ヴァルナイ、メードル、ニルソン

今日も仕事でしたが、夜風が涼しくなってきたので、夏ももう終わりに近づいてきましたかね?
全然関係ないですが、気分転換に、ブログのデザインを変えてみました。
さて今日のテーマは、アストリッド・ヴァルナイ、マルタ・メードル、ビルギット・ニルソンですが、この中でダントツ有名なのはニルソンで、メードル、ヴァルナイはワーグナーファンかつヒストリカルが好きな人じゃないと知らないかも知れません。
この三人は同時期に活躍しているので、比較してみると面白いと思いますが、アストリッド・ヴァルナイの自伝、55Years in Five Acts(「全5幕55年」とでも訳せば良いのでしょうか?)の中に、とても面白い章があるので、これを引用することにします。邦訳がないため、私が翻訳しました。できるだけ読みやすくしましたが、あるいは誤訳があるかも知れません。注も私が付けました。
1章まるごと訳したのでけっこうな分量のような気がしますが、原書では6ページで、写真が2枚も入っているので、正味5ページに過ぎません。ワーグナー好きな方には、なかなか面白い内容だと思います。現代のワーグナー歌手にも通じる内容があるかも知れません。

3人のブリュンヒルデ・・・控え歌手は無し*1
1950年代初頭のことだったが、私はバイロイトで「宮廷歌手」フリッツ・ヴィントガッセン*2とランチを取りながら、おしゃべりしていた。その中で、私は、ベルリンの『トリスタン』のリハーサルの件に触れた。「相手役と私とが、お茶しようと、食堂に降りて行った時、有名なトリスタン歌手が友達とスカート*3を楽しんでいたので、びっくりしちゃったわ・・・。」私は、これは極めて稀なことだと思っていたのだが、ヴィントガッセン氏はこう答えた。「私の時代には、トリスタン歌手が2人揃って食堂でトランプをしているのも珍しくなかったさ。その間、舞台で歌っているのは3番目のトリスタンってわけさ。でも、その2人は、同僚が演技不可能になる事態に備えていたわけじゃない。ただ単に、その晩は何の予定も無かったので、劇場で暇つぶししていただけなんだよ。」

今日では、優れたトリスタン歌手が一人不調となれば、同じ任務を果たせる代役を見付けるために、劇場はヒステリー状態で大陸中を探し回る。ようやく誰かを見つけ出したとしても、せいぜいセカンド・ベストの歌手がいいところだ。私について言えば、私がブリュンヒルデを歌っている間、別のブリュンヒルデが2人も劇場でくつろいでいた記憶なんて全くない。とはいえ、私と本質的に同じレパートリーを持つトップ・クオリティの歌手が同時代に2人いたことは、楽しい思い出だ。

マルタ・メードルとビルギット・ニルソンは、最も傑出したワーグナー歌手として、今に至るまで人々の記憶に焼き付いている。実際この2人は、月並みな言い方をすれば、私の世代の「同時代伝説」を体現する存在にほかならない。私達3人を比較検討しようなどという試みは無駄もいいところだ。だが、この3人の芸術性を正しく評価し、一緒に過ごした公演の合い間の楽しい時間を記しておくことは、今をおいて他にないと思う。注目すべきは、いわば「コア・カリキュラム」としてのイゾルデ、ブリュンヒルデ、そのほか一二のヒロインを除いては、3人全員が歌ったワーグナーの役というのは、実はほとんどないということだ。

私は50年代初頭にエルザ、エーファ、エリーザベトといった軽い役柄を離れてからというもの、二度とこれらの役には戻らなかった。また、メゾからドラマティック・ソプラノに転じたマルタ・メードルは、そもそも初めからこうした役を歌ったことはなかった。一方、キャリアを通して軽い役と重い役とを行ったり来たりしていたビルギット・ニルソンは、私の知る限りクンドリーを歌ったことはなく、クンドリーはマルタと私がバイロイトで交互に歌った。だが、オルトルートについては2人とも専門外で、その結果これは私に固有の役柄となった。こうしたレパートリーの違いは、ときどき私達に共演の機会を与えたが、とりわけバイロイトでは多くのシーズンを共に過ごすこととなった。

