「愛による救済」の動機?いいえ、「誕生の奇蹟」の動機でしょう。

30日の「神々の黄昏」プログラムを今初めて読んでみたら、「なるほどな」ということはあまり無くて、「そうかしら?」と思うことが多いですね。コペハン・リングを観たおかげで、すごく理解が深まったので、そう思うのでしょうね。
それはそれと、物語の最後をしめくくる音楽(の何度も繰り返されるモティーフ)を、寄稿者がみんな「愛による救済(のモティーフ)」と言っていますね。朝比奈CDの解説書を見ても、白水社の本を見ても、やはりそう書いてあるし。これ、たぶん、誰かドイツ人が書いたことをそのまま訳したんでしょうね。きっと「由緒正しいライトモティーフ名(?)」なんでしょうね。
でも、これって、どうなんでしょうね?私は、あえて言うなら「誕生の奇蹟のモティーフ」としか言いようがないと思いますが。というのも、「ワルキューレ」第3幕で、子供が胎内にいることに感激したジークリンデが、O hehrstes Wunder! と、このモティーフを歌っているわけですから。そして、それ以降、このモティーフは、この場面まで一切出てきません。
ですから、コペハン・リングの最後に赤ちゃんが生まれるという設定を知ったとき、私はすぐに「納得の行く解釈だなあ」と思ったのですが、それは、このモティーフがあるからです。「自分の体から別の生命体が生まれる」ことほど、奇蹟的なことってないでしょう。まさに「この上なく気高い奇蹟」ですよ。うちは子供がいないので、町で子供を見ると、「奇蹟」が、ごく普通のことのように行われていることに吃驚するのですが(笑)
コペハン・リングほど具体的にやらなくても、ワーグナーの意図って明白だと思うんですけどね?子供という点にこだわらずとも、「未来への希望」だと思います。だから感動します。
私はずっとそう考えてきたのですが、なんでみんな「救済」なんて全然関係ないことを持ちだしてくるんだろう?やはり、ライトモティーフの名づけ方が悪いんですかね。ワーグナーまたは「リング」にご関心の皆様、また古くからのファンの皆様、ぜひ心をまっさらにして、まずは「コペンハーゲン・リング」をご覧ください。(私は完全にハマッテしまいました)

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