2月13日はワーグナー没後130周年でした

70歳のほぼ3か月前に亡くなったので、去る2月13日は没後130周年でした。ヴェネティアで亡くなって、遺体がドイツに蒸気機関車で運ばれたので、ヴィスコンティの映画で有名なトーマス・マンの『ヴェニスに死す』というのは、明らかにワーグナーをイメージしています。ただし、もちろん主人公の名前は「グスタフ」なので、直接的には直前に亡くなったマーラーをイメージ。ワーグナーマーラーのイメージが、トーマス・マン流に融合されています。私はこの小説がとても好きなのですが、勝手にこんなイメージを持たれては、迷惑と言えば迷惑かも知れません。
それにしても、私にとってはワーグナーの作品を知ったというのは、やはり他に替えられない貴重な体験でした。それも、クナッパーツブッシュが『パルジファル』をいい音質(1962年バイロイト)で残してくれたからでしょう。クナは、1951年から64年までほぼ毎年バイロイトでこの作品を指揮していますが、すべて無報酬だったらしいです。バイロイトで指揮できること自体が、至上の名誉だったとのこと。なんじゃそりゃ。ワーグナーにささげた、というか『パルジファル』にささげた人生ですね。
第1幕の「舞台転換の音楽」ですが、まず「聖なる下降音階」の反復が圧倒的な感動をもたらします。う〜む。何度聞いてもこんなに素晴らしいものはないと思います。この反復進行がブルックナー風なので、勝手な推測ながら、たぶん初演を聴いたブルックナーもそう思ったに違いないと思います。ところが、その瞬間から音調がどんどん深く沈んでいき、アンフォルタスの嘆きのモティーフが爆発するという「音楽上の場面転換」が凄い。このへんはちょっと他の追随を許さない魔術的なコード進行だと思います。
このことを考えていて、ふと気づいたのですが、これは「聖」の世界に入れないというアンフォルタスの「声なき」絶望的な叫びなのでしょう。ということは、実は『タンホイザー』第3幕のタンホイザーの「ローマ語り」を淵源に持っているのでしょうね。『タンホイザー』を翻訳してみて理解が深まったような気がします。
パルジファルの素材はアーサー王伝説なので原ヨーロッパ的(ケルト的?)世界なのですが、それに対してキリスト教的な「罪」の観念がここで衝突しているように思えます。ワーグナーの作品のほとんどに、西欧文明の古層である土着宗教とキリスト教的普遍(カトリック)が感じられます。
ワーグナー作品におけるキリスト教と古代宗教の接触」と仮題をつけてみると面白そうです。『タンホイザー』『ローエングリン』はこの点がハッキリ分かるので、むしろ『オランダ人』で研究してみるのが面白いかも。
そう考えると『トリスタンとイゾルデ』では、宗教的な匂いがセリフを含めてほとんど全くないのが、逆に非常に面白い点のように感じられます。音楽にも宗教っぽさがないです。そしてまた、彼はこの作品を亡命先であるスイスで書き始め、ヴェネティアで仕上げたと考えると、それがまた意味深長な感じがします。
マイスタージンガー』『神々の黄昏』『パルジファル』はルートヴィヒ2世に迎えられ、ドイツに帰還した後の作品です。ただし、『マイスタージンガー』も「宗教改革期のニュルンベルク」なわけですから、その視点からじっくり見ていくと更に発見があるかも知れません。
4月にはコンサート形式の『マイスタージンガー』がありますので、これが楽しみです。