新国立劇場『ジークフリート』

今日、観に行ってきました。やっぱりワーグナーは、いいです。余韻に浸っています。
ただ、今週仕事が忙しく、雪の降っている夜中とかに散々外出したので風邪(インフルではないですよ)を引いてしまい、薬を飲みながらの観劇になってしまいました(泣)。でも、そこはワーグナー・ファンの悲しいさがで、一睡もできずにクタクタになってしまいました(笑)。でも、少なくとも今日仕事が入らずに、行けて良かったです。
今回この公演に行ったのは、いわゆる「トーキョー・リング」の中で、たまたまこれだけ行っていなかったからです。キース・ウォーナー演出の再演なので、語りつくされた所もあるかとは思うのですが、やっぱり見ておかないとね、ということで。
今回のマイ・テーマは、①ヴォータンとの知恵比べに負けたミーメがジークフリートを待つシーンの演出、②イレーネ・テオリンさんのブリュンヒルデはどうか、という点でした。
結論から言うと、①は、・・・、でしたが、②は満足でした。

①の場面は、今回予習している中で気になってしょうがなくなったシーンで、一人ぼっちになったミーメが、遠くに火がちらちら燃えて、それが次第に膨らんでくるので、「なんだ、あれは?」と大騒ぎし、最後は「ファフナーファフナー!」と絶叫するのですけど、これは一体何を表しているセリフと音楽なのでしょうね?ワーグナーは、よく考えると意味がわかることが多いのですが、今のところ、これが何なのか良くわからないので、何かヒントがないかな?と。

・・・ですが、良くわかりませんでした。舞台全体が点滅するのはともかく、二階建ての家の中にある3台のテレビが、家とかが燃えている白黒の映像を映し出すだけで。戦争中の映像なんでしょうかね?
これも含めてなのですが、第1幕と第2幕の前半までは、どうも全体的にのめりこめず、「う〜む。どうしよう」と思ってしまいました。ジークフリートが剣を鍛えるシーンの歌も淡々としすぎているような気がするし、演出の意図もイマイチわからないし(もともとそういう演出なので、いまさら言っても始まらない?)。

第2幕の最初のところも、モーテルで、ヴォータンとアルベリヒが隣の部屋になるという設定はいいのですが、この二人の掛け合いがほとんどないんですよね。それぞれモノローグを歌っているみたいなので、まさにそういう意図なのかもしれませんけど、見てる方はつまらないですね。アルベリヒ役のユルゲン・リンさんの歌は、さすがにうまいのですが。

先行き不安になってきたのですが、「森のささやき」から突然良くなり、ここから幕切れまではずっと良かったです。まず着ぐるみの動物(クマ、ウサギなど)がいっぱい出てくる(『女狐』みたいですね)のですが、そのうち一人は男性で剣を持っており、もう一人は女性です。これは、きっとジークムントとジークリンデなんでしょうね。詩的な感じがします。

大蛇のシーンでは、ファフナーは大蛇ではなく、大木です。ムンク「叫び」のような「うろ」を持つ大木の枝には、死体がワンサカ(私の数えたところ8人)ぶらさがっており、大蛇との戦闘シーンでは大蛇ではなく、そのゾンビ達がジークフリートとチャンバラをします。これは、まさに日本の時代劇ふうで、なかなか面白いです。また、この物語の「恐れを知らない少年」というネタは、グリム童話の同名のメルヒェンを元ネタにしており、その中で少年が戦う相手は、確か幽霊だったように思います。これは、そういう意味でも、なかなか由緒正しい演出かもしれません。

さらに、大木が真っ二つにされると、ファフナーが出てくるのですが、黒い帽子に白塗りの顔。「笑うセールスマン」の喪黒福造氏(みたいな人)がいきなり出てくるので面喰らいます。でも、妻屋秀和さんの歌と演技はいいですねえ。なんかすごく同情してしまいました。ワーグナーは、死に行くファフナーに、とても共感しているように感じます。ですから、ジークフリートファフナーに優しくする演出は多いのですが、この演出では、キスしているみたいに見えました。そのキスが、ジークフリートに鳥の歌声を聴こえるようにさせます。この着眼は、いいですね!!わたし的には100点満点の150点です!