ビルギット・ニルソンは、数年前*4ステージ活動から引退し、ストックホルムに戻った。面白いことに、私達は同じ1918年の3週間のうちに、しかも同じ国スウェーデンで生まれている。前にも書いたように、私の誕生日は4月25日で、場所はストックホルム。ビルギットは5月17日で、スコーネの南西にあるカールプという村の農場の生まれだ。現在マルタと私は両方ミュンヘンで暮らしているので、もっと多く会ったっていいところだが、それほど多く出会わないのは、二人ともまだ忙しいスケジュールをこなしているからだ。

オペラファンの多くは、ワーグナー女優というのは、さぞ真面目くさって、ユーモアのかけらもない淑女のように見なしているかもしれないが、今から書くことを読めば、きっと、そうでもないことがわかるだろう。その日、マルタと私は、バイロイトの小さなショッピングセンターにある玩具店の前で、ばったり出くわした。その店先には三輪車が展示されていたので、買い物疲れで足が棒のようになっていた私達は、一休みしようと、その三輪車のサドルに腰掛けた。ところが、すぐに私達は、いたずらっ子の本性を発揮し、面白がる通行客を横目に、三輪車で一種の「ヴァルキューレの騎行」を演じてしまったのだ。たまたまそこにいた観客が、バイロイトの有能なカメラマン、ジークフリート・ラオターヴァッサーで、彼は後世への記録として、この出来事をカメラにおさめてしまった。*5

もちろん、二人の関係は、こんな他愛もない悪ふざけ以上のものがある。私達のプロ活動は、物凄い集中力を要することの連続で、私達は全身全霊を込めて、それに取り組んできた。マルタは、常に偉大な舞台女優であり、演劇のつぼ*6への一種本能的と言ってもいい直感を備えていた。この点、私自身と比較すると、ある登場人物への役作りを行う際、私達二人ほど異なったアプローチをしているケースは、ほかに無いかもしれない。私のやり方は、レイヤーを重ねるようにして人物を造形し、私自身が分析して導き出した設計図に向けて、自分の本性のほうを和らげようとする。マルタは対照的だ。私の見たところ、彼女は、その並外れた能力を用いて、人格に由来する汲みつくせぬほど強烈な感情を、直接、自分の歌う役の感情に投げ入れるのだ。

そのアプローチの結果として生まれて来るのは、人物表現の見紛うことなき真実性であり、登場人物の感情への深い一体感である。しかも、この感覚は、豊かな低音階を彩る彼女の温かく芳醇な声によって、さらに印象が強められる。黒いビロードのようなその声は、メゾソプラノとしての昔のキャリアを、はるかに思い起こしているかのようだ。しかし、その声の温かみは同時に、彼女の心優しさ、社交的な性格の端的な表れでもあって、彼女の歌唱すべてを、溢れんばかりの気前の良さに満たしているものなのだ。私は、自分の感情のエネルギーを、いつも一定程度はプールしておくが、それは、そうしないと自分をコントロールできなくなってしまいそうだからで、このやり方こそ私の母が強調していた「安全バルブ」にほかならない。ところがマルタ・メードルは一つの役に自らの全人格を投入し、舞台に向かう熱意そのままに、一瞬とて自分をセーブしておくことはない。

仮に、マルタ・メードルの表現が内的生命力の表出であり、私の作戦が本能と分析とのコンビネーションに基づいているとするなら、同じ課題へのビルギット・ニルソンのアプローチは、ひたすらに、その声の輝き、とりわけ私達の世代の誰も太刀打ちできない、あの途轍もなく力強い高音に最大の効果を発揮させることだった。前にビルギットが私に語ったところによると、20代前半からメトロポリタン歌劇場で重要な役を歌う巡りあわせになった私に比べて彼女のワーグナーキャリアは遅く、ストックホルム王立音楽院での勉強やワーグナー以外の役での登場の後、私のデビューの約8年も後だった。これは、ヨーロッパでの通常のキャリアである。だが、いったんスウェーデンから国際的舞台に飛び出してからは、彼女のキャリアはロケット並みに急上昇した。その能力にふさわしい成功をウィーン国立歌劇場で飾り、数年間にわたって劇場シーンを支配したのだ。

