「愛の死」・・・テクノクラシカ?

今日は「父の日」だということを「ちびまる子ちゃん」を見ていて初めて気が付いた私ですが、「父ヒロシ」というのは、果たして何をしている人なのでしょうか?きっと、ごく普通の会社員なんでしょうが、「マスオさん」とは違い、スーツを着て出社するシーンとかを余り見たことがない気がします。怪しすぎる・・・。
・・・どうでもいいですね。ところで、私も、また怪しい投稿をしてしまいました。う〜ん、がんばって作って見たわりにはイマイチですかね。まあ、いつもそうなのですが、「実験音楽」と思って、お許しいただければ幸いです。

もともと、編曲バージョンを作っていたところに、ボカロを乗せてみたのですが、案外やっかいで3ヶ月ぐらいかかってしまいました。しかも、もともと考えていた訳詞が思うようにハマらないので、何度も作り直したら、当初とはまるで違う歌詞になってしまいました。まあ、このプロセス自体が、実は面白いので、できあがったものはどうでもいいような側面があります。
原語で聴いている方は、すぐ分かると思うのですが、いろいろな所で、ドイツ語の音と近付ける試みをしています。最初の「み」、最後の「る」、その他もろもろです。ワーグナー自身、この歌に関しては、音楽のイメージが先行して、その後に歌詞が付いているように私には思えますが、どうなんでしょうかね?
なお、今回のは、本当に「編曲」なので、原曲とはだいぶ違って聞こえるかもしれません。初めの編曲バージョンでは、もっとオケが厚かったのですが、そのままだと音割れしてしまうので、だいぶ音を削りました。このへん、うまく処理できないのは、私のテクニック不足のせいだと思います。
あと、もう一つ、実験的な面があるのですが、これは「インテンポ」つまり「テンポを変えない」「愛の死」です。それもあって、普通7分かかる曲が、4分ちょっとで終わってしまいます。インテンポの例外は冒頭部で、ここは少し遅めに入らないと、さすがにしっくり来ません。ですが、「見つめてよ、それを」の「それを」(原曲ではseht ihr’s nicht?)のところで、メトロノーム80になったところからは、ずっとそのままのテンポです。
最後にクライマックスからディミヌエンドしていくところでテンポを下げようかと思ったのですが、インテンポで行った方が価値があるような気がして、そのままにしてみました。楽譜には、何らリタルダンドの指示はないのですが、これは、100年間ずっとリタルダンドしているようなので、演奏のお約束ですね。インテンポの演奏なんて、皆無と言っていいでしょう。
「100年間」と言ったのは、Youtubeを漁っていたら、1907年の演奏があったからなのですが・・・。(←日露戦争の直後じゃないか。何と古い・・・。)さすがは「愛の死」です。これについては、別に記事を書いてみようと思います。フラグスタートが活躍する1930年後半より前の演奏では、むしろクライマックスでアッチェレランド(テンポを速くする)しているケースが多いですね。これは、現在では、ほとんどやらないですね。
ところで、この曲の面白みは、比較的単純なメロディー(変イ長調の「ソ−ド−ド−シ」)が、半音階的にズレていって、あっと言う間に、別の調に達する所にあります。これは、もちろん、このオペラで何度となく繰り返されてきたことなのだと思うのですが、本当に見事だと思います。
実は、この曲では、最初にいきなりクライマックスが訪れており、「めざめて!」の「ざ」(原語では、hoch sich hebt!のhoch)の音(高い変イ音)は、最後のクライマックスの嬰ト音と同じ音です。その直後に、一度落ち着くと、最初と同じメロディーが、今度はニ長調の「ソ−ド−ド−シ」で始まるのですが、♭AとDですから、一番遠い調に転調しています。
そして、またズレていくと、「聴こえるの、私には」(höre ich nur diese Weise)で、ロ長調の「ソ−ド−ド−シ」が始まります。以下ずっと同じ調なのですが、この「変イ長調」から「ロ長調」というのは、第2幕のトリスタンの「死んだほうがいいのかい?」から「ブランゲーネの第2の見張り歌」をはさんで「クライマックスに至る二重唱」を忠実に再現していることが、また見事です。第2幕の後半の歩みを、この短い曲で簡潔に再現しているわけで、このあたり凄まじい職人芸を感じます。
それにしても、自分で音符を置いてみると、そういうことが理解できていいですね。およそ作曲家でワーグナーを評価しない人というのは聴いたことがないのですが、こういう職人芸を見ると、それは当然でしょう。もちろん、いったん評価したあと反発する人(例えばドビュッシー)も多いのですが、そうしなければオリジナリティーが出せないですから、それも当然でしょう。
いったん、ロ長調になってからも、必ずしも調性的には安定しないのですが、ズレようズレようとする動きをギリギリ食い止めて、ついにWelt-Atem(世界の息吹き)で安定的な主和音に達します。確かに、ここはリタルダンドしたくなりますよね・・・。ただ、リタルダンドしない私の編曲でも、リタルダンドしているように聞こえますが、これは譜面づら自体が、そうなっているからです。したがって、演奏がリタルダンドすると、二重のリタルダンド効果が出ることになります。
もう一つ発見したのは、生身の人間が歌うと「7分」の歌が、ボカロだと「4分」になってしまうのは、この曲は、ソプラノ歌手の声に合わせて、実は自在に緩急を付けて歌う歌だからだと思います。その意味で、これは、あらゆる曲に増して、ソプラノが「自分に合わせて作る歌」のように思えます。私がベストだと思う1936年のキルステン・フラグスタートは、まさにそんな感じで、指揮者がいかに彼女に合わせているかを感じさせられます。私ごとき素人が云々する話ではないですが、これは「指揮者が先導してはいけない曲」のような気がします。
1936年版はフラグスタート主導だからベストになるのかも知れません。指揮はフリッツ・ライナーなのですが、この人、こうできる所が、実はすごい指揮者のような気がしてきました。前回もリンクしましたが、ボカロ・バージョンのお口直しにどうぞ。

