「神々の黄昏」(6)〜「ジークフリートの葬送行進曲」演出と演奏

私の「葬送行進曲」後半の解釈=「表現できないことの表現」とは、ふと考えてみると、それこそ「表現主義」(笑)かもしれません。通常、ワーグナーの舞台指示は「印象派」に思えるのですが、ここぞという時に、「表現主義的」になるように思えます。
さて、では実際に「葬送行進曲」のときに舞台はどうなっているかを考えてみると、「何も表現しない」ということは、まず無いですね。演出家としては、何か「表現」したいのは当然といえば当然ですね。
新国のウォーナー演出では、死んだはずのジークフリートが立ち上がって歩いて行くのですが、その行先は・・・。再演ですが、あるいはネタバレになるかもしれないので、やめておきましょう。ただ、この解釈、私はどうも釈然としないです。今度聴きに行く際は、目をつぶって音楽だけ聴いていたほうがいいかも知れませんが、それはそれで辛いものがあります。
バレンボイム盤のハリー・クプファーでは、確か(見た事はあるのですが所蔵していないので)、力尽きたブリュンヒルデとヴォータン(「黄昏」でもヴォータンが出てくるのがこの演出の特徴です)が、絶望して顔を見合わせているという形になっていたと思います。私には、これはあまりピンとこなかったです。
パトリス・シェローの演出では、葬送行進曲の出だしの所で早くも幕が閉まり、閉じられた幕の前にジークフリートの遺体だけが取り残され、民衆が一人一人幕の前に集まってくるというものです。「剣の動機」のあとに、この30人ぐらいの民衆は観客席を振り返ります。この演出は、何かやるとしたら、という前提では、私が一番好きな演出です。
さて、オーソドックスといえば、メトですが、これはYoutubeにありました。
http://www.youtube.com/watch?v=VqZWd3_WhvM&feature=related
おお。これはト書き通りです。さすが保守的なメトだけあります(変な感心のしかたですが。)レヴァインの演奏は、全体に引きずりすぎな感じがして、私にはあまりしっくりこないですが。
メトでこうだとすると、ヴィーラント・ワーグナー演出も祖父の指示どおりにしていたような気がします。

現在のティーレマン・リングの演出はどうなのでしょうか?今のところCDでしか聴けないのですが、ティーレマンの前半部分の演奏は、私にはかなりシックリ来ます。特に、「剣の動機」が出る直前の低弦上昇音階の「タメ」が好きです。彼のスタイルはクナッパーツブッシュと良く似ています。ただ、クナCDは音質が悪いので、クナ好きの人はティーレマンを買って損はないと思います。

せっかくなので、もっといろいろ聴いてみようかと思い、探してみたところ、けっこう色々な音源が出て来ましたが、我ながら趣味がものすごく偏っています(笑)。「ワーグナー管弦楽曲集」なんてCDでは、この曲は定番なので、たまってしまうのでしょう。
さて、箇条書きで、ディスク評してみようと思います。ただし、後半「ドガジャーン」部分は前述のように「オーディオの限界」(「我が家のオーディオ」ということかも知れませんが)を感じる部分なので、「実際聴いたらどうだったろうか?」という記事になってしまう面があります。

