「救済者に救済を!」か「救い主が救われた!」か

「オペラ対訳プロジェクト」上で、私の「パルジファル」翻訳について、最後をしめくくる合唱の訳(タイトル文の最初が良くある訳、後の方が私の訳)について、ご質問をいただいていました。
また、前回の記事で、ニーチェの話を中途半端にしてしまったので、その点を中心に書こうと思います。
ワーグナーの場合」だったか「ニーチェワーグナー」だったかで、ニーチェはこんなことを書いています。
ワーグナーが死んだ後、そのお墓の上に、誰かが気を利かせて、まさにこの歌詞 Erlösung dem Erlöser と書いた花環(だったと思います)を置いたというのです。
ところが、そのあと、誰かによって文字が書きかえられ、Erlösung aus (dem?)Erlöser とされていたという話です。(←原文を確認していないのですが、日本語訳を読む限り、こういうことだと思います。ausは、英語のfrom)
こういう愚にもつかない話を書きとめずにはいられない所に、私は、ニーチェワーグナーに対する愛憎の深さを感じるのですが、ここで、ニーチェ自身、そして、この話の前提になっているのは、このセリフを「願望」ではなく「現在」と取ることにあると思います。
つまり、最初は「救い主が救われた」と書かれていたものが、「救い主(ワーグナー)から救われた(解放された)」と書きかえられたというのが、この笑い話のミソでしょう。
仮に、このセリフを願望と取ると、あとのイタズラの文面も「ワーグナーから解放されたい」になってしまい、イマイチ面白味が伝わってきません。
そういうわけで、私は、少なくともニーチェはじめ当時の多くの人が、この歌詞を「救われた」と受け取っていると推量します。
また、「救済者に救済を」だと、この長い作品の最後に「まだ救済されるべき人がいる」ように思えますから、直感的に違うんじゃないんでしょうかね?
おとといの「パルジファル」では、指揮のシルマーさんが、とても正統的な解説を付けているので、彼に聴いてみるのが一番かも?たぶん「救われた」という解釈で間違いないと言っていただけるような気がします。