コペハン・ワルキューレ

昨夜は、スーパーに行ったら、なぜかお好み焼きの宣伝をしてたので、久しぶりに家でお好み焼きをしながら、「ワルキューレ」の第2幕・第3幕を一気に見ました。ビールを飲んで、へらで裏返しながら「ワルキューレ」というのも何ですが、早速そのレビューを。
全体として見て「ワルキューレ」は、そんなに突飛な演出はなく、大事な所は音楽に委ねている感じです。しかし、ディテールへのこだわり方がなかなかいい感じです。例えば、
・第3幕で、初めははっきりとブリュンヒルデに冷淡だったワルキューレたちが、ジークリンデの「子供ができた」という歌に反応して、そこから二人の味方になるところは面白いです。はっきりとそう描いている意図が伝わってきます。説得力があって良く分かります。
・また、この後で、ヴォータンがワルキューレ達を追っ払うのですが、うち2人のワルキューレがいったん引き返して来て、その都度追っ払われます。たいがいアッという間に去ってしまうので、こういうのは演劇的でいいと思うんですよね。
・心理描写が細かい。第2幕の「死の告知」の場面で、ブリュンヒルデジークムントに「あなたはとてもきれいだ」と言われて、うれしいのかニコニコ笑うところが印象的。こういう演出は、あまりないような気がします。すぐ「でも冷たい人だ!」とけなされるのですが・・・
・第2幕のヴォータンが娘に「家族の歴史」を物語るところは、例のホルマリン漬け(?)が出てくるやら、でかい本を取り出すやら小道具が細かいですが、この場面は長いので、確かにこれくらいやったほうがいいかもしれません。
・この登場人物たちは、いざとなると物を投げつけるキャラです。フンディングが手当たりしだい投げ始めるシーンはビビります。この人の雰囲気、怖いよ。町で会いたくない。第2幕の最後までチンピラだし。しかも、ヴォータンに言われても死なないのね。死体にツバを吐いて、そのまま行ってしまう。ウエストサイド・ストーリーみたいな感じ。そう考えると、何か納得できるものがある。
・物を投げるというのとは、ちょっと違うかもしれないが、第1幕の「冬の嵐が消え去り」の直前では、ジークムントは窓ガラスを破壊。これも、ウエストサイド・ストーリーの頃の若者文化か?「理由なき反抗」みたいな。
・時代設定は、第2幕の射撃演習場(?)とか、第3幕の兵士の服装とかで表現しているような気がする。たぶん、ヨーロッパの人が見ると、すぐピンとくるんでしょうね。

さて、一つ特記したいのは、ジークムントとジークリンデです。
・アナセンのジークムントは、声がピッタリ来る。私は、ジークフリートジークムントは基本的に同じものが求められているような気がしますから、ジークフリートが良ければジークムントも合うはずと思います。顔は、何でこんなに白塗りなんだ?面白いからいいけど。若く見せようとしているのか?舞台でなく、ビデオで接写されるからキツイのかもしれない。とはいえ、この人、声はホントにジークムントだわ。音だけで聴くと、余計そう思う(笑)。「ノートゥング」と連呼する所なんか、もうイメージ通りです。でも、舞台は、これ自分で抜かないで、ジークリンデに抜かせていますね・・・。二人で「ヤッター!」みたいな所が、なんか笑えます。音だけ聴いていると、それがまたギャップな感じが。
ジークリンデは、すごく「明るいジークリンデ」。演出意図もあるのでしょうが、ジタ・マリア・ショーベル自身が顔、体型(?)、声ともに明るい感じなのでそうなるのか?第1幕からそう思っていて、第2幕の深層心理学的な所も、やはり明るい印象を受けてしまう。ちょっと私のイメージとは違いますが、これはこれかと。さっきの第3幕の「子供ができて喜ぶ」シーンは、これがいい方向に働いていると思います。第2幕の「死の告知」では、ジークリンデも一緒に起きている所が特徴ですね。

最後に、テオリンのブリュンヒルデですが、こりゃいいわ・・・。完全にはまってしまった。この人は、何がいいかと言うと、ダイナミクスも十分ですが、表現がドラマティックです。全体に素晴らしいのですが、特に良かったのは、第3幕のジークリンデに「生きなさい」という所。映像と合わせると、ここの最初のLの音がすごくドラマティックで良かった。ジークフリートのメロディーに乗せて歌うところの表現も素晴らしい。完全にノックアウト状態です。それにしても「ドラマティックに感じる」ということは何を意味しているのか?ということを最近考えていたのですが、まだうまく言葉に出来ない状態です。
演出上は、まだ娘ということで、ニコニコしていることが多いので、最後の「神性はく奪」場面では、そのギャップが際立ちます。なんか声のファンになると「あばたもえくぼ」というか、何をしても好ましく見えてしまう。体型も含めて(笑)。

最後に一つ思ったのは、これって、第2幕以降、どこに行っても背景に「書斎(書棚)」がついて回ります。これは、この演出のコンセプトが、ブリュンヒルデから見た「ある家族の歴史」なので、それを記録するべき「本」が必ず「フレーム」として付きまとうということでしょうか?ということは、「ジークフリート」以降も、それが続くような気がします。次の展開を予想するのも、なかなか楽しいです。