新国立劇場「神々の黄昏」(2010.3.30)

30日(火)に行って来ました。いやはや、平日に良く行けたものです。ヘタすると、第3幕だけか?と思いましたが全部聴けました。結局、一番、良かったと思うのは第1幕ですね。だから最初から聴けて良かったです。
それにしても、この舞台って、イレーネ・テオリン様の独壇場に思えたのですが、私のファン心理なんですかね?彼女が歌い始めると、何か全てが一変するような気がしました。
第1幕は、最初のジークフリートの二重唱。イレーネさま、出だしはちょっと弱かったものの、どんどん良くなって行って、もう最後の方は、わたし「口ポカ状態」でした。スゴすぎる、なんなんだ?という感じ。私、感動すると、頭とコメカミのあたりがジーンとするので、ずっとそうなりっぱなしでした。
「早く再登場してよ!」と期待に胸ふくらませ、「ヴァルトラウトの語り」。いつもはポーッと聴いている部分なのに、何とまたこれが素晴らしかった。そして、とりわけ感銘を受けたのは、最後のクライマックス、leuchtet mir Siegfrieds Liebe:(ジークフリートの愛がかがやく) ですね。この歌詞の最強音の段階ですごかったのですが、更に「おおお」と思ったのは、その直後、静かに、Siegfrieds Liebe!と歌うところの表現です。
この部分って、こんなに素晴らしかったのか、と思いました。大げさでなく、これを聴けただけで、来た甲斐があったと思いました。家に帰って、コペンハーゲン・リングのこの部分を聴いてみたのですが、今聴いてみたほどではなかったので、これは「今の」彼女の表現ですね。また、オケもそれに合わせていたので、指揮者ともどもの表現だったような気がします。
エッティンガーは、テンポを揺らしすぎなので、何か私のイメージとは合わない人(と思ってたら、バレンボイムの弟子でした。苦笑。でも、いつまでも「弟子」にとどまってちゃいけませんね。がんばってほしいと思います。)なのですが、この部分は完全にはまっていました。
テオリンさんは、やはり表現力がすごくて、第1幕の幕切れの歌い収めなんかも、本当に胸を打つものがあって、今でも印象に残っています。ただ、演出とも相まって痛々しすぎて・・・。何かつらい気持ちになるので、こちらのほうは忘れようかと思います。
第2幕も、他の歌手の皆さんには申し訳ないのですが、やはり「イレーネ様待ち」です。もう、ここは一番ドラマティックな部分ですから、全開ですね。印象的だったのは、ジークフリートを見つけた際の「笑顔」ですね。コペハンでもそうですが、この方、笑顔が無邪気でかわいらしいですね〜。それだからこそ、その後の悲劇がいっそう際立ってしまうのですが。
残念だったのは、槍を奪うところまでは音楽ともどもすごかったのですが、最後の三重唱に至る場面は、私は今ひとつ入りきれませんでした。テオリンさんや他の歌手(グンター、ハーゲン)がどうというより、全体のアンサンブルのせいのような感じがしました。
最後のオケだけの部分は、最後にすごくテンポを揺らして、これ私好みじゃないんで「アリャリャ」と思ったのですが、けっこうブラボーが飛んでました。
一方でブーイングもややあったような気が?オケに向けたものか、歌手に向けたものか、よく分からないのですが。私は「ちょっとな・・・」でした。いちばん気になったのは、「ギービヒ軍(?)」が出てくるところの合唱がそろってないんで、聴けないんですよね。合唱のレベルは高いはずなのに、こうなっちゃうのは、何かに問題があるんでしょうね。そもそも、コーラスの人たちがいろいろ演技しながらなので、これは大変な負担です。(なのに批判して申し訳ない気もします。コーラスの方はお疲れさまでした・・・。)
さて、第3幕なのですが、全体に乗れなくて、率直に言うと、まるで世界に入り込めませんでした。これは演出もそうなのですが、ジークフリート役のフランツの歌唱が、さっぱりなんですよね。「小鳥の歌」の再現も平板だし、「最後の別れの歌」も哀切じゃないし・・・。そういうコンセプトなのかもしれませんが、最初の音程も違っているし、最後のGruss!も、わざと音を外しているのか、変な表現。ああ・・・これを聴きたくて来た人多いと思うんですけど。
この人、普段こんなに悪いイメージないんですけどね。すごく調子が悪かったのかもしれないのですが。第2幕までは、そんなに気にならなかったのです。ただ、もともと私にとっては、ジークフリートな感じはあまりしない人ですね。むしろ、第1幕の最後で「裏声」みたいな感じの表現が面白く、そんな変なところに感心しました。実は、キャラクター・テノールっぽい人だと私は思います。
さて、テオリンさんの「自己犠牲」ですが、これは、あんまり・・・でした。もちろん良かったですが、期待していたほどではなかったです。とりわけ、Wie Sonne以降、du Gott!までの静かな部分が、彼女ならもっと「表現していい」はずだと思ったのです。最後のdu Gott!の歌声も、珍しくダイナミクスが不足し、オケのかげに隠れちゃいました。残念です。ただ、この部分、下の変イ音から変ニ音にまで下がるので、やや苦手な音域かも知れませんね。
