コペハンリング・ジークフリート

三連休で良かったです。コペンハーゲン・リングのジークフリートを堪能できました。正直言って私のような長年のファンは、演出に関してはハスに構えているところがあって、これも「ワルキューレ」までは「フムフム・・・」みたいな感じで見ているところが若干あったのですが、昨夜「ジークフリート」を見たら完全にはまってしまい、深夜まで「やめられない止まらない」で、あらら全部見てしまいました。これはもう圧倒的です。
どんどんドラマが高まって行く所がいいです。第3幕を見終わった興奮のまま寝てしまい、朝起きてもドキドキ感が止まらないので(笑)、「黄昏」第1幕の二人の「ラブラブ」を一気に訳してしまいました。
こちら↓
http://www31.atwiki.jp/oper/pages/197.html
オペラというのは「恋の歌」はあるが「新婚のラブラブ」というのは滅多に描かないので、これはオペラ史上最高のそういうシーンかもしれません。至らぬ所はあれど、今日訳せたのは天啓かも知れません。しかし、訳していると、ますます心に染みてくるものがあり、夜また「第3幕(ジークフリートの)」を見てしまいました(笑)。これは、ほんとイイです。また、すぐ見てしまいそうな気が(笑)。
さて、レビューを。
・第1幕は、Youtubeで事前予告を見ていたのですが、ミーメがタイプライター(?)をタッタタタタタ、タッタタタタタと打つところは、吹き出してしまいました。熊の毛皮を出しながらもGジャンで出てくるアナセンも似合っています。見た目は、ワルキューレの役柄よりコッチのほうがいいです。
・秀逸なのは、ギターが置いてある自室が2階にあるのはありがちとして、更に地下があることです。これはなかなか。往復が大変そうですが・・・・。
・設定は、けっこう新国立劇場のウォーナー演出と似ていますね。しかし、似て非なるもの、というか、コンセプトは全く違います。あえて一言で言えば、ホルテンの描き方は「リアリズム」、ウォーナーは「キッチュ」ですね。
・さっき「ワルキューレ」のBonusのホルテンとデンマーク王妃との対話を見ていて、すごく面白かったのですが、ホルテンって、すごく若くてビックリしました。解説書で、ロラン・バルトの引用があったりしたので、もっと年よりのイメージがあったのです。
・ホルテンの言っていることで得心が行ったことは「これは指揮者と一緒に、みんなで意見を出し合いながら作り上げた演出だ」と言っている部分ですね。そうだろうな、と思います。感覚的に納得が行く部分が多いのです。
・ウォーナーの「キッチュ」は、これはこれなのですが、私には(多分だれも)これが何のためのキッチュなのかがわからないのです。というか、あえてわからなくしているのでしょうね。そういう意味では、これは「デコンストラクション」の時代の「指輪」で、この用語自体を、私は久しぶりに思いだしました。
・ミーメは「等身大」です。この意図はよくわかります。新国立のシュミット・ミーメのような「変態風」ではないですね(笑)。やってることが同じなので、つい比較してしまいますが。ホルテン演出では、アナセン・ジークフリートが、最後も悼んで抱きしめていますね。この一貫性はいいです。第1幕でも、毒がゆ(?)を作るところで、ミーメは酒をしこたま飲んでますから。これは、私のイメージではミーメへの「免責」です。

さて、第2幕(以下、若干ネタばれがあるので、見てない方はご注意ください)
・ここから完全にはまってしまったのですが、アルベリヒは、歌声がいいこともあるのですが、何かカッコイイですね。
・実はここで「黄昏」の主要キャラが出そろってます。ハーゲンの登場は、そんなに意外ではないです。うれしいのは、年格好が私のイメージどおりですね。これは「指輪」のテクストを読めば、当然こうなります。私のイメージでは「デジャブ」だったので現実化してよかった・・・。アルベリヒとは、「性格の違う親子」な感じ。
・大事なのは、アルベリヒ、ハーゲンは傍観するだけなのに、ジークフリートは「行動」することでしょうね。これは、はっきり意図的なもので、二人が驚き呆れている中、ジークフリートが突き進むのをうまく描いていると思います。
・わたしが個人的にキュンと来たのは、ジークフリートの「葦笛」が「リコーダー」なことですね・・・。私は義務教育時代に、これを吹くのがイヤでイヤで仕方がなかった・・・。音楽と言うもの自体が嫌いになります。いい音が出るはずがない楽器を吹かせてどうしようというのか??なんか、やたらとツボにはまってしまったのですが、デンマークでもこんな授業があるのですかね?
・「森の小鳥」は「白い鳩」です。「ワルキューレ」第3幕でブリュンヒルデがこの鳩を放した時、「ん?これは?」と思ったのですが、なるほどこれはこうなるわけですね。それにしても、この鳩、よく仕込んでありますね。でも、これって、ある種こっぱずかしくなるような「純愛」です。
・これに関連してですが、ホルテンは、解説書でも、インタビューでも「ジークフリート」だけは「1968年」とはっきりと時代を明示しています。「純粋に」世の中を変えられると信じた世代ということでしょうか?(だからホルテンって年寄りだと思ったが若いじゃないかあ!)
ファフナー、面白いですね。これも地下をうまく活用。この設定、私は「エイリアン」(うろ覚えなので、あるいは「エイリアン2」?)かな?と思いました。姿なきタコ足とコクピットがそう思わせるわけです。ジークフリートは、ファフナーも「何となく」刺しちゃいます。

