リッカルド・シャイー指揮ライプツィヒゲヴァントハウス管・ドヴォルザークプログラム

サントリーホールで行われたライプツィヒゲヴァントハウス管弦楽団の来日公演。指揮は音楽監督リッカルド・シャイーです。
今日はオール・ドヴォルザーク・プログラムで、序曲「謝肉祭」、ヴァイオリン協奏曲(ソロ:レオニダス・カヴァコス)、交響曲第7番が演奏されました。
いやはや。オケも指揮者も素晴らしいし、プログラムも私好みなので堪能しつくしました。ホールの右上、ちょうど指揮者の真横から聴いたのですが、このホールはここからだと指揮者もオケのメンバーも良く見えます。
実は彼らはライプツィヒで今回の公演と同じ曲目をやっていて、これはゲヴァントハウスのHPで配信されているので、これを一度通しで聴いて予習してしまいました。それを聴くと、そんなに大したことは無いようで一瞬不安になったのですが、やはりライブと録音は大違いでした。比較にならないほど、ライブの音は良かったです。
http://www.gewandhaus.de/gwh.site,postext,willkommen.html?PHPSESSID=a3870fa501667e644ad6702b6d6b8f3f
今日のプログラムを見ると、前回の来日の際に諸石幸生氏がシャイー氏にインタビューした記事が掲載されているのですが、その中での彼の発言はとても納得できるものです。タイトルに「ゲヴァントハウスの音は世界を回れるパスポート」とあるのですが、これは全くその通りのように思います。これもインタビューにあるのですが、ヴァイオリンはいわゆる両翼配置で、真正面にいるチェロとヴィオラがズンと中央に控えて内声部重視のサウンドを作っています。
この弦のサウンドが実に重厚で素晴らしいです。全編にわたってそうでしたが、とりわけ印象深く耳に残っているのは「Vnコンチェルト」の第2楽章の後半の弦楽合奏。ここのしみじみと降りて来る下降音階のハーモニーは実に見事でした。また「7番」の第1楽章ではメロディーが次々と歌い継がれてくるのですが、コントラバスが左にいる(私から見ると一番奥)ので、そこからチェロ、ヴィオラへと、風が森の中を渡ってくるようにこちらに音が響いてきます。そういう中低音に厚いサウンドだからこそ、時折、第1ヴァイオリンが艶のあるメロディーを奏でるのが実に映える感じです。
このような弦のサウンドは、私には昔ながらのこのオケの特色のように思えました。プログラムにも東条碩夫氏が「変った?変らない?ゲヴァントハウスの音」というエッセイを書いていますし、これは私だけではなく、割と多くの人の関心事かも知れません。東条氏はどちらとも書いていないのですが、「昔のいぶし銀と言われた音色は今は無い」との別の方の論評も見受けられますので、変ったように思えた時期もあったのかも知れません。もちろん昔のことは、私もライブを聴いたわけではなく、CDの録音でしか知らないのですが、こういう伝統芸能(?)は先祖帰りするものなので、いい意味で「昔ながら」が残っているように思えてなりません。
さて、堂々たる弦ですから木管もそれに釣り合わないといけませんが、こちらも実に良い音です。とはいえ、派手ではなくて、とても渋い。ちょうどいいバランスです。フルートの1番の女性は実に表情豊かで、最後に盛大な拍手を浴びていましたが、HPで見ていた時から私が注目していたのはオーボエの1番の人で、このオーボイストにはなかなか個性的な魅力を感じます。吹き方も通常より管を上に持ち上げている感じで個性的なのですが「地味に目立つ」とでも言うんでしょうか・・・「コンチェルト」の2楽章でカヴァコスのヴァイオリンソロを対位法で下から支える所が実に面白く感じました。このオーボイストとフルーティストとの絡みが何度も聴ける所も楽しみで、これはドヴォルザークオーケストレーションの特色かも知れません。
