マリインスキーオペラ「影のない女」(2月12日)

昨夜の上演ですが、とても感銘深かったです。予想していたように、オケは重量感があってパワフルです。大音響を難なく出している感じ(かといって雑ではありません)ですが、その一方、ゲルギエフの音楽づくりは実演を聴いてみると思った以上に明晰さ重視で、例えば第1幕の皇妃のアリアで「タリスマン」と歌う箇所での音色の変化が極めて印象的に表現されていたと思います。
ただ最初に書くのですが、予想通り(単なる私の趣味の問題ですが、)弦楽器の響きはドイツ系のオケのほうがいいかなと思いました。この点はむしろ日本のオケのほうが私の好みには合います。例えば第3幕で皇后一人だけになるシーンの前奏のヴァイオリンソロなんかは、昨年5月の東京交響楽団のほうが良かった(というより前回はここがとても印象に残った)と思います。この部分、昨夜はあっさりとしていました。その分、鳥がはばたく映像を皇妃に重ねたりして演出上の工夫をこらしていたので面白かったです。もっとも、弦はそれほど神経質になるほどでもなく、あえて言えばというほどの話です。また、第2幕の皇帝登場に先立つチェロのソロは実に良かったです。これはチェリストの腕かも知れません。
ゲルギエフの指揮はさすがにツボを押さえていると思います。とりわけ印象が強かったのは、第2幕の幕切れでバラクの妻が「バラク」と叫んでから音楽がガラリと変わる以降のシーンで、ここは一糸乱れぬオケが実に見事でした。第1幕・第3幕の終結部もしっかりしており、終わり良ければ全て良しというのか、満足感が高いですね。
歌は、登場人物がみんな一定レベル以上で安心して聴けました。やはり自前のアンサンブルを抱えている強みか、重唱のシーンが良かったと思います。
演出は、思っていたよりシンプルな表現でした。とりわけ霊界シーン(?)がそうで、おおむね暗い照明で、こまごまとしたセットはありませんでした。バラクの家は、現代風の「クリーニング屋さん」で、自動車なんかが置いてあるのですが、車の形はいかにも旧社会主義圏な感じがします。(こちらはこまごまとしています)
今回は長くなりますが、せっかくなので詳細に書いてみたいと思います。
第1幕では、いきなり歯切れよくティンパニがリズムを打ちだす所が爽快で引き込まれます。のっけから引き込む所はさすがだと感じました。ドイツ風とは違った個性があって魅力的です。使者がゴンドラに乗っているのですが、この衣裳は「トゥーランドット風?」というか中国(清朝)か中央アジアのどこかという感じがします。乳母(オリガ・サヴォーワ)は舞台中空に浮かぶ大きな赤い扉の前に立っており、その衣裳は、バルカン半島ブルガリアとか?)みたいなイメージ(違うかも知れませんが)でしょうか。乳母の衣裳は赤を基調にしていて可愛らしいので、その後も何となく憎めない感じです。出だしが弱かったので「ありゃっ?」と不安だったのですが、立ち上がりだけで、その後は安定していました。使者(ニコライ・プチーリン)の歌も安定してます。
皇帝(ヴィクター・リュック)が出て来ますが、何だか意地が悪そうな感じがします。使者と良く似た服装ですが、頭に赤い帽子をかぶっており、顔の白塗りのせいで何か陰険なイメージがするのかも知れません。舞台は暗いままでシンプルです。
皇妃のムラータ・フドレイさんは良かったです。最後のほうに行くにしたがって存在感がありましたが、第1幕の歌(これはのっけから難曲だと思います)もなかなかでした。鷹は、やはり上からゴンドラで出て来るのですが、鷹の上にトンボの頭のようなかぶりものをした人間が歌っています。まるで仮面ライダーみたいでした。
第1幕の間奏曲はやはりこの超重量級オケで聴くと、いかにも大スペクタクルで堪能できました。そのあとのバラクの家は、前述のようにクリーニング屋なので、コインランドリーのような洗濯機が中央に3機ほど、左端には自動車とガレージ、右端にはバラク夫妻のベッドがあり、その上に熊のぬいぐるみが置いてあります。バラクの兄弟達は、みんな体つきがでかい。実に邪魔な感じがして鬱陶しい(笑)です。
