ローエングリン特集(1)〜台本の素晴らしさ〜

ローエングリン』第2幕をやっとアップしましたので、お役立て下さい。

うまく訳せているかは分からないのですが、少なくとも台本としてはワーグナーの書いた最高のページの一つだと思います。したがって、相当力を入れて自己添削したつもりですが、それでもおかしな部分はあるかも知れません。お気づきの点はぜひコメントをお願いします。
http://www31.atwiki.jp/oper/pages/1430.html
私がこの幕の台本が優れていると思うのは、登場人物それぞれの「思惑の交錯」が実に見事に表現されていると思うからです。
まず冒頭のフリードリヒとオルトルートの対話。フリードリヒは「根は善良」な人物だということが良くわかります。これに対してオルトルートは「確信犯」です。彼女は、自分の古い宗教(ヴォータンやフライアなど神話上の神々を信じる多神教)を駆逐したキリスト教が憎くてたまらないので、エルザやローエングリン、ひいてはハインリヒ王を全力で駆逐しようとします。
以前ネットラジオでシカゴリリックオペラを聴いた際、幕間にミヒャエラ・シュスターさんがインタビューで『オルトルートはシンプルなキャラだから演じやすいわ』(英語からの意訳)とおっしゃっていたのですが、まさにその通りだと思います。
端的に言えば、ここに描かれているのは一種の宗教的=政治的な権力闘争であり、その点を見逃してはなりません。別の意味での権力闘争が露わになる瞬間がもう一つあり、それは第2幕の中間で「軍令使」がローエングリンからの「皆の者よ。明日は東方への戦争についてきてくれ」と伝える直後です。
ブラバントの貴族達は交互に「なぜ私達に危害を加えないハンガリーのために戦争に行かねばならないのだ・・・。でも拒否できない」とささやき交わします。このシーンは軽視されがちですが、当人達にとっては深刻な問題です。舞台は今のベルギーなのですから「なんではるばる遠征に行くんだよ?」と思うのは当然です。
そもそもブラバント公国の人々と、ハインリヒ王が連れて来たザクセン・チューリンゲンの人々には大きな意識の差があり、ワーグナーは第1幕の冒頭からこの2つの集団をしっかりと描き分けています。ハインリヒ王(ハインリヒ1世)と彼のザクセン軍団は徴兵のためにブラバント公国に来たことを忘れてはなりません。そのためにはブラバントの内紛は都合が悪いので、何とか争いを収めようとしたところ好都合にも(?)神からローエングリンが遣わされたという設定なのです。しかし、これは土着派であるフリードリヒのシンパには必ずしも面白いことではなく、貴族達を中心に火種はなおもくすぶっているという状態です。
ではブラバントの民衆はどのような見方をしているのでしょうか。ワーグナーは彼らをある意味「日和見」として描いていると思います。たぶん当初はハインリヒ王率いるザクセン軍団に疎ましい感情を持っていたのですが、ローエングリンの登場により「ハインリヒ王もついでにばんざ〜い」となってしまうのです。では、これはワーグナーの民衆蔑視なのかというと全くそうでは無いと思います。第1幕でも第2幕でも彼らの感情は常にエルザの側についており、エルザに無限の同情を感じている点では一切ブレません。
そう考えた時、ワーグナーが「エルザは『民衆の心』だ」(うろ覚えなので正確な引用ではありません)と言っていることの意味が初めてわかります。エルザはこのオペラに登場する「名も無き全ての人々」を代表しているのであり、そのナイーブに救いを求める姿は、ワーグナー自身が「市井の人々」をどのように捉えていたかを語っています。一方、エルザが禁じられた問いを訊いてしまうその「心の弱さ」もまた「全ての人々の心の弱さ」なのです。以下は長くなりそうなので、次の記事を立てます。