「ローエングリン」に思う

先週の「ローエングリン」では、やや辛口な感想を書いたのですが、実際に見に行く「効用」というのは、すごくあると思います。今回の演奏は私にとって「ワーグナーのいやな部分」がすごく感じられた点で貴重でした。(決して皮肉だと受け取らないでください)
今回すごく印象が残ってしまったことは、第3幕の「ドイツの地にはドイツの剣を!」と合唱が歌うところに、すごく「ナショナリズム」を感じました。実は、いままでこの部分にそういうものを感じたことがないのですが、今回この部分に強烈にそういうものを感じたので、すごくあとをひいています。
はっきり言って、そういうことを感じるというのは当然まったく気持ちいいものではないわけですが、私はオペ対の「訳者コメント」で、この部分にそんなにナショナリズムを感じない旨コメントしているので、今回修正が必要だと感じました。
あと、今回もう一つの発見は、ワーグナーは「重唱」の書き方がうまくない・・・というより、むしろヘタなんじゃないかということです。(この作品では、第1幕の決闘シーンの前と、第2幕の最後のほうのエルザが悩むシーンに重唱があります。)そもそも、彼の作品は、滅多にアンサンブルがないのですが、ヘタだったから書かないのか、書かなかったからヘタなのか、という点は難しいです。これは、今回の演奏がどうこういう話ではなく、もともとそう感じていた話なのですが、なんかそのことを今回すごく感じてしまいました。
特に、第2幕のアンサンブルに着目すると、これはドラマを進めるための重唱ではなく、むしろドラマを止めるための重唱(R・シュトラウスがそのような指摘をしています)なのですが、音楽的には、もっと突き抜けていかねばならないところが、どうも中途半端なもので終わっているような気がします。これは「マイスタージンガー」第3幕の6重唱にも言えることだと思います。後者の弱さについては、アドルノが指摘しているので、これを読んでまさにそのとおりだと思い、逆に「ローエングリン」の問題もわかったような点もあるのですが。
結局、さらに悪口を言っているだけのようですが、私のようなワーグナーファンはアンビヴァレントなはず(?)なので、これは今回得た貴重な体験でした。