マーラー君に捧げるアダージョ

今日はオペラ対訳プロジェクトに『ローエングリン』第3幕の前半をアップしました。
http://www31.atwiki.jp/oper/pages/1432.html
後半も下書きはできているので、あともう少しで完成です。
さて昨日タイトルの映画を見に行きました。私はあんまり映画に行かないのですが、これに行きたかったのは「主役の人がマーラーにそっくり」(笑)というのがメインの理由で、あんまり期待しすぎないようにしていたのです。(どうでもいいですが日本語タイトルがベタすぎでは?せめて「君のためのアダージョ」にしてほしかったです。ちなみに原題はMahler auf der Couchですから「寝椅子の上のマーラー」すなわち「精神科の診療を受けるマーラー」です。)
ところが、見てみたら、これはかなり面白かったし、いろいろ考えさせられました。マーラーを演じるヨハネス・ジルバーシュナイダー氏は思った以上に「そっくり」(実物を見たわけじゃないのですが)だし、妻のアルマ役のバーバラ・ロマーナーさんは・・・何なの?この美しさは?こりゃやられたわ・・・(?)
あまり考えたことがなかったのですが、史実のグスタフとアルマって19歳も歳が離れていたんですね。それってほとんど親子じゃないですか。アルマは14歳で実父を失くしているから、父に代わる存在が欲しかったみたいなのですが。
しかも、パンフを買ってみたら、先ほどの二人の俳優の齢がちょうど20歳離れていて、しかも不倫騒動の頃と同じくらいの齢だから、こりゃ完全なモンタージュ志向かも知れません。マーラーのみならず、ブルーノ・ワルターまで似ているから、こりゃ完全に「狙っている」としか思えません。
最初に「起こったことは事実。どのように起きたかは創作」とあり、これは創作だなと思うことも多々あるのですが、この映画で好感が持てるのは、細かいディテールにおいてきちんと事実を踏まえていることです。例えばフロイトマーラーに「あなたの音楽は一度も聴いたことがない」と言って、ドン・ジョバンニの「お手をどうぞ」を歌い出すシーンも、フロイトが音楽に余り興味がなく唯一知っているのがモーツァルトのオペラアリアだったという話に一致しています。
それにしても、フロイトは学者としては超偉大なのですが臨床医師としては最悪で、生涯を通して1名(それもたぶん偶然)しか治せなかったと言われています。この映画ではそれもある意味きちんと押さえていて、マーラーに「徹底的に考え抜け!」みたいに過去のことを思い出させることは精神疾患の治療としては最もやってはならないはずです。(でもそれをやっていたのですが・・・)
パーシー・アドロン監督は映像が実にきれいです。映画館(渋谷の「ユーロスペース」)は満員御礼でしたが、これはやはり監督狙いでしょう。個人的にオススメは、ウィーン国立歌劇場のステージとそこから見る観客席のシーンです。こういうのは大スクリーンで見ると実にいいです!