「森の小鳥」は、着ぐるみで、舞台上で歌います。安井陽子さんの歌声は、この役にうってつけのきれいな声です。小鳥は、このあと、空中でつりさげられたり、空中でひっくり返ったり、大忙しなのですが、こちらはスタントなんでしょうね。

そのあと、前回の記事で指摘した例のミーメとアルベリヒの「ラップ」シーンが始まります。隣同士の部屋を行き来したり、内線電話をかけたりのやり取りが笑えます。これも120点と言っていいでしょう。

さあ、こうして、ミーメがジークフリートに、無意識的に本心を話す有名な部分に来ます。ミーメは、ジークフリートに面を向かっては、善人づらをしているのですが、別室に引っ込むとテレビに彼の顔がどアップになり、本心を話してしまうという設定です。これもいい演出だと思います。
一つ思ったのは、ミーメが何度も別室に引っ込むというのは不自然なので、むしろ舞台に出したままのほうが良いのでは?と。背中を向けて歌っているのに、テレビに大写しになっているほうが面白いかもしれません。
ただ、そこでふと気付いたのは、ここでの「テレビ」の意味って何なんだろう?ということです。あるいは、次のような解釈が可能かもしれません。つまり、ミーメは本当はジークフリートを殺すつもりなどないのに、そのような「誤報」を真に受けたジークフリートは「誤って」殺してしまうのだと。もちろん、その場合、第1幕ともうまく整合性を取らないといけないですし、この演出にそのような意図はないようですけれども。それにしても、この部分は、色んなイマジネーションが働きますので、わたし的には、やはり150点です。

第2幕後半は、そんな調子で演奏もテンポ良く、引き込まれてあっという間に終わってしまいました。なぜか最後の「小鳥の歌」の部分が胸にしみて感動してしまいました。「苦しみの中に喜びを歌うの」とか「ただ憧れを知る人だけ・・・」とか、ある意味ベタなセリフですけど、このメロディーにのっかっていると、至福を感じてしまいます。

さて、第3幕ですが、演出はわりと単調な感じです。3つの場面が、それぞれ二重唱になるわけですけれども、舞台装置以外、特に工夫は余りないような気が・・・。まあ、それはそれで歌手が堪能できたので良かったのですが、一つどうしても気になるのは、ジークフリートブリュンヒルデの岩山に行く舞台転換の音楽からブリュンヒルデへのキスの直前まで、ずっと幕が閉まりっぱなしだったことです。舞台転換はともかく、ジークフリートブリュンヒルデの兜や胸当てを取り外すシーンもないとは・・・・・・。この間、約15分〜20分はあるのでは?私は一瞬、舞台装置の故障とか何か事故があって動かないのかな?と思ったのですが、別にそういう説明もないところを見ると、そういう演出なんですかね?でも、その間、オペラではなく、コンサートを聴きに来たような気持ちにさせられるのはどうなんでしょう?炎を越える場面も、幕に映像の炎が映っているだけではつまらなさすぎますし、字幕でドイツ語のセリフ(『ヴァルキューレ』の幕切れと『ジークフリート』の中のヴォータンのセリフ)が出てくるのは、正直言ってヘキエキとします。何が何だかわからなくてイライラしてしまう(それが意図なんですかね?)ので、点数で言うと、残念ながら0点です。150点取れる人なのに、なぜなんでしょう?
ジークフリートブリュンヒルデの場面は、そういうイライラ感の後だけに、テオリンさんの歌声が出てくるとホッとしました。これは好みの問題かもしれませんが、彼女は、まさに「ブリュンヒルデ」という感じが私にはします。
これは、私の好みが「メタリック」(「ブリュンヒルデ」については)だからだと思うので、一般的な感想かどうかは分かりません。中低音が弱いような気もするのですが、このへんが両立すると、かなり凄いハマリ役のような気がします。
ただ、この場面の演出は、なんか今ひとつ意図がわかりませんでした。この演出は、全体に「セリフにのっとった新解釈」というのが少ないような気がします。そのような「解釈」をしてくれて、観客に「意味」を分からせてくれるといいのですが・・・。

ヨーロッパでのそのような試みを紹介して下さっているブログを紹介します。
http://d.hatena.ne.jp/starboard/20100218
私は、オペラ演出というのは、やはりセリフを読み込んで、そこにその演出家なりの1ページを付け加えていくものだと思います。日本では、まだまだなんでしょうかね?そのような日本人演出家の登場に期待したいところです。

なお、最後になりましたが、今回、歌手はみんな良かったですね!期待通りで、その意味では大満足です。エルダ役のシモーネ・シュレーダーの歌唱も見事だったと思うのですが、なんか拍手が少なかったのは、私にはアレレ???でした。エルダって地味すぎるんですかね?(「耳なし芳一」のようなペインティングを施されてましたし・・・)でも重要な役ですよね。一生懸命拍手してしまいました。