ジークフリートは「ラッパー」か?

前日に引き続いて、「ジークフリート」の予習をしています。
第1幕と第2幕を聴いているのですが、これって、ワーグナーの中でもかなり異質の音楽ですよね。
オケがチャカチャカチャカチャカやっているのは、ワーグナーでは良くあることですが、このオペラでは、歌までチャカチャカしていて、第1幕ではジークフリートとミーメの掛け合いが、そんな感じです。
だから、対訳でドイツ語を見ていても、少し目を離すと、「ありゃ?今どこだ?」と。とにかく、セリフ量が多く、それを光速スピードでこなしていきます。
それで、ふと思ったのです。「・・・これって、もしや、いま風に言えば、ラップじゃないか?」と。
そう思って聴くと、第2幕のミーメとアルベリヒのケンカなんか、そのまま「ラップ」で、ビックリしました(笑)

ジークフリートの歌にもその要素がありますが、ミーメは「ラッパー」そのものです(!)
特に、いま聴いているブーレーズのDVDだと、芸達者のハインツ・ツェドニクですから。いやはや、この滑舌の良さには感心します。私は、リブレットを見ながら、しゃべるだけで舌かんじゃいます。(ちなみに、ティーレマンは、この場面ちょっと重すぎですね。ブーレーズは、こういう場面が素晴らしいです。歌手もいいのですが)

舌を噛むといえば、「小鳥の歌」もそうですね。いいメロディーなので思わず口ずさみたくなりますが、ドイツ語で歌おうとすると、やっぱり舌を噛みます。のっけから「ハーイ、ジクフリト・ゲヘアト・ヌン・デア・ニプルンゲン・ホールト!」ですから。(いま何度か歌っていたら、ようやく少し歌えるようになってきました・・・笑)

ところで、ネットで見たのですが、「音素」が少ない日本語のような言語には「ラップ」はあまり向かないようですね。この説が正しいかどうかは良く分からないのですが、そうだとすると、確かにドイツ語って(子音が多くて「音素」が多そうだから)、ラップ向きかもしれません。

まあ、「ラップ」ではないにしても、「歌」でもない、「レチタティーヴォ」でもない、「セリフ」でもない「何か」を、ここでワーグナーが創作したような気が、私にはします。