ヴァルキューレ第2幕第4場〜ブリュンヒルデのいだく「友情」

第4場の対訳を完成しました。
http://www31.atwiki.jp/oper/pages/95.html
ここは、静かなシーンですが、非常に重要なシーンです。「指輪」というのは「ブリュンヒルデの物語」なのですが、この場面で、ブリュンヒルデはヴォータンの意に反し、ジークムントとジークリンデの側につきます。ブリュンヒルデはなぜ考え方を変えるのでしょうか?オーソドックスな解釈では「人間の愛の強さに感動して」ということになっており、それも字面からすると間違いではないのですが、もっと大事なことはおそらくブリュンヒルデジークムントに「友情」のようなものを感じたということでしょう。これが決定的に重要なことだと私は思います。
この時点で、すでにブリュンヒルデは、心情的に、神から人間に移行しています。その意味では「人魚姫=ウンディーネ=ルサルカ」の系列とも連なるものがあるのですが、ブリュンヒルデを動かすものは「愛」ではなく「友情」である点が決定的だと私は思います。そこに、ワーグナーの、あまり気づかれないオリジナリティがあると思います。
ヴァルキューレ第2幕は、旧来の社会的システムに縛られてがんじがらめになっている者たち(ヴォータン、ジークムント、ジークリンデ)の苦悩を描き続けてきましたが、ブリュンヒルデが抱いた友情がはじめて、その状況を打開しようとします。そこからは、また新たな悲劇が始まるのですが、この点を理解することが『指輪』理解の近道だと私は思います。ここさえ押さえれば、『指輪』のストーリーは、すごくよくわかると思います。
ずっと、そう思っているのですが、あまりそういうことを言う人がいないのも面白いですね。「読まれざるワーグナー」という気がします。
タイトルも「ディー・ヴァルキューレ(=「そのヴァルキューレ」。「ヴァルキューレの女」とか「ザ・ヴァルキューレ」とか色々考えられますが、どうもしっくりこないですね)なんて、ぼかしたタイトルじゃなくて端的に「ブリュンヒルデ」にしたほうが分かりやすかったのでは?と感じます。(でも、東洋人がそう思うだけで、西洋言語圏では、この冠詞は自明かも知れません。もっとも日本では、これからはわざと『ディー・ヴァルキューレ』にしたほうが誤解がなくていいように思います)
もう少しで第2幕が完成です。ゆっくり取り組んでいたので、長かったですね・・・。実際、作品が長いのですが。ただ、この幕は、場面がどんどん変わっていくのを一つにまとめていて、その点が、最も(当時の)アヴァンギャルドですね。(これはアドルノがどこかで似たようなことを言っていた記憶があるので、その受け売りなのですが。)すでに「映画」に親しんでいる我々には、その点がなかなか理解されにくいと思うのですが、ここには「映画的手法」の先取りがあるように思えます。
さて、この際、この場面の音源を少し聴きなおしてみようと思い、いくつか聞いたのですが、これはコペンハーゲン・リングのアナセン=テオリンの歌唱が素晴らしかったです。結局この二人がペアで出てくるところが一番よいのではないか?演奏も熱気に包まれていて、とてもよいです。