ラインの乙女のアンサンブル

久しぶりに「黄昏」に戻って、第3幕の「アンサンブル」を訳しました。
http://www31.atwiki.jp/oper/pages/202.html
それにしても、ここは、コペンハーゲン・リングが出色です。演出もいいのですが、音だけで聴いても、すごくいいです。歌手がすごくいいのですよ。
いい演奏なので、ふと気付いたのですが、この部分は、あまり「橋田ドラマ」じゃなくて普通のアンサンブルですね。「指輪」って、こういうのが本当に少ないですよね。思い浮かぶ限り「ラインの黄金」の冒頭(やっぱりこの人たち)と、ワルキューレ第3幕のワルキューレたち、「黄昏」第1幕のノルン、そして第3幕のこの場面ぐらいです。
ワーグナーって、そもそも全作品でアンサンブルが少ないですね。それは、彼は「演劇重視」なので、音楽が劇の流れを止めるのを嫌ったのではないかと推測します。ただ、やろうと思えばできるので、いざという時にはキメますね。その代表例は、「マイスタージンガー」第3幕の五重唱、「ローエングリン」第2幕の四重唱です。滅多に出ないので、かえって「時間を止める」感じで効果的な感じがします。
ところで、いつも思うのですが、ラインの乙女たちって意地悪な感じがします。せっかくジークフリートが「おおい、指輪をあげるよ〜」と呼び戻すので、すぐもらえばいいような気がしますが、わざわざ「持っていると不幸になるのよ」とか言って、ヘソを曲げさせてしまいます。
このあたり、コペンハーゲンのホルテン解釈は「夢落ち」なので、すごく納得が行きました。確かに、この場面(全部ではありません)は舞台美術も合わせて「夢かうつつか幻か」の状況が似合いますね。ホルテン演出の良さは、セリフを良く読んでいるので、物語の筋(=演出の意図)が良く分かることにあると思います。
オペラ演出って、その場その場を乗り切るだけじゃなく、一本、芯の通っているものが欲しいですよね。「演劇」というのは、メチャクチャが一つの「異化効果」を発揮するかもしれませんが、「オペラ」は音楽が「やだよ〜」と抵抗しているように思えます。この前のウォーナー演出って何を語ろうとしていたんですかね?この場面の印象が全く残っていないです・・・。一体何をやっていたのか、思い起そうとしても思い出せないんですよ。
この場面、気になって、ティーレマンバイロイトも聴いてみました。最初のオケだけのところはいいのですが、歌手が入ると、ウ〜ムですね〜。というか、これ、コペハンが良すぎます。逆に「このシーンはアンサンブルだよ!」という意図的なものを感じます。目からウロコというのは、こういうことを言うんですね。