ついでながら、ニルソンのウィーンでの成功は、もちろん彼女の非の打ちようもない素晴らしい声のおかげだが、一方で彼女の交渉能力の高さをも証明しており、その能力は当時この権威ある劇場の音楽監督であった根っからの「商業資本家」ヘルベルト・フォン・カラヤンにも匹敵するものだった。数年前に出版された『ニューヨーカー』誌の「人物プロフィール」への寄稿の中で、彼女はカラヤンのオフィスでの「ヘビー級タイトルマッチ」の模様を語っている。彼女は、ウィーン国立歌劇場の報酬ほどの決定的な金銭問題を「単なるエージェント」の専門技術に委ねることを潔しとしなかったので、いつものようにオフィスで賃上げ交渉をしていたのである。彼女とカラヤンとの言葉上の「打ち合い」が「殴り合い」の域にまで達した時である。突如、ビルギットの身に着けていたネックレスの紐がパチンと切れ、真珠が滝のように落ちてカーペット上に撒き散らされた。カラヤンは取り巻き連を数人呼び出し、その真珠を拾うように命じた。だが、彼らが拾い集めている間、マエストロは皮肉っぽくこう言わずにはいられなかった。「なあに。一粒だって見逃しませんよ。さぞかし、スカラ座の報酬*7で手にした高価な天然真珠なんでしょうから。」ビルギットはすかさずカウンターパンチを食らわせた。「とんでもない。雀の涙ほどのウィーンの給金で買った安物のイミテーションですよ。」勝負あり・・・二人は最終的合意に達した。

ビルギットと私との関係の打ち解けた雰囲気については、ある時、二人がこのオーストリアの首都で出会った時の出来事について語ると、良くご理解いただけると思う。その頃、私は「ローエングリン」のオルトルートを歌うために、ビルギットは「トゥーランドット」のタイトルロールを歌うためにウィーンにいた。私達はある日の午後、劇場の裏手の「楽友協会通り」*8でばったり出くわした。ちょうど二人とも時間が空いていたので、意気投合し、その通りを渡った所にあるホテル・ザッハーにランチを取りに行った。食事を取りながら、彼女は私に、親しみを込めて、明日の晩の「トゥーランドット」の前に衣裳室で話の続きをしないかと誘ってきた。

私は、こんな大役の前に楽屋に客を迎えようと言う彼女が信じられなかったが、彼女は私の心配を軽く受け流した。「ほんの少しハイCがあるだけよ。それをバックステージにぶつけてしまえば、あとは万事オッケーよ。それに、トゥーランドットは、ほとんどの私のワーグナー役よりも、ずっと短いわ。」他のソプラノにとって困難の極みとも言うべき役がビルギット・ニルソンにとっては朝飯前の仕事なのだと感じ入った私は、誘いを受け、明日のリハーサルの帰りに立ち寄って、数分間彼女のお相手をすることにした。

その晩、私がそこで見たのは、中国の王女役に付き物の凝ったアクセサリーを付けてもらっているビルギットだった。精巧なかつらや長い爪をセットするには、第1幕の最初の登場、歌なしでの登場シーンまで、ほぼ一時間を要した。さて、身支度中に交わした会話は、ビルギットが最大の情熱を寄せていることにまつわるものだった。いや、オペラではない。コンサートとか、それに類することでもない。お金にまつわる話でもない。それはペルシャじゅうたんのオークションの話*9で、ウィーンに出演中には、彼女はいつもそれが楽しみだったのだ。その頃欲しくてたまらなかった素敵なラグの話を、なるべく声を痛めないように静かに話していた時、ドアがさっと開き、劇場監督エゴン・ヒルペルト*10が意気揚々と現れた。いつもの出番前の出演者訪問である。マダム・ニルソンとのいつもの細かな意見交換にばかり気を取られていて、はじめ彼は部屋にもう一人いることに気付かないでいた。だが、出て行こうとした時、彼は部屋の隅にいる私を突然発見し、驚きの叫びをあげた。ビルギットと私が当惑して顔を見合わせるのをよそに、ヒルペルトはホールへ降りて行き、こうわめいた。「一つの衣裳室に、二人のホッホ・ドラマティッシェ・ソプラノとは・・・。それも『ぼくの劇場』で!」さて、これで話は一巡した。典型的なウィーン流儀とでも言おうか、全員に花を持たせた感じだ。

