伊藤恵さんピアノリサイタル

今日は伊藤恵さんのピアノで、紀尾井ホールベートーヴェンシューベルトを聴きに行ってきました。
ベートーヴェンは、「悲愴」と作品31-3の変ホ長調ソナタ。その中間に、武満徹の「フォー・アウェイ」の演奏でした。
演奏後に、伊藤さんのご挨拶があったのですが、ベートーヴェンは練習していると「髪の毛が逆立つ」とのこと。「お前はなぜ生きているんだ!?」と問われているような気がすると。「悲愴」は冒頭からして、まさにそんな感じですね。曲そのものに、襟を正さずにはおかない凄みがあると思います。
作品31-3も、そんなにメジャーでないけど、とてもいい曲ですが、やはり「逆立つ音楽」ですね。第2楽章や終楽章の無窮動風の動き(タランテラ舞曲)には、ベートーヴェンの尋常ならざるリズム感覚を感じます。
一方で、シューベルトは「やさしい」とのこと。今日は、ト長調ソナタ(D.894)だったのですが、期待通り、これは素晴らしかったです。曲そのものが超名曲なので、えも言われぬ幸福感に浸ってしまいます。ただひたすら淡い夢を紡いでいくような第1楽章の風情が絶品だったのですが、そんな中、展開部の冒頭で第1主題が短調で現れるところに胸を打たれます。突然、深淵が広がるようなこの言い知れぬ感覚は、シューベルトならでは。幸福な夢から無理矢理現実に引き戻されるような表現は、第2楽章、第3楽章にも繰り返されていると思うのですが、終楽章では、もう何もかも振り切ったように、幸せな楽想が繰り広げられます。何度も終止形に入りつつもなかなか終わらないシューマンの言う「天国的長さ」ですが、「終わりたくない」ということなのでしょうか。そこが切ないです。
そのようにしてシューベルトが終わったあと、アンコールでは「悲愴」の終楽章をもう一度。シューベルトで夢を見た後に、また「襟を正されてしまった」(笑)のですが、「悲愴」を2度も聴けるというのは実に贅沢です。あらためて聴いて、またもベートーヴェンのエネルギーの凄さを感じてしまいました。
伊藤恵さんのシューベルトは、この間、CDを1〜5まですべて購入して聴いてみたのですが、どれもとても良いですね。これを通して、シューベルトの肉声に触れられるような、そんな気さえします。ふとプログラムを見ると、来年の予定は、シューベルト最後のピアノソナタ3曲と小さく書いてあります。うーむ、来年は絶対に行かねば。特に、まだレコーディングのない最後の変ロ長調ソナタ(21番)が楽しみですね。これを楽しみに、また1年乗り切りたいものです。
それにしても、4月は、ワーグナーマーラーベートーヴェンシューベルトと、ドイツロマン派の王道をたっぷりと聴けて良かったです。感謝。