ラクの妻(オリガ・セルゲーエワ)はカジュアルなジーパン姿でアイロンをかけているのですが、彼らの存在感(?)に頭に来てお約束通り水をかけます。バラク(エデム・ウメーロフ)が帰ってくるのですが、どうも家庭に関心がない感じですね。私としては、このバラクはあまり「いい人」に感じなかったので、これは演出の考え方だったかと思います。ロシアというイメージからかも知れませんが、あまり働かないでウォッカ飲んで寝ている感じ。(←偏見かも知れません。)音楽が美しいメロディーを奏でる場面でも二人の絡みはなく冷めきった関係です。プログラムで広瀬大介氏(今回の字幕の作者でもあります)は、バラクの妻を一言で言えば「ツンデレ」キャラと評していますが、この演出は「ツン」がメインで、「デレ」の表現があまり無かったと思います。
ラクが自動車で去っていき(これは予想通りの展開でした)、乳母と皇后が現れると、彼女達は先程の衣裳とは異なる簡素な私服で現れます。ヘアバンドを与えて、女官達が出て来るシーンになると、後ろに星がきらめき、幻想的な感じになります。このシーンは面白いので、どんな風にやるのかなあ?といつも楽しみな場面です。今回の演出は女官達の雰囲気も悪くなかったのですが、バラクの妻に布を巻きつけるだけというのはちょっと物足りなさを感じました。少年の姿は窓枠の中からちょっとのぞくだけです。
それが終わると、乳母はせっせと料理を始めて、バラクのベッドを作るのですが、これは床から青い布を引っ張り出すだけなので、これじゃいかにバラクといえども頭に来ますね。バラクの妻が影を捨てる決心をする場面では、幼児の姿が映像で映し出されます。この演出は映像を効果的に使っているのですが、白黒なので戦時中のフィルムを見ているみたいで、なんか不気味な感じです。(まさにそれを狙っているのかも知れませんが)
ラクが帰って来て夜警の歌が響きますが良く響いていました。ここはオケも心にしみいるような演奏をしていて、なかなか聴けました。
第2幕冒頭は、またクリーニング屋さんの室内で、魔法で呼び出された青年は地中から灰色の姿をして出て来ます。良く見ると、わりとかっこいい男なのですが、いかんせん全身グレーです。ここは単純にイケメンが出て来たほうが分かりやすいんじゃないかと思うので、この人にカジュアルな格好をさせるだけでいいような気もします。
ラクが戻って来て、子供たちが入って来ますが、これは主に日本の子供たちなのですが、たまに外国人がいるのが謎だったりします。総勢30人ぐらいはいるでしょうか。この子たちが家の中で遊び放題です。これじゃバラクの妻はいやだろうなと思います。バラクはそんな妻の気持ちには無頓着で何もしない感じなので、バラクの妻が頭を抱える心理はよく分かります。
続く皇帝シーンは打って変わって、暗い照明のシンプルな舞台。上に大きな花が咲いた、くびれた木の幹が左手にあります。皇帝は相変わらず底意地が悪い感じですが、歌そのものは結構良かったと思います。オケも盛り上げていました。その間、皇妃と乳母は木の脇をスルッと抜けて行きます。
ラクの家に戻ると、バラクは眠り薬で寝てしまい、またグレーの少年が出て来ますが、さっきと同じで、あまりに怪物じみているので、今一つ意図が良く伝わらない面があります。バラクの妻は外に出て行きますが、残されたバラクはあまり気にしていない様子。どうもこの辺りは、演奏のほうも今一つゆるみ気味な印象を受けました。
また暗くなって皇妃が夢にうなされ、皇帝が霊界の門に行く場面。皇妃の歌はなかなか良かったのですが、この演出に限らず、このシーンはもう少しアクションをつけたほうが分かりやすいように思います。ト書きとは違いますが、バラクへの同情と皇帝が石にされるという板挟みの状況で身動きが取れないという状況なので、むしろ思い切ってのた打ち回るというぐらいでもいいのかなと。本当は歌だけで伝わると良いのですが、慣習的にカットするので余計わかりにくくなります。私は皇妃に焦点を当てる上で、ここは大事なシーンだと思うので、ちょっと新しいアイディアがあっても良いような気がしますね。
