしょうが、すごくイイ歌です。2分ちょっとの短い間に、ジークリンデの人物像がギュッと濃縮されているような気がしています。
結論から言うと、ジークムントへの気持ちを抑えることはできないが、これは不倫じゃないか?という気持ちもあり、ふっ切ろうと思うと、また将来の不安が胸をよぎり、と、ものすごく複雑な心理です。そして、それをセリフ以上に、音楽が語っているように思えます。
この歌は、大きく6つの部分に分けられると思います。
(1)「あなたが春・・・待ち焦がれていた春・・・」
Du bist der Lenz, nach dem ich verlangte in frostigen Winters Frist.
(2)「やわらかな南風 迎えに来た・・・あたしを」
Dich grüsste mein Herz mit heiligem Grau'n, als dein Blick zuerst mir erblühte.
(3)「この運命にもてあそばれて 暗闇の中・・・さまよってた」
Fremdes nur sah ich von je, freudlos war mir das Nahe. Als hätt' ich nie es gekannt,  war, was immer mir kam.
(4)「今はっきりと、わかったわ・・・ あなたの声を 聴いたとき」
Doch dich kannt' ich deutlich und klar: als mein Auge dich sah, warst du mein Eigen;
(5)「恋の気持ち・・・目覚めて 初めて・・・ 燃え出す・・・」
was im Busen ich barg, was ich bin, hell wie der Tag taucht' es mir auf,
(6)「春風に、つつまれて・・・ 小鳥のように翔び立つわ。いま・・・」
wie tönender Schall schlug's an mein Ohr, als in frostig öder Fremde zuerst ich den Freund ersah.

こうして見ると、同じメロディーなのに、日本語に比べて、いかにドイツ語(英語とかも同じ)が多くの意味を盛り込めるかわかりますね。子音が大活躍する欧米語に比べて、日本語は一音符に一音節しか割り当てられないので、どうしようもありません。(でも、そこに日本語の魅力があると思います。)
日本語じゃどうも・・・という方には、シェロー演出のこの部分がありましたので、こちらをご覧ください。ジークムントのアリアから始まるので、わかりやすいです。
http://www.youtube.com/watch?v=NB5e62wSjEQ

まず前奏ですが、これ、その直前のアリアのメロディーから、そのまま来ていますね。このジークムントのアリアは、初めから終わりまで、ほぼ変ロ長調で安定しています。ジークムントって、基本的にむらのない安定的な性格なんじゃないか、と思えます。
ところが、このジークリンデの歌の前奏では、このメロディーが、すぐに変ホ長調に変わります。(1)のジークリンデの歌い出しは、その調の「ド−シ−ファ−ラ」です。明るく始まった、と思ったら、あれあれ、すぐ短調ハ短調)になります。
でも、(2)では気を取り直して、このアリアで繰り返される魅惑的なモティーフを2回歌います。和音はハ短調のままなのに、明るい感じで、そのあとも明るくしめくくります。
ところが、(3)では、辛かった日々を思い出し、リズムも雰囲気も一変します。調は、嬰ハ短調と、えらく遠い調に行ってしまいます。
(4)で三連符の伴奏が出てくると、またモティーフを歌い始め、気を取り直します。調は、ロ長調か?
(5)でもう一度自分の気持ちを確認するように少し落ち着くと、これはびっくり。歌(ボカロ版では「恋の気持ち」)のメロディーが、なんと「運命のモティーフ」です。(このあと「ワルキューレ」第2幕の「死の告知」の場面や「黄昏」の「葬送行進曲」の最初にオケで出てくるやつです) これ、ここで初めて出るモティーフかも知れません。今回、初めて気付きました。そう考えると、このモティーフは、むしろ「不安な気持ち」を音楽化したものとも取れますね。ここでは、このモティーフを2回繰り返したあと、勇気を振り絞るように、音程を広げて「明るい別の世界」に行こうとします。歌詞の内容と、ものすごくマッチしていますね。
こうして、(6)でようやく、夢見ていた世界に達します。和音は、シャープもフラットもつかないソ・シ・レ・ファなので、「はる〜かぜに〜」の部分は「ハ長調の属七」と見るべきですかね。2小節をまったく同じように反復したあと、また雰囲気が変わってきますが、明るさは失わないまま、最後は「変ニ長調」(「指輪」全体をしめくくる調ですね。それも暗示的)の主音で歌い収めます。どうやったら、こんなコード進行、発想できるの?すごすぎます。
何やかや難しい話のようになりましたが、要は、心理の変化に伴って、転調、転調また転調という曲なんだなあ、ということを発見いたしました。これ、ワーグナーはいつもそうですが、とりわけ渾身の力を込めて作曲しているパッセージだと思います。また、リズムも面白くて、歌唱メロディーは4分の3拍子、弦楽器などの伴奏は8分の9拍子になっています。これはワーグナーらしいですね。
あと、もう一つ編曲していて思ったのは、初めは、私、軽い気持ちで音符を置いていて、薄いオケにしていたのですが、どんどん物足りなくなり、少しずつ音符を増やしていくと、結局ほとんどスコアと変わらない音符になってしまいました(笑)。特に、ハープが大事ですねえ。
ところで、高校生の頃、ヘルマン・ヘッセを読んでいて、「荒野のおおかみ」という小説なのですが、最後に主人公のもとにモーツァルト(の夢?)が現れて、「多くの音符をつけすぎた罪」で重荷を背負っているワーグナーを指し示すのですが、全然そんなことなくて、過不足ない音符だと思うのですが???自分でやってみると、よく分かります。そもそもモーツァルトだって、皇帝に「君の歌劇は音が多すぎるねえ」と言われて、「ちょうどいい量の音符です!陛下」と答えたという有名なエピソードがありますから、モーツァルトがそんなことを言うはずはないような気がします。ヘッセは嫌いじゃないのですが、これは単なる偏見ですね。
最後に、これを歌うフラグスタートを。これは「愛の死」と並んで、彼女の「十八番」なのか、いろいろな録音がありますね。
http://www.youtube.com/watch?v=0qlWzEwxBZk

ジークリンデって、これに限らず複雑キャラで、第2幕でもヒステリー状態になって気絶してしまいます。昔のトラウマもあるし、これからの不安もあるし・・・。あとは、不倫の罪の意識というのもあるのでしょうか?もともと無理やりな結婚だったのだから割り切ればいいと思うのですが・・・。あと、ジークムントとフンディングの戦闘シーンでは、「二人ともやめて!まず私を殺して!」と言いますよね。これこそ女性心理なんでしょうか?男には(少なくとも私には)さっぱり理解できません。頭で分かろうとするのですが、生理的に理解できないものがあるのです。
解決できたかどうかは別として、ワーグナージークリンデの人物像の造形にかなり力を入れているように思えて、彼女こそ実は「指輪」でもっとも重要なキャラではないかという気もします。「女性原理」というテーマは彼女で初めて打ち出されているように思えます。
コペハン・リングの解説で、ホルテンははっきりとそれを言っていますが、これは「指輪」の解釈として正しいのではないでしょうか?ただ、そういう意味では、ちょっとショーベルさんは「ニコニコ系」すぎるかな?笑えて面白いんですけど。(でも、考えてみると、小山由美さんといい、テオリンさんといい、「ニコニコ系」が多いことにハッとしました。そういう意味では、この前クンドリーを歌ったシュスターさんのほうが少数派かもしれません)
それに比べると、ジークムントは比較的単純なキャラですね。でも、そこがいい所で、すぐ共感できます。