もちろん、これはレベルの高い要求であって、Fliegt heim!以降の盛り上がる部分は十分良かったし、最後まで本当に素晴らしかったです。ちょっと疲れているかな、という感じは受けましたが。
何か「ブリュンヒルデ」というタイトルのオペラを見に行ったみたいですね(笑)。でも、ほかにも、もちろんいい所があったので一言。
まず、「ノルン」ですが、歌手が良かったと思います。特に「第3のノルン」の緑川まりさんですね。いい歌でした。ワーグナーって、脇役が脇役じゃなかったりするので、これホントいい歌だと思いますけどね。拍手が少ないのが残念でした。私の両隣の人は熟睡してるし(笑)。みなさん、この部分で寝てないで、良く聴いて、もっと拍手してあげてくださいね(笑)。
でも、寝ちゃうのは、演出がつまらないからというのもありますね。コペハンリング見ていて、つくづく思ったのは、この3人って、実はキャラが違うから、同じ格好をさせるんじゃなくて、キャラ分けしてあげてほしいなということです。誰が「第一」で「第二」だか分からなくなります。私も混乱するので、「第二」(清水華澄さん)はけっこう良くて、「第一」(竹本節子さん)はイマイチだったような気がします。(逆だったりして。キャラ立ちしていると、あとで調べられるのですが)
その点、コペハンの演出は、さすがです。
歌手について続けると、グンター(ブルメスター)とハーゲン(スメギ)は、「逆」じゃないかなあ、というイメージ。もちろん、バリトンとバスなので、そう簡単に「取りかえばや」はできないのですが、要はグンターが「しっかり者」で、ハーゲンが「キャラクター」っぽいということです。ただ、これ演出上もそうですから、その意味ではいいのでしょうか?演出では、第2幕のグンターが、さっぱり悩まず、ためらわず、「ジークフリートは死ね」になるんですね。えらく自信満々のグンター。
グートルーネ(横山恵子さん)は歌唱はいいんですが、この演出じゃかわいそうですね。こんな、わざわざ不細工な感じにして、そのくせ、やけにクローズアップするという・・・。次回は、もっと別の彼女を聴きたいです。
ラインの娘たちのアンサンブルは、けっこう聴けたかな。ただ演出がどうしても乗らなかった。ここに限ったことではないですが。
演出についてはサラッと。ウォーナー演出は、「ジークフリート」までは、まだ見るべきものがあると思うのですが、「黄昏」は「収拾がつかなくなっている」という印象です。ジークフリートは「ラインへの旅」で、どのドアにも脱出できず、それ以降は「廃人」です。また、第1幕の幕切れは、私は本当にいやで、もう二度と見たくない。(そもそも、今回もともと行かない予定だったのを、テオリンさんを聴くために二度目に行ったのです。)いつもリアルじゃないのに、なんで、こんな所だけ、やけにリアルなの?やめてよ。
GIBICHと書いて、羊の頭部が変な風に映し出されているのも不快だし、「ブリュンヒルデの岩山」や「ファフナーの洞窟」の位置関係が示されるのもイヤ。そもそも「岩山」から見て、「ファフナーの洞窟」は北に、「ミーメの小屋」は西に描いていますが、「岩山」は「ワルキューレ」第3幕の舞台であり、その中でブリュンヒルデジークリンデに「(ファフナーの洞窟のある)東のほうに逃げて」と言っているのですから、こんな位置関係のはずがありません。
(それともこの地図、「上下さかさま」で、下が北ということか?ともかく、私は「私の考えが正しい」と言いたいのではなく、「観劇中にそんなことを考えさせないでくれ」と言いたいのです)
これに限らず、この演出って、セリフをまったく読み込まないですよね。葬送行進曲で、ジークフリートブリュンヒルデのもとに歩いて行ったと思ったら、実はグートルーネというのも説得力なし。最後までそんな奴だとしたら、ブリュンヒルデが最後に心中する必要なんてないでしょう。逆に、そこまで徹底していて、ジークフリートを足蹴にしたとしたら、良し悪しはともかく、納得できるんですけど。
この演出が言いたいことは、おそらく「現代人の孤独」なんでしょうが、説得力がないので、メチャクチャになっていますよね。「不条理劇」をやるのなら、もっと徹底すればいいのに、中途半端なのでグチャグチャになっています。
最初に「イレーネ様の独壇場」と言ったのは、彼女はどうもこの演出のコンセプトに完全に従っていなくて、おそらくコペハンで培った「自分のストーリー」を随所に取り入れていますね。ですから、彼女が出て来ると世界が変わるのだと思います。
はあ〜。せっかくイレーネさまに来てもらったのだから、もっと全体として「見られる」ようになってほしいなあ。歌手、演奏は、不満もあれど、そんなに悪くないレベルですから、要は演出だと思います。コペハン・リングじゃないですが、まずは「セリフ」から解釈した「リアリズム」を追求してほしいという願いがあります。できれば日本人が演出してほしいんですけどね。(コペハンも、私が気付かない、デンマークあるいはヨーロッパ要素が多々あるわけですから)
あと、オーソドックスなものに帰っちゃダメですね。私、メトのオーソドックス演出って好きなんですが、今さら日本でそれやっちゃ、つまらないでしょう。
でも、ホント、「イレーネさま」を生で聴けて良かったです。結局、そればっかり言っていますね(笑)