その他の木管金管ももちろん良かったですが、特筆すべきはティンパニで、すごくいい音です。ティンパニの音は時として音楽そのものを変えてしまいますから大事です。やはりとても盛大な拍手を浴びていました。
さて、後回しになりましたが、ヴァイオリンソロのカヴァコス。この人の魅力は中音域の力強く豊麗な音色にあると思います。そのぶん高音域は控え目で、ふつうヴァイオリンという楽器に感じる印象がこの人の場合だいぶ異なり、私の印象ではヴィオラの音色に近いものを感じます。案外好みが分かれるのかも知れませんが、温かみのある音色ですから、このドヴォルザークのコンチェルトにはうってつけのような気がしました。まさにゲヴァントハウスと共演するためのような渋い魅力の音ですが、これならブラームスのコンチェルトも合いそうですね。アンコールは、イザイの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第4番」からの抜粋。これ、本当にいいです。重音で、まさに中音域の魅力が如何なく発揮されて大満足です。このアンコールのおかげで2千円ぐらい得した気分になりました(笑)。
最後にリッカルド・シャイーの指揮。この方については、私はロイヤル・コンセルトヘボウ時代からのファンなのですが、初めてライブで聴けました。嬉しいです。彼の音楽づくりは、一言で言うと「丁寧」だと思います。細部を積み重ねて、その上で独自の解釈が乗っかって来る印象で、逆ではない所が魅力だと思います。解釈そのものは成功したり失敗したりな感じですが、基本的な部分を疎かにしていないことが、どの演奏からも感じられます。ケレン味がないと言ってもいいと思います。(とはいえ、例えば、ティーレマンケレン味のある人で、それはそれで評価できるのですが。)
ドヴォルザークの「7番」はいい曲なのに余り演奏されないのは、内容が余りに質実剛健だからかな?とも思うのですが、これがまさに選曲の妙というところでしょう。第1楽章の低弦が唸りだすところから「うむむ」とこちらも唸りそうになるのは、そのレガートの自然さによるものかも知れません。この第1楽章は見事で、ここで拍手を入れたくなるぐらいの演奏だったと思います。
第2楽章は、曲そのものが、ドヴォルザークとしては珍しく古典的な均整さがなく、イマイチ捉えづらい音楽だと思います。「8番」の第2楽章にもそのような所があると思うのですが、あちらはパストラル風で「音詩」として気楽に聴けるのですが、こちらは地下に溜まったマグマが吹き出しそうなのに、どこへ行ったら良いか分からないような不穏な雰囲気です。シャイーは全体的に「前へ前へ」と急ぐように演奏するので、結果として、この楽章の「不穏さ」を助長するような感じですが、これは見せかけの均衡を整えるより余程正しい解釈のように私には思えます。
第3楽章は、一度聴いたら忘れられない特徴的なメロディーですが、楽譜を見ると、このテーマはスタッカートでありながら休符まで飛び越してスラーでつないでいるので、残響がはっきりと残るライブでないと、その魅力を十分に味わえません。気になってネット配信のほうを聴いてみると、その違いがはっきり分かりました。CDなら別の処理の仕方があるでしょうが、ネット配信はあくまで参考にすぎないことが良く分かります。(もちろん録音の仕方にもよると思いますが、この旋律の場合は残響を完全に拾えない限り難しいと思います。)この聴き比べはラジオとの違いがこれ以上なく明瞭に分かったので収穫でした。テーマが木管に受け継がれる時のヴァイオリンのレガートの対旋律も、このオケの弦だと実に美しいです。
終楽章は、弦が細かいリズムでガチャガチャとやるのですが、これこそ弦のサウンドが良くないと堪能できません。今日は申し分ないので、浸りまくってしまいました。トゥッティの部分で見事なのはティンパニ。いささかも曖昧さが無い実にいい音です。トランペット、トロンボーンも重厚に支えますが、この曲だと今一つ見せ場がないのが可哀想ではあります・・・。今日の曲目では彼らは脇役に甘んずるほかありませんが、ハーモニーには欠かせません。お疲れ様です。最後のクライマックスで決然と新たなリズムを刻んだ後、最後の宗教曲を思わせる教会終止は壮麗重厚。終わるのがさみしいぐらいです。