・ワインガルトナー、パリ音楽院管弦楽団(1939年)
またえらく古い音源が出てきましたが、やはり古すぎですね。この指揮者のオリジナル編曲のように聴こえる部分があります。その点、ヒストリカルな興味がある人向けかもしれません。
ジョージ・セルクリーブランド・オケ(1968年)
このディスクは、いい演奏が多くてオススメです。葬送行進曲もセルらしく、一つの音程の狂いもない精密機械のようで、これはこれでいいです。とはいえ、何かが足りないような気も・・・。
・シューリヒト、パリ音楽院管(1954)
あら、さっきと同じオケだ。これも古いのが難点です。録音の関係なのか「小太鼓」がやたらと前面に聴こえます。「騒音」を主張する私には、偶然はまるものがありますが、一般受けはしないでしょう。ただ、さすが、シューリヒトは全体的にオリジナリティがあって、とてもクリアかつ新鮮な演奏です。「ドイツ」でない感じのワーグナーといえば、いいんでしょうか?
フルトヴェングラーウィーン・フィル(1950)
これは、CDではなくYoutubeです。フルヴェンを1枚持っていたような気がしたのですが、なぜかありませんでした。でも、やはり、外せない人です。
http://www.youtube.com/watch?v=zCE_aYJNfQo&feature=related
うーむ、これは確かにいいぞ・・・。前半はそんなに、なのですが、要は「ドガチャン」がすごいような気が。オーディオじゃなくて生だったら、この世のものとも思えないかもしれません。フルヴェンのこの演奏は、ほかにもあるのですが、Youtubeで見る限りは、これが一番いい感じです。
朝比奈隆、大阪フィル(1983)
ワーグナー名演集」と題されたCDですが、これは好きです!ただし、私は一時、朝比奈の「追っかけ」だったので、読者はそのへん差し引いてお考えください(笑)。前半の木管メロディーもエスプレッシブ。「ドガジャン」は想像を働かせるしかないですが、ホールにいたら衝撃を受けたんじゃなかろうか。朝比奈のいい所は、意外な所にハッと思わせるところです。このCDでは、「後奏の歌い方」が素晴らしいです。これは朝比奈マジックです。
朝比奈隆新日本フィル(1987)
日本初の「指輪」全曲生演奏(1年ごとですが)のCD。これも良いですが、どちらかというとやはり「手兵」大フィルのほうがいい感じですかね。でも、こちらは、ジークフリートの「昔語り⇒アリア」も聴けます。久しぶりに聴くと、おお、さすがにいいです!(ジークフリートは大野徹也さん。)ふと解説書の朝比奈の対談を見ると、御大(朝比奈のこと)は、「『黄昏』は技法が整理されているから『ジークフリート』よりやりやすかった」と言っていますね。こういう発言は、この人の魅力だったりします。あ〜あ、生きててくれてりゃなあ・・・。(生きてたら、今年102歳ですね)
・朝比奈、新日本フィル(1983)
先の全曲CDの付録ですが、これはピンときません。前半がまったくダメです。ドガジャンから突然「騒音」になるので、このコントラストはありますが、前半が良くないとだめです。ダメダメ、全然ダメ!でも、ダメな時は全然ダメなのも、この人の魅力(ファン心理)
・ヤノフスキ、ドレスデン・シュターツカペレ(1983)
これは買ってはみたものの、全然入れないので聴いてないCDの一つ。ルネ・コロのジークフリートを聴きたくて買ったのです。久しぶりに聴いてみたのですが、う〜ん、やはり演奏が・・・?
ただ気がついたのは、この録音、なぜか響きがものすごくデッドで、残響がないのです。「ドガジャーン」ですごくそれを感じるので、かえって「やはり、ここは残響があればあるほどいいんだな」ということに気付きました。「反面教師」みたいなものですが、聴いてみて良かったです。
クナッパーツブッシュバイロイト(1951)
クナですが、このバイロイト再開時と、56〜58年で「黄昏」をやっているのですが、私は、「葬送行進曲」については全部持っていることに気付きました。これもファン心理のなせる業ではあります。51年は、音質を良くしたCDなのですが、この箇所は全然、心に入ってきません。アリアもベルント・アルデンホフですが、う〜ん?ですね。オケもあんまり?なのですが、最後の最後は、ドカンドカン!と、私の言う「表現主義」になっているような感じが・・・?でも、このCD、音質補正が逆にバランスをおかしくしているような気もします。
・クナ、バイロイト(1956)
この年は、カイルベルトが指揮するはずだったのに、クナが「俺にもやらせろ」と割り込んできて、二人でやっている年かと。(もしかしたら事実認識に誤りがあるかも知れませんのでご注意を。)「アリア」はヴィントガッセンですが、全然ピンとこないですねえ。
葬送行進曲は、はじめはノラないのですが、おっ、どんどんはまっていきます。「剣の動機」の直前から、ひたすら上昇し、ドガチャーン。そのあとは、なんか「意味のある騒音」になっていきます。これ不思議な感じ。思うに、クナ・オリジナルです。
・クナ、バイロイト(1957)
この年は、58年のCDのオマケしか持ってないので、葬送行進曲からです。あらららら、56年と比べるとのっけから違います。1年の間に何があったのでしょう?弦楽器が上昇音型を「歌って」います。木管は思いを込めずにサラッとやりますが、この禁欲的なそっけなさは、それはそれでいいですね。ドガジャン以降は、例によって想像するしかないのですが、何かスゴイ感じです。この演奏、全体にサラッとしています。歌舞伎なら「クナっ!」と叫びたいような「筋肉質な」演奏です。
・クナ、バイロイト(1958)
これは全曲盤、私の愛聴盤です。ヴィントガッセンの「アリア」は56年と全然違います。いいです。ですが、最近、「コペハン・リング」のアナセンをYoutubeで聴いたら、「この歌はこれが本道かも?」と思えてきました。これを聴いてしまうと、ヴィントガッセンも「野太い」ように聴こえます。このへんは、趣味の問題かも知れませんが。
さて、クナの葬送行進曲は、前半聴かせます。ドガチャーンもいいです。でも、57年と比べるとどうかというと、うーむ、どうだろうか?私は、57年に軍配を上げます。ただし、ここで57とか58とか言っているのですが、日にちがわからないのですよ。クナは「ライブの人」ですから、同じ年でも、その日その日の出来栄えが違ったように思えてなりません。でも、51年・56年に比べて、水準が比較にならないほど高くなっているのは間違いないところです。
ベームバイロイト(1967)
私はベーム盤「指輪」で「黄昏」だけを持っています。ベームは鋭角的な音を出します。現代音楽に向いている指揮者です。だからなのか、何か(私のイメージする)ワーグナーじゃないです。「葬送行進曲」もあまりピンときません。
それにしても、このCDでも、まだクナの頃と同じく、ジークフリートはヴィントガッセンで、ハーゲンはヨーゼフ・グラインドルなんですよね。10年間変わらないというのは・・・。これは第三者の勝手な暴論かも知れませんが、この頃に世代交代できなかったことが、ワーグナー歌手の衰退を招いたような気が私にはします。もちろん一筋縄な話ではないはずですが・・・。
ブリュンヒルデだけはヴァルナイからニルソンに替わっていますが、ニルソンはすごく評価が高いのに、私には響いて来ないのです。一体なぜでしょうね??これは面白い問題なので、いずれ稿を改めて書こうかと思います。
ティーレマンバイロイト(2008)
もう一度聴いてみました。うん、「葬送行進曲」に関しては、音質も考えると、今のところ、やっぱりこれが一番ですね。

さて、良かったのをあげると、
ティーレマン
・フルヴェン(50年)
・クナ(57年)
・朝比奈(83年、大フィル)
だいぶ偏っているかもしれませんが。

それにしても、今日はブログタイトルにふさわしく、「聴けば聴くほど」聴いてしまいました。たまに、こういうことをしないと、いけないかも知れません(笑)