ジョナサン・ノット氏・東京交響楽団「マーラー9番」
今日はサントリーホールに、タイトルのコンサートに行きましたが、とても良かったです。
もちろん曲自体が、20世紀最高と言ってもいい超名曲なわけですが、ノット氏の指揮は、私好みなのかも知れませんが、予想以上に良かったです。(ノット氏の指揮は、フォークト氏をフィーチャーしたバンベルク交響楽団とのワーグナーを聴いていたので。)
この曲の冒頭は、「いいですか?これから、かつてなかったことをやりますよ」と言われているようなプロローグですが、だいたいここで全てが分かってしまいますね。本日は、少し残響を楽しむかのような、濃厚な感じで「おっ、これはいいぞ」と思ってしまいました。全曲を通じて、サウンド的には、ごちゃごちゃとならず、立体的に音色が聞き分けられます。
第1楽章は、揺れ幅の大きいテンポ感で堪能しました。提示部コデッタ(的なもの?)のクライマックスが終わったあと、一息つくように静かな部分が来ますが、本日はここが良かったですね。あっさりと通り過ぎずに、各楽器が実に丁寧に聞かせてくれました。そこからのファンファーレとそれが終わった後の弦楽合奏(ここはマーラーの技法が素晴らしすぎるのですが!)も見事です。
印象に残ったのは、再現部で盛り上がった後に、いきなり静かになってフルートのソロパッセージが始まる(376小節。「突然きわめてゆっくりと静かに」との指示がある)のですが、フルーティストが、このあと、ややスタッカート気味に演奏されていたのですが、とても味わい深いソロでした。このあたりは「亡き子をしのぶ歌」第1曲のパッセージが盛り込まれているところですが、ほんとに「孤愁」とでも言うか、胸を打つ表現だったと思います。このフルーティストは、曲全体を通して、他の箇所にもフルートソロがいくつかあるのですが、その都度、非常に味わいのある演奏だったと思います。そもそもマーラーは、この曲でソロをきわめてうまく使っていると思うのですが、ヴァイオリンソロ(コンマス)はもちろん、たまに出てくるヴィオラソロも、その都度実に良かったですね。
さて、書きだすときりがないのですが、本日の演奏で特筆すべきは、第2・第3楽章だったと思います。さらに、あえて言えば第2楽章でしょうか。これは、これほどまでに楽しい音楽だったか・・・と。もちろん、もともといい曲なのですが、第1楽章の濃厚ロマン派的なテンポ感とは絶妙なコントラストで、常にアップテンポ指向で、聴いていて楽しさ抜群です。そんな風に感じたのは、これが初めてですね。第3楽章も、疾走感あふれるスポーティーな演奏で、だからこそ中間部の、終楽章を予告する天国的なトランペット+ストリングスが効いていたような感じがします。これだけ演奏できる東響も素晴らしいですね。
終楽章は、冒頭楽章のロマン的世界に戻って、朗々たる弦楽合奏は言うことなしでした。いろいろ解釈はあると思うのですが、今日の演奏を聴いていると、これは基本「幸せな音楽」なんだと思います。その幸せが、曲の進行につれ、だんだん溶けていくとでもいうのでしょうか。うまく文章で表現できませんが、そこを本日の演奏では、じんわりと奏でていっていたと思います。丁寧な演奏だったと思います。
ノット氏の解釈は、メリハリが効いているというか、中間楽章はリズミックに爽快にやる一方、両端楽章(特に第1楽章)では思い切りテンポを落としてみて余韻を際立たせるようなロマン派的解釈だったかと思います。サウンド的にも、トゥッティの箇所でも、あまり音量を抑制して小さくまとまることなく、そこが私好みで、非常に好印象でした。
オケは熱演でしたが、言わずもがなではありますがちょっとだけ難を言うと、金管のフレーズにもう少し「色気」があればなあ、と思います。けっこう見せ所満載なので、もうちょっと妖艶(?)な感じがあってもいいのではないかと・・・。まあ、ぜいたくすぎるかも知れませんが。
全般的な印象としては、エネルギーに満ちあふれたマーラー第9という感じでしたね。これはこれで、この曲の一つの有力な解釈だと思います。「俺はまだまだやるぜ by G.Mahler」(?)みたいな感じ。前島良雄氏のマーラー論を読んだからそう思うわけでもないのですが、今日のような演奏を聴くと、やはりあれは思いっきり不慮の死だったんじゃないかと。ただ、10番はどうなのかな、と。あの曲は、ほんとに死にそうな感じです。ただ、それはやはり家庭問題の影響ですかね。考えてみると、ジャパン・グスタフ・マーラー・オーケストラの今年の予定は、たしか10番だったと思うので、こちらも聴きに行こうと思います。