新妻ブリュンヒルデ〜第1幕へのプレリュード〜

昨日訳した「黄昏」のラブラブ二重唱ですが、ちょっと気になるところがあったので、今、若干、修正しました。「誤訳」はできるだけ潰しておきたいので。ところで、私の訳は、「だいぶ意訳している」と思われる方も多いかも知れませんが、決してそれを狙っているのではなく、「現代人がスッと入れる読みやすい訳」というのを目指しているつもりです。
その一環として、自動的に「ある設定」になっている場合があり、その関係で、言葉を補足したり単語を工夫している場合があります。もちろん、あまりやりすぎるのもどうかと思うので、その時々で、「直訳風」のときと「イメージをふくらませている」時があることをご了解ください。
この場面は、もうハッキリと後者です。昨日もリンクしましたが、念のため↓
http://www31.atwiki.jp/oper/pages/197.html

これ、お読みいただくとわかると思うのですが、ブリュンヒルデは、かつてはバリバリ仕事をする女性だったが、結婚して家庭に入ったら、すっかりしおらしくなってしまい、夫の帰りを待つ主婦というようなイメージですかね。
とはいえ、これ解釈しすぎかというと、そうでもなく、セリフを素直に訳していくと、勝手にこうなった印象です。作為的なものは、特にありません。そもそもが、かわいらしい歌詞なのだと思います。
ですから、最初のブリュンヒルデの歌詞の数行、この部分の訳し方が、この場面全体を規定しまうように思います。
ところで、私、今回、翻訳したりDVDを見ていて思ったのですが、こういうシーンって、実は、あまり深読みすることなく素直に楽しめばいいのだな、と思いました。
これから先、ものすごい悲劇が発生するので、何となく下地がここにすでにあるような気がしてしまうのですが、実はまるでそうでないんですね。これに続く「ラインへの旅」なんかも、「破れかぶれに明るい」みたいな解説があったりしますが、そうじゃなく「単純に明るい」んですね。(「ジークフリート」のフィナーレもそうですね)
要は、私のような長年のファンとか、いわゆるワグネリアンって、どうしても「考えすぎ」になってしまいがちなので、少し思考を停止して、子供のような素直さで聴き直してみることが有用な気がしています。
特にこの場面というのは、女性の願望が素直に現れている部分のように思えます。「行ってらっしゃ〜い!」と送り出し、「お帰りなさ〜い、お風呂にします?それともお食事?」とか言って迎える「おままごと的世界」を可視化したものと言えばいいのでしょうか。やや妄想気味かもしれませんが、若いころ、現実に、そういうことを言っていた女性がいたので、こちらはそれを聞いてビックリしたわけです。「それって、すぐ飽きるんじゃないか?」と言いたくなりましたが、言うべきではないでしょう。ちなみに、この方は単なる友達で、「私とそうしたい」と言ってたわけではないです(笑)。