サロネンスウェーデン放送響の演奏も良かったですね。スピーカーなのが残念ではありますが『10番』の第1楽章は実にいい曲なので浸れます。ほかにも定番の『5番』のアダージョがあったのですが、『4番』の第3楽章のイントロがセレクトされていたのも良かったです。これは幸福感あふれる曲なので夫妻のハネムーンの時期に使われていました。監督の選曲のセンスの良さが光ります。別荘で『ヴァルキューレ』や『ジークフリート』の抜粋が演奏されるのもグッドですね。当然のことながらマーラー夫妻は二人とも熱烈なワグネリアンだったわけですから。(というか、アルマは夫の作品よりワーグナー作品のほうが好きだったかも知れない。)
さて、見終わった後の感想ですが、「夫婦って大変だよなあ」とつくづく思いました(笑)。「人間って、よくこんなことやってるよ・・・」と心底思います。マーラー一家の場合は、アルマがひたすら自分を押し殺してグスタフに尽くした(何と言っても19歳年下ですから)のですが、長女は死んでしまうし、精神的にバランスを崩したところでヴァルター・グロピウスと不倫するという展開なわけですが、これは結果的に「雨降って地固まる」で実は良いことだったんでしょうね。
この映画の前にこんな本が出ていたので買っていたのですが、実に良い記事がいっぱい載っています。

これはマーラーに関心がある人なら、映画を見なくてもぜひ読んでいただきたいです。とりわけ前島真理さんの『マーラーとアルマ』というエッセイが「目からウロコ」です。私は中学生の時、アルマの書いた『マーラーの思い出』を読んで感銘を受け、その後「あれはアルマが自分の都合のいいことを書いた本だ」ということを知り「ガーン」とショックを受け、以来アルマに胡散臭いイメージを持っていたのですが、このエッセイを読むと決してそうではないことが分かります。手紙などの文献データを踏まえ、しかも文章がうまいので、読みながら感動して涙があふれて止まりませんでした。もしかして映画より感動したかも知れない(・・・笑)
このエッセイで一番心を揺さぶられたのは、結局グスタフとアルマは「ヨリを戻した」ので、死の直前グスタフはアルマに少年のようなラブレターや電報を送っていることで、この文面って本当に泣けます。なにこれ???・・・映画の最後のほうでアルマは「私はあなたの音楽の中で生き続ける」と言っていましたが、これは本当にそうで、彼女の最大の作品は「グスタフ」でしょう。映画は「ヨリを戻した後の二人の生活」は描いていないのですが、実はマーラーにとって、これが人生で最高の瞬間だったんだろうなと思います。死の直前に最も幸せな生活だったのだとすれば、彼は実に「果報者」だったかも知れません。『カラマーゾフの兄弟』に「地獄とは愛することができない苦しみだ」とありますが、逆にこの世とは「愛することができれば天国」なのかも知れません。
この映画でもう一つきちんと描かれていたのは、長女に対するマーラーの溺愛ぶりで、これは確かにそうだったろうと思います。子供というのは「子供をとおして自分が永遠に生き続ける」ということで、だからこそ長女の死というのは彼にとって決定的大事件だったと思います。そこから夫婦関係がおかしくなるのですが、この映画はこの機微を実に的確に描いていたと思います。
映画に相当感銘を受けたので、そのあおりで、家に帰ってから『亡き子をしのぶ歌』を一気に全訳してしまいました。いま体裁を整えているので、このブログもしくは「オペ対」でアップしようかと思います。私はこの曲を15歳の時に聴いてひどく感動したのですが、今聴いてもやはり素晴らしいの一言に尽きます。それ以来自分がまるで成長していないことの証しかも知れませんが・・・。
妻に言わせると「おそろしく暗い」(笑)し、私もそう思います。アルマがいやがった気持ちが良くわかります。(もっとも、アルマは「我が家に不幸を呼び込むようなことはしないで!」と言ったとありますが、これは「後知恵」で、本当に自分たちの子供が死ぬなど二人とも夢にも考えていなかったでしょう。)
しかしこれはやはりマーラーにとって決定的転機を成す曲で、その理由はバッハの研究にあったと思います。この曲によって彼の「後期交響曲」の地平が開かれたと思います。「全音階と半音階の間で揺れる清澄なるポリフォニー」とでも言うんでしょうか・・・?
さて今日の最後は、やはり映画で奏でられていた『第10交響曲』。例によって私はシャイーが好きなのですが、この人の良さは「丁寧」あるいは「誠実」です。とりわけ「丁寧」なのは、第1楽章の「アダージョ」の最後の数分で、私にとっては絶品です。ハープが音階を一音一音上昇していく箇所と弦楽器のフラジョレットが実に美しいです。
デリック・クック補筆の全曲盤なので、第5楽章もいいと思います。不穏な音楽が静まったあとで奏でられるフルート・ソロの音階を下降するメロディー。私はこれがグスタフの「アルマへの気持ち」だと思います。全曲の最後でも弦楽器が全身全霊を込めて繰り返すところが泣けます。クックに補筆を許可したことが、アルマの「最後の大仕事」だったように思えます。