ラクの家の最終シーンでは、照明が点滅して異様な雰囲気をうまく出していましたが、バラクの妻が「他の男を家に入れていた」と言っても、バラクが無反応なのは不思議です。これは昨年5月のクリエフ氏演出も同じで、なぜこうするんでしょうね?このセリフに反応しないのに「影を捨てた(子供を産めなくなった)」という所から突然反応するのは変だと思うのです。剣を振り上げているバラクの足にバラクの妻が抱きすがるのですが、この状況では勢い余って本当に殺してしまうんじゃないかと思いました。(そんな心配はしなくてもいいかも知れませんが。)この場面は私には脈絡が伝わりにくかったのですが、バラクの妻の歌とオケの演奏は前述のように見事でした。また、演出のほうも、薄いカーテンの上に波(海?)の映像を写しながらセットを後退させることで、家そのものが現実の彼方に押し流されるという趣向で、これも実にうまかったです。結構強い印象を抱きました。
第3幕は、以前あった木の根っこが左側に、自動車が右側にぶら下がっているので、地面の中だということが良く分かるようになっています。シンプルですが、ここはバラクとバラクの妻がそれぞれ歌で聴かせる場面なので良いのかなと。歌は良かったですが、この歌手達の実力から言うと、もっと良くなりそうな気もしました。天上からの声が響いて来るシーンでは、上方からの光が映像を使ってうまく表現されていました。
舞台下手から皇妃と乳母が舟で出て来ますが、中央には使者がいて、出て来る男達をさがらせます。やり取りの後、皇妃は乳母を用済みにしてしまい、使者も乳母を追放する所は個人的にはいつも乳母が可哀想になります。
その後の静かな間奏曲は前述のように比較的あっさり目です。命の水の音楽は実にきれいでした。ここはハープとチェレスタでやっていると思うのですが、1幕と2幕の休憩時間中にピットをのぞきに行ったら、ほとんど楽員はいなかったのですが、ハーピストの女性が2人で練習していました。「この曲ハーピスト大変だなあ」と思う一方、「そういえば席から見える楽員はみんな男だな」と思ってプログラムを見ると、やはりこのオケは男性率が比較的高いような気がします。弦楽器はさすがに女性の名前が目立ちますが、木管の男性率が他のオケより高いかも知れません。(オペラはわりとそうなのかも知れませんが。)
命の水の描き方は、2階から見ているとステージの一点に光が当たっているようにしか見えないのですが、これは1階から見ると、天井から光が落ちているように見えるのかも知れません。その後、大音響とともに皇妃は右側に置いてある大きな岩のところに走って行くのですが、岩をこじ開けようとするので、少し開きそうになりました。自分でこじあけるのか?と(笑)。でも、演技はいい感じです。
さて「Ich will nicht!」のあとで、岩がパカッと開いて皇帝が出て来るのですが、以前と全く衣裳なのはどうだろうか?白塗りの顔も同じなので、どうも陰険そうなままなのが難点かと・・・。私は思うのですが、ここはそれまでと違って歌も素朴すぎるぐらい素朴な歌なので、ムードをガラッと変える工夫をしたほうがいいんじゃないかと思います。皇帝も、それまでとは全く違う雰囲気で登場させてあげると良いのではないでしょうか?プロット上は、皇帝は内面的に別人のように変化しているはずなのですが、舞台では外面的に工夫してあげるしかないような気がします。皇帝の歌は悪くなかったのですが、その点で損しているような気が私にはしました。子供達の歌が聞こえた後、皇妃に影ができる所の演出はうまく背景に影が伸びていって良かったと思います。こういう点は、この演出はうまく描いていると思います。影については、バラク夫妻のほうはもっとシンプルで、バラクの妻の影は単純に照明を当てているだけなのですが、これはこれでコントラストがあって良いと思いました。
最後の四重唱はシンプルで、四人が手をつないで歌うのですが、これはちょっとシンプルすぎるような気が?私は、この2組のカップルは、あくまで別々に描いたほうがいいような気がします。ただ、このシーンは演出はこだわらずとも良いかも知れません。音楽がとても良かったので満足です。ゲルギエフは、鳴らし過ぎることはしないので、デリケートな指揮者だと思います。最後の合唱のところで、男女のカップルが何組も手をつないで出て来るのは、現代の普通の人々(服装は軍服を着ている人もいたりでロシア風)で、こういう終わり方もありかなと思いました。何と言っても演奏が良いので満足度が高いです。今回はスター歌手みたいな人はいないのですがアンサンブルが良いのが魅力でした。ゲルギエフのカリスマも感じられたので、とても良かったです。