第3幕・・・・・・。
これは圧倒的。
生きてて良かったと思います。
・「愛人のもとを訪れるヴォータン」・・・これはこれだけでアカデミー賞ものというか・・・。なぜ、これを誰も思いつかなかったかと思います。ヴォータンがバラを持ってくる所がいいです。大声で叫ぶのは近所迷惑ですが、そこがとてもリアル。エルダは病人なのに身づくろいして、バラを受け取って微笑む・・・これもリアル。
・そして、エルダが肌を露出するのですが、ここに感銘を受けました・・・
・なぜかということですが、これは頭で考える世界じゃないです。「ヒトの尊厳」って何か?ということを「体で考える」シーンです。
・ヴォータンは一瞬激しく拒否しますが、これもリアルです。
・これに比べると、第2場のジークフリートとヴォータンのシーンはわりと普通ですが、ヴォータンが自分から槍を折るのは秀逸ですね。実は、これも「尊厳」ということにかかわっているように思えます。
・そしてブリュンヒルデとの出会い。一つ一つがいとおしい感じで、このままだと一秒ごとに解説してしまいそうです。
・そこで、今日はさわりだけにするのですが、建物の使い方がうまくて、ブリュンヒルデにキスした後のジークフリートは、建物の外に出て、ガラス越しに彼女を見ようとします。ここで表現したいことは、すごくわかります。
・起き上がるブリュンヒルデもすごくリアル。背中の方に手をやって、ちょっとさする仕草をするのですが、ずっと寝ていたのだから無理もありません。この「身体感覚」は、この演出の特筆すべき素晴らしさだと思います。
・外に出て行く時のブリュンヒルデの笑顔・・・。これはたまらないものがあります。胸がキュンとします。
・鳩は、音楽と合わせて、いいタイミングでフライアウト。

さて、以下は、主に、このDVDを紹介していただいたstarboardさまのために書くのですが・・・。
・私は、ブリュンヒルデの「私の不安もわかって!」によって、ブリュンヒルデの人格(そういう言い方でしたっけ?これこそ「尊厳」かも知れません)にジークフリートが初めて気がつくというご意見に賛同です。
・というよりは、おかげで生まれて初めて、この場面が良く分かりました。
・「妄想かも」とお書きになっていたと思うのですが、そうではなく、少なくとも、この演出では、そのように描いていると思います。それは、何のサジェスチョンもなくても、ハッキリわかると思います。アナセンが、かつてない真剣な顔で振り向いていますから、これは分かります。
・この認識は、認識したのは間違いなくて、決して妄想なんかではないです。ところが、男性の中では、これは直感的なもののため、記憶の中に定着しないで、すぐ忘れてしまうのではないでしょうか?
・だから、世の男性(代表としての私)には、以前私の記事で書いた如く、ここは「女性(ブリュンヒルデ)が、なぜか一人で納得している」ように思えてしまうのです。
・私の数少ない経験(笑)から言うと、おそらくこういう決定的な場面では、思うに私が意識していることではなく、私が想像だにしない全く別のことに女性は反応しているのではないでしょうか???ですが、想像しないとはいえ、分かっていないわけではありません。たぶん(自信が無い?)。
ジークフリートは「何も知らずに偉大なことを成し遂げる」キャラなので、この場面も直感はしているはずですが、言語化ができないんじゃないんですかねえ?それができさえすれば、この先の悲劇は起こらないような気が?でも、言語化できないキャラだからこそ、いいのかもしれません。難しいところです。
・それにしても良かったと思うのは、少なくとも、私は、このシーンが大好きだったので、「右舷」さんの記事を読めたことです。オペラって「男女の話」ですからね。直感にとどまっていたものを言語化できたので、だいぶ経験値が高くなりました(笑)。

さて、最後に、まとめなのですが、この演出のキャストたちって「イノチガケ」の演技で、それが伝わってきますね。アナセンは体型として「汗っかき」かと思うのですが(笑)、ミーメがボタボタと汗を垂らしているのは・・・。なんか「生存を賭けたストラグル」だと思います。この演出は、「ジークフリート」をそういう形で「リコンストラクション」しているような気がします。
でも、そこにぬくもりを感じられるのは私の世代までで、あのハーゲン像から見て、「黄昏」では、まったく突き抜けた世界に行くのだろうと思います。その前に、もう少し、この「ジークフリート」の余韻に浸りたいような気がします。