今日は、書きたかったことは、上記でおしまいで、以下は、例によって「対訳備忘録」です。ことワーグナーに関しては、これやっておきたくなるんですよね。そういえば、第2幕をまだやってませんでしたが、それは後廻しにして、まずこちらから。
・このシーン、「ジークフリート」から何年後(何カ月後)でしょうね?一つ言えるのは「アツアツ」である期間で、結局これは個人差によるのかもしれません。
・最初の4行は、結果的にかなり意訳かも知れませんが、意味はこうかと思います。「値打ち」だけではなく、「魅力」も付けくわえたわけですが、gewinnenがwenig(少ない)になったというのは、こういう意味で間違いないと思います。
Runeは、頻出単語ですが、通常「ルーネ文字(古代ゲルマンの文字)」と辞書にありますが、古語で「秘密」とかの意味になり、ここは「おまじない」としました。
・meiner Stärke magdlichen Stamm=直訳「私の強さの乙女の幹」は、何となく意味はわかりますので、こんな訳になってます。
・最後の4行は、とりわけキュートな感じ。こう言われると男性心理は胸キュンですね。gönnenは、「甘える」でいいのか、ちょっと疑問ですが、ここは勢いで。
・続くジークフリートのセリフも素直。
・「あたしに、愛のプレゼントを」・・・これは意訳のように見えるかも知れませんが、私はむしろ直訳するとこうなると思います。確か、ここからの「民謡調」が素晴らしいと、トーマス・マンは指摘していたと思います。やはり「キュート」。
・「固い兜から解き放ってくれた」・・・「切ってくれた」ということですが、brachは、ジークフリートの最後の歌でも出てきます。二人の間の大事な記憶なので、きちんと対応していますね。
ジークフリートの「ぼくは指輪をあげるよ・・・幸がいっぱいつまっているのさ」は、イローニッシュ(アイロニカル)ですね。
・指輪を受け取って「誰にもやらないわ」というのも、深い意味ですね。geizenというのは「物惜しみするわ」ということなので、この訳でいいかなと思います。
・愛馬グラーネは、ブリュンヒルデの愛のシンボルだと思います。だから、彼女はここでジークフリートにそれをあげてしまいます。ふと思ったのですが、このあとギービヒ家の場面で、グラーネと別れた時に、すでにジークフリートの運命が決したと言えるかもしれません。
・「あたしともども強い性格でなくなった」のArtは「性質」。私のイメージでは「かわいい奥さん」になってしまったということでしょう。
・この箇所の最後の4行では、ブリュンヒルデは、グラーネに言寄せて、自分のことを語っているような気がします。「大事に守ってほしいの!あなたの仰せのまま・・・」は、グラーネのことなのですが、自分自身のことのようにも取れますね。訳は、あるいは「アキバ風」かもしれませんが(笑)、やっぱりキュート。
・最後の一行の主語は、最初「グラーネ」にしていて、それは英訳がそうなっていたからですが、文脈から言っても、やはりこのほうが自然ですね。
・「ぼくの戦いの勝敗を決めるのはあなたさ」は、「ヴァルキューレ」(確か「運命」を「選ぶ」の意)に対応していますね。
・「勝利をプレゼントするのは」は意訳。「勝利は君のところに行く」。ここは、チアガールと、スポーツ選手みたいなイメージが湧きます。
・セリフが短くなって行ったところで、lebhaft(いきいきと)というト書きが入りますが、これは次のブリュンヒルデのセリフが、軽いジョークだからだと思います。その気分を表すために、「えっ?」という言葉を付けてみました。
・軽いジョークの後のジークフリートの受け答えは、100点満点と言うか・・・。「うっとり感動する」にうまくつながっていきます。「ジョーク」⇒「感動」の展開がうまい。
・こうしてブリュンヒルデは「神聖な神様たち」をたたえるのですが、「このカップルに目を向けて幸せになって!」は、通常「目の保養をして」です。結婚式をハデにやりたい女性の心理ですね。
・「別れさせられない」の別れ(scheiden)は、最後の自己犠牲の「schied er sich durch sein Schwert」を想うと泣けます。いや、最初に言ったように、ここで泣いちゃいけないんでした(笑)
・二人の最後のセリフは、「ジークフリート」フィナーレと対応していますから、日本語もそうしています。
・Heilは、この場合、日本語で言うと一番近いのは「達者でね」かと思いますが、年よりっぽくなるので、「元気でね」です。
ジークフリートが旅立った後の「無我夢中に身振り手振りで手を振る」も、何とも「いじらしい」というか「かわいい」というか、これはやはりこういうキャラとして設定しているのだと思います。

今回、これを訳せて良かったです。何十回となく聴いたシーンなはずですが、きちんと訳してみて、初めて本質が分かった気がします。ここはとりわけ大事な箇所だと思っていたので、これでテオリン・ブリュンヒルデを聴く準備が、ほぼ整いました。