鳴り止まぬ拍手に答えて、アンコールとして「スラブ舞曲第2集」の第2番と第7番が演奏されました。第2番のメランコリックなヴァイオリンは良かった・・・。真向かいなので自分に向けて演奏してくれているような気になります(笑)。今回のこの席は大正解でした。
今回、あらためて思いましたが、ドヴォルザークは実に健康な音楽です。その健康さゆえに現代では軽く扱われているように思えますが、それではつまらないように思います。かく言う私もそんなに聴いてなかったのですが、最近『ルサルカ』を聴きこんでいたので「謝肉祭」にはこのオペラと共通の音型が使われていることが良く分かりました。また、ヴァイオリン協奏曲では、面白いアクセントのずらし方があり、これはマーラーの音楽と良く似ています。
あまり指摘されませんが、ドヴォルザークマーラーの音楽は、外見ではなく根っこの部分で何となく似通っている印象を私は受けます。これは二人ともボヘミア(現チェコの西部)の出身で、音楽はドイツ風だからかと思います。もともとボヘミアの音楽は、東部のモラヴィアほどローカル色が強くなく、舞踊系のドイツ風音楽なのですが、ドヴォルザークモラヴィア地方のイディオムを取り入れて「スラブ系」の音楽に向かう一方、マーラーは「レントラー」などオーストリア系の音調に向かっていったイメージです。ただし、最大の違いは、先ほどの「アクセントの変化」はドヴォルザークにおいては、あくまで「健康な楽しみ」だったものが、マーラーでは「距離をおいたアイロニー」とでも言うべきものになっている所にありそうな感じがします。
話がそれましたが、今日はほんとに良かったです。私の趣味としては、オケは何と言っても弦楽で、これだけ渋く重厚な音を聴くと、居ながらにしてドイツに行って来たような感じがします。(まあ、まさにそういうことのような気もしますが。1万8千円でドイツ旅行できると思えば激安かも知れませんね。)
逆に、聴き過ぎると普段の生活に支障が出そうなので、こういうのはたまに聴くのがいいのかなとも思える貧乏性な私です。インタビューによると、シャイーはソリスト(主に木管金管かと思います)に「これまでヴィルトゥオージを埋もれさせていたこのオケの習慣に埋もれず、勇気を持って能力の150%の力を出すんだ!」と指導しているとのこと。これがヨーロッパ最古のオケに言う台詞だというところに面白味があります。
私も一度部下に言ってみたいですが、なかなか・・・(笑)。いつも思うのですが、いい指揮者は抽象的なことを語らず、具体的なことしか言わないので興味深いです。指揮者としてはまだまだ若い人なので、これから更に期待大です。インタビューでは「これからはバッハやベートーヴェン」とのたまわっているのですが、私としては、この人のスタイルとしてはマーラーが一番しっくり来るような気も・・・。その意味では、さ来月に予定されている「ライプツィヒ国際音楽祭」での同オケとの「8番」の演奏は、聴けるものなら聴いてみたい所です。(まず無理でしょうが)
ところで、マーラー「8番」というのは私は「これだ」と思う録音を聴いたことがないので、良く(というかサッパリ)分からない音楽です。ただ、(おそらくは)解釈が間違っているんじゃないかと・・・。これはたぶん思いっきり「バロック」な音楽を目指しているのに、先入観でつい後期ロマン派風にやってしまっているんじゃないですかね?私がそう思うのも、歌詞がラテン語の賛歌だったり、ゲーテだったりするからなのですが。この音楽こそピリオド演奏で新風を吹き込んでみるべきだと思います。(すでにそういう演奏があるのに知らないだけかも知れませんが。)
めずらしくブログ風に話が拡散してしまいました。今宵はこれまでにいたします。