ガーディナー「ドイツ・レクイエム」

これはとても素晴らしいCDです。恥ずかしながら、というべきかと思いますが、この作品が初めて理解できました。

Brahms: Ein deutsches Requiem

Brahms: Ein deutsches Requiem

ガーディナーは20年前にもこの曲を録音しています。それとコンセプトは一緒(そうでなければウソでしょう)であり、前回のも他の演奏に比べていいと思っていたのですが、今回の録音は20年前に比べても格段にいいと思います。どこが違うかというと、あまりうまく表現できないのですが、
①言葉につける陰影づけ(ニュアンス)の深さ②音色の美しさ③絶妙なテンポの揺らし方④そして録音がとても良いと思います。(合唱曲の場合は録音をオケ以上に感じてしまいます。聞き直してみると、前回の録音は残念ながらあまり良くないレコーディング(演奏ではない)の部類に入るかも知れません。)
ガーディナーの解釈は、第7曲(終曲)が際立って他の演奏とは異なります。Selig sind die Totenと歌われるのですが、これが心の底からの「喜悦」としか言いようのない音楽となっています。この解釈と演奏は核心を突いているのではないでしょうか?よくあるような、弱い音でもたれたような感じではなく、テンポも速く、力強く天翔けるような音楽です。だからこそ、徐々に静かになっていく終結が深い余韻を残します。
気になって楽譜にあたると、ここは「フォルテ」です。けっこう目からウロコです。(他の演奏を聴いているとフォルテという指示とは思えません。)テンポ指示はFeierlichとあり、通常日本語では「荘重に」とか訳すのですが、これは実は「遅く」という意味は含んでいないのかもしれません。意味シンな感じがします。
まったくの直感でしかないのですが、「ワーグナー派対ブラームス派」の構図というのは、少なくとも実際の演奏方面ではワーグナー派が勝利したのだと思います。そのためワーグナーっぽい(アダージョ音楽で、無限メロディーで、レガートな?)演奏がブラームスにも適用されてしまったという気がします。それは実はブラームスの生前から始まっていて、たとえばハンス・フォン・ビューローの演奏は、たぶん「ワーグナー寄り」だったんじゃないかとも思えます。逆に、ワーグナーのもたらした「演奏の革新」というのがむしろ現代の想像を絶するものだったような気がします。
ガーディナー自身は、このCDへのコメントにおいて、これが「リアルでオリジナル」なブラームスなのではない、そんなものはキメラ(想像上の産物)でしかない、と言っています。
とはいえ、一つ言えることは、これまでのブラームスの演奏は、歴史的にかなり「ワーグナライズ」されている危険性があるかもしれません。その意味では、ブラームスは、もういちどオリジナル楽譜に徹底的に当たる必要がある作曲家なのではないかとも思えます。一リスナーの独り言でしかありませんが、このガーディナーの演奏を聴いていると、けっこう豊饒な沃野が広がっている可能性を感じます。
このCDで、もうひとつ面白い点は、第3曲後半のフーガをテンポを揺らしながら進める点で、これによってバスの保続音が強烈に意識されます。インテンポの演奏よりも明瞭にそれを感じるので、これも一聴の価値があると思います。
これはガーディナーの演奏に共通した魅力だと思いますが、もったいぶったり権威めかしいところがなく、あたかも最近作られた曲のように思えてしまいます。モンテヴェルディ合唱団のうまさも勿論ですが、いかにも「歌詞」が生き生きと感じられるのです。