今回のローエングリン
今日の公演はフォークトを聴きに行ったようなものでした。第1幕で最初に出てきたときの声が一番印象的で、これには驚かされました。また、「グラール語り」も素晴らしかった。
ただ、オケの演奏がピンとこなかったです。前奏曲から「う〜ん」という感じ。アンサンブルがさっぱりなのは、困りものです。
なんでこんなに合わないのかと思ったのですが、指揮者(ペーター・シュナイダー)のリズムの取り方が、すごく間延びしているというか時代劇風というか、こんなワーグナーも珍しいのではないでしょうか。「グラール語り」みたいな見せ場では急に良くなるのですが、ワーグナーはそういう音楽ではないでしょう。一見微細なところに集中しなければならない音楽だと思います。その意味では今日はイマイチでした。最近日本のオケのレベルが高いから、逆にそう感じるのかな・・・?
演出(マティアス・フォン・シュテークマン)はこれもいまひとつ消化不良な感じ。パンフレットの演出家のコメントを読むと「この人よく理解しているなあ」と思ったのですが・・・。全体を通して衣装が???なのが、一番気になりました。兵士が「奇兵隊(?)」みたいな日本風なカッコをしているのもナゾだったのですが、エルザの衣装がその都度ヘンで、最初のミニスカートみたいな格好とか、第3幕のエプロン(?)とかが、すごくナゾ。たぶん、エルザを軽薄な人物として表現するコンセプトなのでしょうが、そのことによりローエングリンも軽薄になってしまって「悲劇」じゃなくて、おままごとみたいになってしまっています。それはそれで一つの考えですが、どうも中途半端な感じがします。この方針で一つだけよかったのは、第2幕のエルザとオルトルートの会話の部分で、いかにエルザがオルトルートを傷つけているかが、よくわかりました。もともとそう思っていたのですが、今日はここが一番よかったかもしれません。第2幕の最後の部分で、エルダがバタッと崩れ落ちるのは、いい演出でした。ローエングリンはエスコートもしないで冷淡ですし。
オルトルートのスザンネ・レスマクさんは、コペンハーゲンリングのエルダですが、そのころに比べるとおやせになった感じ。表現力があっていい歌手だと思うのですが、今回はオルトルートに求められる強烈な魔女性みたいなものがなく、声量もイマイチでした。テルラムント(ゲルト・グロホフスキー)も、もともとそういう役ですが、そんなにパッとしない感じ。ハインリヒ王のギュンター・グロイスベックは、なかなかいい歌でした。伝令司の萩原潤さんもいい声なので頑張ってほしいです。
エルザのリカルダ・メルベートさんは、第1幕は私としては「う〜む」だったのですが、第2幕以降はそんなに気にならなかったです。すごくいいというほどではないのですが、ドラマティックソプラノとしてはいい感じがします。これまでも再三書いているように、第1幕の「エルザの夢」ってすごく難しいと思うのですよ。「リリカル系クリスタルヴォイスでドラマティックに歌う」みたいな超難題を突き付けられているのだと思います。
演出で疑問なのは、演技がついていないことですね。舞台装置は比較的単純なので、もっと演技をつけないといけないと思うのですが・・・。
どうも今回の公演は「総合芸術作品」になっていないような気がしました。新国立劇場で見たワーグナーとしては、前シーズンの「トリスタン」のほうが全てひっくるめてよほど良かったと思います。
今回は、最初に書いたように、クラウス・フロリアン・フォークトの独擅場ですかね。彼は彼で独特ですが、この声は得難いと思います。超自然的な印象があるので、ローエングリンはいいと思います。欲を言えば、歌唱の演技性みたいなものがもっとあればいいと思います。その上で、トリスタン、ジークフリートもやってくれよというのが私の勝手な希望。
今回、批判ばかりで申し訳ないのですが、男声合唱もイマイチでした。いつもはもっといいような気がするので、たまたまかも知れませんが。
でも、特に震災後、日本の社会のいろんなところでひずみが出ていると思うので、実際に携わっている方のご苦労は大変だと思います。今回の公演でも、やはり実演に接するというのは計り知れないほどいろんな発見があり感動があります。辛口ですが、たいへん楽しんでいるのは間違いありません。外国からの客演の皆様も、日本の皆様もお疲れ様です。ありがとうございました。