ちなみに、こういうものも見つけたので、Youtubeのコメントでは、こちらを紹介してみました。これも、けっこう、いいですよ。1939年とあります。

音質がいい(特に後半)ので、こちらのほうが一般的かな?と。きっと、デジタリング・マスターテープ・リカバリー(?)をしているんですね。ちょっとヴィブラートがありすぎな気がしますが?歌唱そのものは、1936年のほうが上でしょうか。1936年は、前半の歌唱がすごすぎるのです・・・。声が、あまりにも素晴らしすぎます・・・。
前回も触れたのですが、案外この「フラグスタート型(?)」子守唄歌唱は、あとあと引き継がれていないですね。ほとんどの人が「ドラマティック路線」です。(フラグスタート自身も、戦後の演奏では「ドラマティック型」になっているような感じがします。例えば、フルヴェンとのCDなど。)ですが、一方で、フラグスタートについては「彼女は、ワーグナーのどの役をやってもフラグスタートだった。ある登場人物と結びついて思い出せない」という評もあります。これは、もちろんネガティブな意味です。でも、あまりにも大昔ですから、私にとっては、これは何ともコメントしようがありません。ヴァルナイにとっても、ニルソンにとっても、すでに「神様」だった存在ですから、うかつに評価できません。ただ一つ言えることは、この「愛の死」のレコードだけでも、永遠にワーグナー・ファンの記憶に残り続ける存在であることだけです。
ところで、この路線、どなたか、もう一度やってみませんかね?実は、できそうなソプラノ歌手が、いっぱい、いるような気がするのですけど。シュテンメさんといい、テオリンさんといい、みんな、ドラマティック路線です。(一番できそうなのは、ヴァルトラウト・マイヤーさんか?)最後の最後で、ガラッと表現を変えるのは、難しいかも知れないですけど、きわめて効果的に思えます。それをやられたら、わたしゃ失神して、「トリスタン上演における死の伝説」に名前を連ねそうな気がするぐらいなのですが・・・。