音楽という科学〜ベートーヴェン「ピアノソナタ第32番」
「オペラ対訳プロジェクト」で「チーム・ヘンデル」として活躍しておられるREIKO様のブログを見ていたら、目からウロコがたくさん落ちてしまいました。率直に言って、音楽というもののとらえ方が変わると思います。
http://handel.at.webry.info/201104/article_2.html
この一連の記事で一番思うことは、ベートーヴェンがいかに「響き」を考えていたか、逆に後世がいかにそれをないがしろにしているかということだと思います。音楽は「科学」だなと感じます。
この第2楽章は「アリエッタ」と名付けられています。「ちっちゃなアリア」が最後のピアノソナタのタイトルというのは実に感慨深いですよね。
ところでトーマス・マンは晩年の『ドクトル・ファウスト』という小説で、この楽章について登場人物にこう語らせています。
「・・・第3楽章だって?あんな風に別れたあとで、またもや何かがもどってくるというのか!いや、あり得ないことである!ソナタは第2楽章で、あの途方もない第2楽章で終わりを告げた。これを最後と終わりを告げたのはたしかなのだ。そして私が「ソナタ」と言うとき、私はこのハ短調のばかりでなく、ジャンルとして、伝統的芸術形成としてのソナタ一般のことを言っているのである。この場合、ソナタ自体が終わりを告げたのである。それはその運命を果たし、超えられない目標に到達して止揚され解体する。そして別れを告げるのである。嬰ハ音によって旋律的に慰められたニ・ト・ト・モティーフの別離の合図、これはそういう意味をも持った別離であり、この曲そのものと同じように偉大な別離であって、ソナタからの別離なのである」(岩波文庫、関泰裕・関楠生訳より)
私は科学的な認識というのも「深い」と思っているのですが、彼のような優れた人物がとらえた「直感」というのも、やはり「深い」と思います。両者が補い合わなければいけないと考えます。