私は、オペラの世界で、びっくりするようなライバル争いの話を時々聞いたが、不思議に思うのは、その多くはコロラトゥーラ・ソプラノやテノールの世界の話で、私達ドラマティック・ソプラノの世界では、あまり聞いたことがないことだ。50年以上プロの歌手として過ごして来た私だが、もっと軽い役柄のほとんどの歌手が始終悩まされているような陰険な争いには、一度も巻き込まれたことが無い。私個人としては、大きな声と大きな心とはセットのものだと考えたいところではある。

ヴィーラント・ワーグナーとヴォルフガング・ワーグナーが私達三人をほぼ同時期にバイロイト・フェスティバルに出演させたことは、彼らの明敏さの証だ。そのおかげで、私達は彼らの成功にも寄与したし、我々自身も成功を手にしたのだ。おそらく、私達のキャラクターの違いは、私達全員が持ち役としていたある箇所を語ることによって、最も良く比較することができよう。それは『神々の黄昏』のブリュンヒルデだ。ビルギットの目を見張るような高音、威厳、深い感受性は、第1幕の長い二重唱や第3幕の最後のシーンのようなロマンティックかつ情熱的なシーンで優位性を発揮した。一方、私はおそらくドラマティックで強烈なシーン、とりわけ第2幕の激しい呪いのシーンに幾分の強みがあったとの評価を受けるだろう。だが、マルタ・メードルが「安らえ、神よ!」と歌う時の深遠な語りと張り合うことのできる歌手がいるだろうか?この台詞は「ブリュンヒルデの自己犠牲」の終結に向かう箇所にあり、叙事詞的悲劇に厳かな結末を告げるとともに、より高次の倫理が支配する新時代への幕開けを告げ知らせるものである。さて、簡潔にまとめよう。私達3人は、皆それぞれに、自分に固有の表現を作り上げて来たのである。

マルタも私もトゥーランドットに挑戦するつもりはなかったが、ビルギットはこの役によってオペラの歴史を変えた。マルタ・メードルのバイロイトのクンドリーは、多様な側面を持つこのキャラクターとの同一化を実現しており、他に比肩するものは無い。私自身については、自分が最もオペラステージに貢献したと言える役は、オルトルートだったと思っている。それとも・・・エレクトラだろうか?

私は、これ、かなり面白かったです。次回、感想を記してみたいと思います。

*1:原文はThree Brünnhildes,No Waiting

*2:ヴォルフガング・ヴィントガッセンの父親。ヴァルナイはこの自伝の別の箇所で「オペラ歌手が「家業」という点で、ヴォルフガングと私の経歴は似ている」と書いている

*3:トランプゲームの一つ

*4:この自伝は1997年に最初ドイツ語で出版されている

*5:そんなわけで、原著にはサングラスをかけて三輪車にまたがる二人が収められている

*6:原文は「ドラマティック・モメント」

*7:ニルソンの自伝によると、ギャラはスカラ座のほうが全然高かったらしい

*8:フィルハーモニカー・ガッセ。この通りをはさんで、国立歌劇場とホテル・ザッハーは向かい合っている

*9:ニルソン自身、自伝で、オークション熱について熱く語っている

*10:初めカラヤンと地位を分け合っていたが、カラヤン辞任後も居座った。この挿話の時期は、カラヤン辞任後か不明だが、よく調べれば分かりそうである。