「ブラバントのローエングリン」(グリム童話)と「訳者より」
この前対訳を完成させた『ローエングリン』について「訳者より」と「グリム童話の翻訳」をアップしました。
「訳者より」は私としては珍しく、途中でワーグナー自身の文章をそのまま引用したのですが、実はこの文章でワーグナーは彼自身にとってのこのオペラの意味をズバッと表現しています。ただし、補助線を引かないと分かりにくいのも確かなので、私のコメントがその「補助線」になっていればと願います。
訳者よりhttp://www31.atwiki.jp/oper/pages/1629.html
「グリム童話」のほうは、何と言っても「童話」なので、それっぽい語り口にしてみました。必ずしもうまく行っているか分かりませんが、「あのグリム童話にこういう話があったのか」と思っていただければ幸いです。
グリム童話「ブラバントのローエングリン」http://www31.atwiki.jp/oper/pages/1630.html
さて、5月29日に新国立劇場の「コジ」に行く予定で、今週末は特別企画「日本人歌手によるコジ」にも行く予定です。そんなわけで時間を見つけては予習していたのですが、前は今ひとつ分からなかったものが、だいぶ良さがわかってきました。やっぱりイタリア語がまるで分からなかったのが理解を妨げていた気がします。「フィガロ」と「ドンジョバンニ」はそれほど言葉が分からなくとも自分的には何とかなるのですが、この話は実は台詞がすごく重要なような気がしてきました。だから少し勉強しようと思っていたのに原発事故の影響で吹っ飛んでしまいました。まったくもう。しょうがないので市販の対訳で予習中です。
あと、その中間に、すみだトリフォニーにブラームスとマルチヌーを聞きに行くのですが、アルミンク氏は今月からは帰ってくるようですね。良かったです。
なんかネットを見ていると「この事故で誰が男を上げたとか下げた」とかいう記事があるのですが、私自身は仕事とかで外国人に会うたびに「この時期この人よく東京にいてくれるよ」ととにかく感謝したい気持ちにしかなりません。実際、サンキュー・フォー・ユア・ステイング・イン・ジャパンと言ってしまいます。
チェルノブイリ事故の時はドイツやオーストリアも汚染されたのですが、その時期、現地在住の日本人が日本に帰ってきても「それは当然では?」と思ったのではないでしょうか。(「チェルノブイリとは違う」と言われそうですね。私自身も実際違うと思いますが、後付けで「レベル7」だと言いましたから海外は「それ見たことか」で余計不信感を抱いたことでしょう。)
逆に考えればわかることなのに、なぜそう考えられないのか悲しくなります。日本人は自国なのだからここにいるのが普通ですが、外国人は多くの場合選択の余地があるわけですよ。そんなことを書くこと自体が最終的な日本脱出を決断させてしまう可能性だってあることを知るべきです。
全然関係なさそうな九州だって外国人観光客が激減しているのですから、日本にいて大丈夫なのか?と外国人が思ったとしたって仕方がないでしょう。家族とか子供がいればなおさらです。そもそも事故は終結していないのですから。「科学的に安全」というのと「安心」というのは全く違うわけですよ。もちろん科学的なデータで行動することは大切なので安全だと説明はするべきですが、安心のほうは人に強制できることじゃないです。悪いのは原発事故を起こした日本なのに、その矛先が外国人に向かっているのがいたたまれなくなります。「放射能」というのは必ず風評が付随してしまうので他の自然災害と同列に扱うことができません。もっとも地震そのものだって我々日本人はそういうものだと思っているけど、ヨーロッパの人から見たら文字通り「驚天動地」ですよ。異文化の立場に立って考えてみましょうよ。
あ〜あ。この「逆の立場で考えられない」って本当にいやだ。「来てくれる外国人に感謝」とだけ言えばいいんですよ。自分自身のためにも後先考えて行動しないと、そのうち別の意味で愛想を尽かして誰も外国人来なくなりますよ。ものすごい「ジコチュウ」です。
もっとも私はたぶん変わり者だから、こんな記事を書いているのは私ぐらいかも知れませんね・・・。でもまあ、同じように考えている人も多いと思います。
話がそれましたが『ローエングリン』対訳ご活用ください。これで対訳11作目です。数だけはワーグナー(のメジャーな作品)を超えました(笑)