たまにはシリアスに、ハーゲンのことなど

ふと思うと、甘酸っぱい「リング」だけではなく、シリアスな「リング」についても書くように、starboard様はじめ各方面から促されている気がしたので、ややそのあたりを書いてみようかと。(実はコペハンリングの「黄昏」について、まだレビューを書いていなかったので、その先取りという側面もあります)
思いつくままに書くのですが、最初は「野蛮って何だ?」です。歴史とかを見ていると、昔の人って「野蛮」のような気がして、コペハンリングでは、ヴォータンがアルベリヒに対してすることは、まさに「野蛮」な感じがします。しかし、ひるがえって見ると、自分で手を下しているだけ良いとも言え、陰謀をめぐらして間接的に殺しを企むより、いいような気がします。
あるいは、いつの時代の人もそう思うのかもしれませんが、昔の人は「野蛮」な半面、「人間」としてのバイタリティにはあふれていたような気がします。ワーグナーだって、亡命、借金と、現代人から見ると想像不可能なほど凄い人生ですが、やけに人間味があるような気がします。
ところで、コペハンリングの第2幕は、兵士が出て来て、ハーゲンがピストルを使ったりしますから、これこそ「野蛮」ですね。ヨーロッパの人が見ると、ユーゴ紛争などが想起されるのでしょう。この意図は良く分かるのですが、もしかしたら、もっと怖い演出というのも考えられて、それは、指一つ、ボタン一つで、彼らが「殺し」を実行するというものです。私は、むしろそのほうが怖いかなと思います。
何にせよ、ハーゲンについては、まさに「悪」そのものとしてやる演出が主流なんですかね。ウォーナー演出もそうでしたし。こうした演出だと、ハーゲンについて「かっこよさ」を云々するのはどうか?というのは、そりゃそうですね。このテーマは大事だと思うので、ずっと考えていたのですが、なかなかまとまりません。
でも、男性はハーゲンに魅力を感じる人が多いですね。これは間違いないです。新国のパンフレットでも、そんな解説がありました。なぜでしょう?
一つ思うのですが、それは「悪」に魅かれるというよりは「作戦」と「作戦を立てる知力」に魅かれるんじゃないか?と思います。よく「軍事オタク」の方というのがいるのですが、これは男性だけで、女性の「軍事オタク」ってあまり見たことないですね。もしかしたら、いるかもしれませんが。
おそらく、この軍事オタクの方というのは、兵器とかが好きなのではなく「作戦」が好きなんでしょうね。私も歴史小説を読むので、そのあたりの感覚はわかります。スポーツ観戦が好きな人というのも「作戦」が好きな人が多いんじゃないか?
うろ覚えですが、ユートピア社会主義者として知られるフーリエは、人間の基本的な欲求の一つとして「陰謀欲」というのを挙げており、それを満足させるために、彼のユートピア社会では「ゲーム」をすることになっていたかと記憶しています。それって現代そのものじゃん、という気もしますが。
仮に「陰謀欲」というものがあるとすると、これって、女性より男性のほうが圧倒的に強い欲求のような気がします。水をも漏らさぬ計画を立てて、ミッションを達成し「悠然と去っていく」というのが、ハーゲンが「かっこよく」感じられる原因でしょうね。これ、やってることの「良し悪しは別」ですが、まさにそこがミソで、ハーゲンというのは「すごく頭がいいのに、物事の良し悪しは全く考えない人」かも知れません。そう考えると、こわいですね。
ただ「リング」の良いところは、最後の最後で、彼がなぜか敗者になることですね。音楽的にはブリュンヒルデの登場の音楽なのですが、これ気持ちがスッとする瞬間です。「悪しき男性原理からの解放」という気がします。「カタルシス」というやつです。
それにしても、コペハンにしても、ウォーナー演出(ハーゲンはヤクを注射している)にしても、ハーゲンが「悪そのもの」だと、まるで共感できる要素がないから、必然的に、そのカタルシスも生まれてこないですね。演出意図はわかるのですが、難しいところだ。
結局、クナ58年のヨーゼフ・グラインドルの「やたらとかっこいいハーゲン」を音でだけ聴いてしまいます。要は、これをずっと聴いてきたから、かっこいいハーゲンのイメージができちゃったんですね。でも、このままじゃ進歩がないですね(笑)。
これも私の単なるイメージかも知れませんが、ワーグナーは自分のキャラクターに対しては、「どこかいいところを探そう探そう」とする人で、あまり悪一色のキャラは描かないですね。必ず何がしか共感できる材料を探してくるところがあります。その点、ドストエフスキーなんかは「完全な悪」を描こうとする人なので、最近の「リング」のハーゲン像は、「ワーグナー作品のドストエフスキー風解釈」ではないか、という気がします。私個人は、「舞台作品」としては、何かちょっとつまらない気がするのですが、よく考えてみると、そういう描き方こそが「現代的」かも知れません。
うーむ。「黄昏」の演出って難しそうですね。